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(Kミナト-吉野)論議について

1999/5/17 れんだいじ、40代、会社経営

 Kミナトさん、吉野さんこんにちわ。連日の投稿で少々オーバー気味かなと思っっていたところ、私の発言をめぐって吉野さんとKミナトさんのやりとりがなされており、私も当事者の一人であるからして拝聴するだけでは具合が悪くなりました。そういうわけで本文を送らせていただきます。
 Kミナトさんと年代が近いということは70年前後のあの頃の雰囲気が共有できているということでしょうから、問わず語りに分かり合える部分も多いと思います。吉野さんにも親近感を覚えています。したがいまして単刀直入にご意見させていただきます。
 まず、吉野さんの言おうとしていることを整理します。青春を賭けて獅子奮迅の党活動してきたが、現在の党の在り方とか執行部の指導方向について疑念を覚えている。その疑念については私と共通する部分もあるが、同調できない面もある。同調できない部分としては、産みの苦しみの道中だからいろいろあるだろうが、党の歩みをもっと巨視的・長期的に俯瞰し、着実に前進している側面にも目を向けるべきではないか。選挙の結果に対しては、その時々の票または議員数の現象的変動をもって執行部の責任を問うのではなく、今かりに微増しているかに見えるこの局面において問題が山積しており、正すべきは正していかないと旧社会党の二の舞いになる恐れがあるという趣旨であったように思われます。吉野さんの姿勢は現役党員としてのものでもあり、党活動の全般としては支持しているというスタンスにたった上で、現執行部の指導方針とは一線を画しつつより原則的と思える方法で着実な党活動に取り組むんだという決意表明でもあるように思われます。
 これに対してKミナトさんの意見は、かっての党員という気安さからか言いたい放題の感があります(鋭い部分も有ります。よいしょっと)。一つは、吉野さんの思考方法が、本人が消耗したという「積み木理論」の呪縛から解き放たれていないという指摘であり、「積み木」の内実を凝視すればそれぞれの「積み木」はある種の利権団体に堕落してしまっているではないかという批判。一つは、マルクス主義の理想は良いと思うのだが、例外なく独裁に陥った過去の経過からみてマルクス主義そのものに何らかの欠陥が宿っているのではないかという意見であり、後一つは、運動論的に現在の党活動の縦割り垂直型指導よりも、課題別に即応する地域横断的な水平型の運動の方が良いのではないかというアイデアを持っており、この件に関して討議しようという提案であるように思われます。
 このお二人と私の間には相共通する心情がありますが、観点には少々異なるものがあります。まず、マルクス主義をどう把握するのかという点について。私は、基本的スタンスとしてマルクス主義を史上極めて有益かつ良質な思想であると考えています。ただし、その限界もあちこち見えてきており、早急に止揚されるべき局面を迎えているとも思っています。
 その根拠の一つは「遺伝子理論」の登場です。今やマルクス在世当時には予見できなかった生物遺伝子の存在とその働きの様子がしだいに明らかにされつつあり、この「遺伝子理論」によれば、遺伝子は生命の連続体のうちに過去の様々な環境適応の様子を情報としてインプットしているということです。もしそういうことになると、マルクス主義の理論的骨格をなす唯物論と観念論の二大区分という定義そのものが根底から見直されねばならないのではないでしょうか。そう思うのは私だけかなぁ。このような科学的新発見が続々となされつつあるのに、マルキストの側からの思想的な格闘がなされていないように思われます。
 私の考えはマルクス主義が間違っているというのではなく、マルクス主義の最大功績は「唯物弁証法」の発見にあり、「唯物弁証法」はあの時代における最新最良な認識手法としての発見であったとみなした上で、現在はその後の諸科学の成果の上に立って現在なりに止揚される局面にあるのではないかという見方をしています。止揚という言葉は、便宜的な貼り付けでは済まされず、新しい脱皮が望まれているという意味で使っています。このような重要な事柄がなおざりにされているのは、個々のマルキストのマルクス主義の本質を理解していない主義者としての怠慢であると考えています。
 なお、このような怠慢を党が助長しているともみなしています。現在の党の思想教育は、党員が自分自身で考えるという作風を育てるどころか押さえ込んでいるからです。マルクス主義の古典的文献を読まそうとするのではなく、換骨脱胎どころか小骨三本ほどしか残滓していない党の指定文献を薦めています。これは重大な「執行部帝王主義」であると考えています。「帝王学」とは、帝王および取り巻きの一部エリートに統治術を教える学問であり、もともとマルクス主義はそのような統治術の対極にあります。マルクス主義は大衆に学ばせ、大衆が育ち、大衆の叡智で自主管理社会を創造させようとする観点をもって生み出されたものです。ああ何と似つかぬ世界に入り込んでしまったことか。この似つかぬ党の姿が露わにされるのを恐れてか、はたまた大衆にはそしゃく能力が無いとでも思う思い上がりか愚民政策がとられているような気がしています。
 吉野さんの党の内部からの改革を引き出そうとする努力に水をかける気はありません。ただし、組織というのは長期化すればするほどトップリーダーの諸能力・性格・気質に似せて染まってしまうものです。私見によれば、現在の党は宮本体制に私物化された党と思っています。私物化とは、当人にオールマイティーで他の人には規制が多く当人の顔色をうかがいつつでなければことが進まない状態というのがメルクマールです。宮本体制が不破体制を生み出し、志位書記局長まで肌合いの似たものが続いております。体制というのはみんなに悪いというものではなく、どんな体制であれ相性の良い人と悪い人に分岐し、トップの個性に似たものを幹部に寄せるという習性があります。問題は、相性の悪い同士をどう処遇するのかに知恵がいるのです。切り捨ててばかりでは党の成長はなく、最新の医学理論においてもガン細胞でさえ共存させ免疫力をつけるのが肝要という理論が生まれつつあります。吉野さん、そういえば『さざ波通信』の編集部の皆さんの立場もそのようですが、果たして党改革はうまくいくかなぁ。
(途中ですが、長くなりますのでこのあたりで失礼します)