Kミナトさんからの批判を歓迎いたします。しかし、いくつか異論があります。
まず、Kミナトさんは、私の意見が「自分たちの運動の成果を数字をもって語り、拡大を誇って正当化する」ものであると批判しています。しかし、私があえて民医連や民商といった大衆運動団体の数的到達点を紹介したのは、あくまでも「れんだいじ」さんに対する反論の一貫としてです。つまり、「れんだいじ」さんが、創価学会や自民党などが会館や商工会議所などを大量につくって民衆統合をはかっているのに、共産党は紙爆弾だけだ、という議論に対し、そんなことはないと反論する文脈で語られているということです。私が何か、そのような数的成果だけを根拠に自分たちの運動の正当化をはかっているかのような主張は、まったくの誤解です。
それどころか、われわれの世代の党員は、この種の「積み木理論」(堕落した陣地戦!)の最大の犠牲者であり、私自身、党内でそのような理論および実践と闘った一人です。この点については、運動論上、非常に重要だと思うので、やや詳しく(個人的思い出も含めて)書きます。
周知のように、日本社会は1970年代半ばを境目に、「革新高揚期」から「革新冬の時代」に突入しました。このような政治的変化がどうして生じたのかは、それ自体、非常に興味深いことですが、それはおいておきます。いずれにしても、あらゆる指標や世論調査から明らかなのは、この時期に、国民の間での左派的な意見(自衛隊・安保に対する批判意見、社会主義への支持など)が、それまでの右肩上がりの増大から一転して、右肩下がりの減少へと転じたことです。しかしながら、共産党指導部は、このような重大な政治的・社会的変化を過小評価し、党独自の取り組み強化によって、これまでどおり右肩上がりの成長が維持できるかのように考えました。ここから生じたのが、党勢の拡大(あるいは、各種大衆団体の規模拡大)を自己目的的に追求し、その拡大でもって党の正当化をはかる路線、すなわち、「積み木理論」です。
興味深いのは、このような傾向がある意味で、政府自民党自身の公共事業拡大路線と軌を一にしていたことです。右肩上がりの高度経済成長も、1970年代半ばに停滞と低成長に反転するわけですが、政府自民党は、政府の独自の取り組み強化によって、これまで通り右肩上がりの経済成長が維持できると考えました。そこから生じたのが、公共事業の一途拡大であり、それによる財政赤字の急膨張です。政府自民党の経済成長主義による歪んだ公共事業拡大政策が今日の財政破綻にまで影響しているわけですが、同じように、共産党指導部の「政治成長主義」による歪んだ党勢拡大政策が、その後、重大な悪影響を党や大衆団体全体に及ぼすことになります。
私が民青に入り党に入ったのは、まさにこの「積み木理論」が全盛期の80年代初頭でした。党指導部は、すでに国民世論、とりわけ若い世代の世論が急速に保守化しているにもかかわらず、前大会水準を突破して次の大会を迎えるという方針にあくまでも固執しました。世論全体が左翼化していた時代に到達した水準を、その時からはるかに右傾化した時期に乗り越えるというのは、まったく誤った冒険主義です。しかし、中央に忠実な党員たち(私もかつてはその一人でした)は、その方針を実現すべく、それこそ生活のすべてを投げ打って奮闘したのです。
数ヶ月に一度回ってくる「拡大月間」や「大運動」。とても実現できない拡大目標の設定。連日連夜の、友人やすべての知り合いへの電話や訪問。拡大できない党員や民青同盟員に対する「つめ」という名の脅迫。
この冒険主義的方針についていけない党員や民青同盟員が続出し、多くの人々が身も心もずたずたになって去って行きました。そして、形式だけは急膨張した民青同盟員と赤旗読者の数。しかし、実態は、大量の未結集同盟員や未結集党員、山のような一ヶ月読者や未集金読者を作り出しただけでした。ある党大会前の拡大月間で、1ヶ月ちょっとで51万部も赤旗が増え、大会終了後の1ヶ月で50万部減ったこともあります。まさに異様な時代でした。この冒険主義によってもたらされた政治的打撃は、50年問題における冒険主義による打撃に匹敵すると、私は今でも思っています。
したがって、「積み木理論」の誤りは歴史的に証明ずみです。もっとも、無謬をきどる官僚的指導部のおかげで、誤りの認知が5年以上遅れましたが。
しかしながら、形式的な量的拡大に目を奪われて、運動の質や多様性を犠牲にするのはまったく誤りですが、だからといって、歴史的に地道な努力によって獲得されてきた陣地を軽視するのも誤りです。私が投稿で言いたかったのはそのことです。情勢が革命的になれば、どんな少数派の運動も急速に多数派になって革命の主役になれるというのは、幻想です。そうなるためには、反動期、あるいは、保守的な時期にも、変革主体の側は一定の陣地を獲得し、守り、発展させていなくてはなりません。
もちろん、陣地を維持しようとする姿勢から、Kミナトさんが危惧する「硬直性」や「守りのモード」が出てくる危険性もあります。かつてドイツ社会民主党が第1次世界大戦で戦争支持になった一つの有力な理由も、巨大なドイツ社会民主党とその関連の大衆団体や新聞、出版社、等々を守りたいという思惑からでした。したがって、このような傾向に陥らない不断の警戒が必要です。
さて、もう一つ、Kミナトさんは、「各個人の扶助や生活改善の運動は、革命の火付け役を担うものであって、ただそれだけの役割だと思います。変革後はただちに各行政機関や執行機関にその地位を譲るもの」とおっしゃっています。これには賛成できません。これは相当に官僚主義的な社会像です。結局は、「行政機関や執行機関」という「お上」が社会運営のすべてをやってくれるだろう、という発想こそが、これまでの「社会主義」国家の堕落の一つの有力な原因になったのではありませんか?
ロシアや中国のような遅れた社会で革命が起こった場合は別にしても、少なくとも先進資本主義国においては、革命後に人民自身が社会運営をやっていく能力は、すでに旧社会の中である程度準備され、陶冶されていなければなりません。人民の民主主義的統治能力は天から降ってくるわけではありません。それは、旧社会における下からの自主的運動や自主組織や協同組合などの形成と運営を通じて鍛えられていくのです。そして、これらの運動や組織や協同組合は、革命後に無用の長物になるのではなく、それ自体が、民主主義的に再構築された行政機構と並んで(時には、それを補完し、時にはそれと拮抗しながら)、民衆自身の自治の形式となるべきものです。
しかし、そうなるためには、これらの自治的運動や団体(共産党自身も含めて)が、民主主義的に運営されているのでなければなりません。もしそれが官僚主義的に運営され、無謬の指導部への下部の服従という実態をとっているかぎり、いくら大規模で立派な運動団体が構築されていても、民衆の民主主義的統治能力の陶冶には結びつかないでしょう。だからこそ、共産党を含め、あらゆる運動団体において、内部からの批判の自由、民主主義的な討論、適切な指導部の交代、などが保障されていなければならないし、それが保障されていない今の現状が厳しく批判されなければならないのです。
最後に新しい運動形態についてですが、たしかに、既存のものを堅持し発展させるという運動だけで展望が切り開かれるわけではありませんので、全党員が智恵を絞って新しい運動をも模索する必要があると思います。その点で、私はKミナトさんの意見に大賛成です。しかし、具体的な提案となると、Kミナトさんの言う「末期癌理論」は今一つピンときません(横断的に取り組むというのは賛成ですが)。とはいえ、あれこれといろいろ提案してみる中から、いいアイデアも浮かぶと思いますので、私もKミナトさんの意見を一つの参考にして、どうすれば若者を惹きつけられるような運動がつくれるのか考えてみたいと思います。本当に、そこのところで私は悩んでおりますので。