連日のように投稿しているのが皆様にとって良いのか迷惑なのか気にしながら、またまた投稿しようとしています。しかし、思うに、通信紙上の論議というものは任意にできる良い点はあっても、まだるっこいですねぇ。もう少し論議が増え、論点が増えるに応じて、課題別のコーナーを増やして欲しいですねぇ。ただ今は「日の丸・君が代」問題が別枠にされていますが、例えば、「民主集中制」についてのコーナーとか、「指導者論」のコーナーとか、「統一戦線」に関するコーナーとかいうふうに。
ここまで書いたもんでついでに一言メールしておこうっと。みなさんの党活動で消耗させられた話を聞かされておりますが、本当にご苦労さんなことでした。(または進行形でご苦労さまです)さて、左翼運動がなぜ人を消耗させるのかについて意見してみようと思います。現象のあれこれを突き抜けて本質的にその理由を求めると、左翼思想、とくにマルクス主義が極めて人為的能動的な理想主義であることに原因があるのではないか、その理想主義と現実の個々のわれわれの生活実態ないしその意識とが乖離しており、この乖離を埋め合わせるのに十分な知恵をもたないまま、運動体として活動していることに消耗がもたらされるのではないかと思
っております。
私は、この欄を活用していることからしてマルクス主義を誹謗しようというのではありません。あえて云えば、生粋のマルキストに比べてややマルクス主義を相対化させて理解しようとしているという違いは有ります。私の眼にはマルクス主義の限界が映じておりますが、人類の頭脳が生み出した諸思想の中でも良質的なものとして同時に受け止めています。ただし、マルクス主義の理想性を実際に運用または応用する時に方法を誤れば少々危害が有るとも認識しています。だから、マルキストにおいて最優先に重要なことは、党組織とその発する運動体の「柔軟性」であり、指導者資質の要件に対する共同構築と新陳代謝の重要性に対する相互の認識であり、けっして組織盲従性を導入させてはなりません。しかし、歴史の実際はスターリニズムにせよ(最近ではレーニニズムまでさかのぼる見方も生まれています)、毛沢東主義にせよ、近いところで宮本体制にせよほぼ共通して独裁体制に行き着いてしまっています。それらの独裁体制がなぜゆゆしき欠陥かというと、近代民主主義が獲得した反対派の処遇に対する一定の配慮(逮捕し取り調べても無条件に命までは取らず、罪刑法定主義の枠内で処遇するという水準)をいともたやすく反古にしていることに認められます。ブルジョワ民主主義の形式性・欺瞞性を指摘することは容易ですが、拷問のない監獄と法定主義は、人類が生み出した知恵であり、少数の反対派を迫害しない精神と同様に守り抜かなければならない地平であると考えます。プロレタリア民主主義というものが生み出されるとしたら、ブルジョワ的なそれが獲得した良質的なものをさらに発展させたものでなければおかしいと思います。
宮本体制はそうひどくはないと考えてはいけない。いまだ国家権力に到達しない党内権力の掌握者でしかないから限定的であるだけで、仮に今明日にでも権力を握った場合に、民主主義的な諸原則をどこまで遵守しえるのかという点になると心もとない気がします。なぜなら、この種の論議と作風の確立が現に為されておらず、今後も為す気がないみたいだし。戦前・戦後から現在に至る反対派の締め出しの仕方とか、遠いところ近いところでの「査問」において今現在も極めてご都合主義でしかないのだから。こういうものは一朝一夕に確立する訳にはいかないでしょぉ。
最後に。どうも納得できないことは、いわゆる左翼の人たちは、犬の遠吠え、猫・猿のひっかき合い、熊の冬眠ばかりで、なぜお互いに議論の一つも共同構築できないのかなぁ。戦後は、治安維持法もなくて、おいそれとしょっぴかれる訳ではないと思うのに。左翼教条主義というのでは決してなくて、むしろ左翼狭量主義とでも云えるようなへんちくりん。
いつも投稿ありがとうございます。今後も、ご遠慮なく投稿して、投稿欄を盛りあげてください。それと、課題別の討論についてですが、実は、私たちの方でも、投稿数がもう少し増えれば、そういう形でより具体的な討論をしたいと思っています。(編集部)