思ったより低調な『さざなみ通信』ですが、編集部より、遠慮せず賑わしてくださいとの暖かいエールをいただきましたので、またまた投稿します。「君が代問題」ではこれ以上論議が起こらないような気がしますので、私が温めてきた格好の論材を提供します。
それは、「田中角栄論」です。彼をどう観るかはすぐれて現代的なテーマであると私は思っており、皆様のご意見を承りたいと思います。言いだしっぺの責任として論点のいくつかを提供しておきます。
(1)庶民宰相としての栄光と悲哀と政治的限界について。
(2)上記に関連して氏の政治家としての有能度について。
(3)氏の失脚経過の諸問題について。
(4)氏の失脚と現在に至る諸影響について。
(5)氏のパフォーマンスとその評価について。
およそ以上のどの論点からでも結構ですので議論したいのですが。
私は、どなたかが氏に関するホームページをつくってくれるのを期待しているのですが今のところ見当たりません。私がいつの日にかそういう能力を身につけたならば開設したいと思っているほどに、彼に関心を持っています。今なぜ田中角栄なのといぶかる人が多いかと思いますが、彼が良くも悪しくも戦後という時代の特徴を一身に体現しており、そういう意味で今に有効な時代の特徴を読み取る格好の人物であるということを理解すれば納得していただけるかと思われます。いずれにせよ、戦後という時代が生んだモンスター政治家であり、日本史上に輝く「能く生きた100人列伝」の一人に入ること疑いなしと思っており、そういう感性または認識を共有したいのです。むろん反対の観点からの彼の評価論も歓迎いたします。
なぜ、こういう提案を申し上げるのかというと、日本左翼の閉塞状況を解き明かす鍵がそこに秘められているような気がしているからです。彼の存在に比べて、新旧左翼の何とちまちまとしたお利口ぶりっ子たることか。爪のあかでも煎じて飲ましてあげたい。
もとい。彼の生きざまを丸ごと評価する必要はありませんが、そのあふれでるリーダーシップは、イデオロギーを越えて下手な左翼より左翼的な面をも持っていたように思われます。だから失脚させられたのかも知れない(いやほんと)。確かあの時は評論家がえらい張り切っていて、党の御大宮本がいつになくしゃしゃり出てきたなぁ。右翼も罵詈雑言してたなぁ。労組も目白邸を、こともあろうに御用ちょうちん持って包囲したなぁ。得体のわからん新左翼風の団体もにわか仕立てで出てきてチラシ配ってたなぁ。裁判官と検察ががっちり握手して「三権分立」なんのその屁の河童だったよ。えらいこっちゃ。マスコミが後押しどころか煽り続けてたよ。みんな仲良しクラブなのかなぁ。地元のアナウンサーまで調子に乗ってたわ(やっぱりやめた。このテーマはまだ
生臭い。もう少しそっとしておこうっと。と思うのにボタンを押す)。