『さざ波通信』紙上での論議参加に対して、公安(党中央もそうかも)が目を光らせている筈だから慎重にならざるを得ないのではないかという「さつき」さんの疑義と、主催者の応答がありましたが、本件に関して私の意見を述べさせて頂きます。
そういうことは十分ありえることだと思いますが、だからといって本欄のような企画をなくすとしたら実に惜しいと考えます。もし、何らかの不利な影響を危惧して参加されないのであれば、それでよろしいのではないでしょうか。そういう心配を押しのけて、この欄の意義を見出そうとする人たちが任意に活用して、参加者同士に有意義なものが生まれるとしたらそれでよろしいのではないでしょうか。もともと革命運動そのものがそういう性質のものですから。不利益の一切を拒み、利益だけを声高に主張する精神は、我らが運動の原点においてなじまないものです。そのなじまない精神を受け入れるとしたら、何もしないことが唯一の方法ということになってしまいます。私が不思議に思うことは、戦前のような治安維持法下でもがんばった人たちがいるのに、その当時から比べると天国のようなこのご時世で何らかの不利益に惑わされて足踏みするとしたら、一体どういう条件が揃ったら、どういう世の中になったら参加されるのですかと逆に質問したくなります。
もうひとつの観点はこうです。一体どう養生してみても「人生50年」(この場合、稼動人生として)ぐらいのものではないでしょうか。ながながと苦虫顔で生きるよりこの50年を充実させることこそ人として「生」に対する努めなのではないでしょうか。その際の公理はただ一つ、みだりに人様に迷惑をかけてはいけないということです。人のライフサイクル上人様の厄介になったりかけたりする時期もあるでしょう。但し、不惑の40歳を越え、天命を知る50歳にもなろうとすると、社会に対するご奉仕意欲が増してまいります。誕生から成長・円熟・世代交代と向かう生命の摂理からそうなるのが自然なようです。このライフサイクルを無視していついかなる時においても御身の保全に汲々とするならば、それこそ志操が違っていると考えます。
かくいう私は、依然として食うに困り明日の不安を抱えたままの人生の只中にありますが、捨てる神あらば拾う神ありのおかげを頂きながら遣り繰りを続けることが何とかできています。有りがたいことです。この今有る生の充実を賭けて、私は本欄を活用しようと思っています。なぜなら、社会主義の理想は探求するに意義があり、今現在試練にさらされているとはいえ叡智を集めて止揚されるべき局面に有ると思われるからです。マルクスの時から比べて、科学は格段に進歩を遂げてまいりました。マルクス・エンゲルスの思想の優秀さは、その思想の中に当時の最新科学の成果を吸収していたことにあります。今、当時の予想をはるかに越えた科学的な新事実が次々と生まれております。これらの諸事実を今現在においてどう思想的に了解していくのかが問われており、この課題に正面から取り組むフィールドが用意されていないことを残念に思っています。恐らく、さざなみ通信は、そういう方向に向かっていく可能性を秘めており、だから貴重な通信と考えています。