今回は、Kミナトさんが「末期癌理論」と呼んでいるものについて、掘り下げて検討します。Kミナトさんが、「末期癌理論」を考えるきっかけになった体験や吉野さんの経験は、党員として重苦しい記憶ですね。吉野さんの経験は私の経験とも共通するものです。暴力的な「つめ」をしていた幹部の顔が思い出されます。これはけっして過去の問題ではなく、批判的検討作業が必要だと思います。
まず、なぜ組織の維持・拡大を運動の強化と同一視する「積み木理論」が発生するのでしょうか? それは皆さんはどうお考えでしょうか? この点の解明を抜きにして、「積み木理論」の克服はないと思います。組織における数的拡大と運動の拡大を同一視する考え方が発生するのは、どんな運動組織にとっても避けて通れない普遍的なものではないかと私は考えています。組織を支える官僚や専従職員は、自らの存立基盤である組織の防衛を最重要課題として、その組織の再生産・維持に最大限の力を尽くすことになります。それは、組織内の強者・多数派にくみすることで自己の目的を果たすと同時に、強者・多数派による組織内の専制が可能になるわけです。官僚主義とは、おおざっぱに言うとこのようなもので、これがひどくなった組織には、組織の枠を超えた横のつながりという発想はそもそも出てこないでしょう。これが、「積み木理論」のおおもとにあります。
次は、その克服ための方法について考えてみます。Kミナトさんは、「積み木理論」に対して、運動における横のつながりの強化を主張し、それに「末期癌理論」と名づけています。この主張は、おそらく運動のことをまじめに考える人にとっては、これに同意しない人はいないというくらいにあまりに一般的な主張でしょう。しかし、運動団体が地域ぐるみで協同する場合、それぞれ個々の運動団体が上記のような官僚的組織になってしまっていれば、それはただの運動団体の集団に終わるのではないでしょうか? それらは全体として「積み木理論」に依拠した官僚組織のままです。
つまりこういうことです。おそらくKミナトさんは、横のつながりや「末期癌理論」ということで、1+1が3にも4にもなっていく運動を考えていると思うのですが、個々の構成組織がこれまでどおりであれば、1+1は2であり、ひょっとすると1.5になるかもしれない、ということなのです。
Kミナトさんの主張にはもう一つ重要な側面があります。それは「積み木理論」に「末期癌理論」を対置することによって、多数者をめざす党のあり方そのものが間違いで、少数者が少数派で留まってこそ官僚主義にも陥らずに横につながるダイナミックな運動ができるのだ、ということを暗示しています。Kミナトさん自身ははっきりとそう言ってるわけではありませんが。実は、先の投稿でも触れた宮崎学氏がまさにこの考え方を主張しています(『突破者の条件』)。
私は、はっきりこの考え方は誤りであると考える者です。
宮崎学氏が日本共産党で活躍していた頃、そしてその前も後も、党はある意味では一貫して官僚的組織であったんです。ただ労働者・学生の力が高揚し、党を押し上げている時代には、それらの力によって、党内の官僚的要素が抑え込まれ、問題があまり顕在化しなかっただけのことです。逆に労働者の力が弱まると、官僚的組織の弱点は誰の目にも明らかな形で現れ、官僚組織がふんばればふんばるほど、問題は先鋭化していくんだと思います。
ソ連や東欧を史的に検討してみても、それははっきりしているのではないでしょうか。
この意味において、これらの革命国家は(確かにさまざまな問題点を抱え、堕落していたとしか表現できないものですが)、労働者階級の力に直接的に依拠していたと言えます。それゆえ、労働者階級が市場の力に対して無防備になった瞬間に国家の崩壊という事態を招いたわけです。もしソ連や東欧諸国が、労働者の民主主義を強化させ、労働者による自治・管理を制度としてすすめていたならば、それは一定の物質的保障となり、そういとも簡単に崩壊するようなことはなかったのではないか、と私は考えています。
話を戻しましょう。
運動における横のつながりを有効なものにするには、やはり、個々の組織構成員の自治・管理能力を高めていくほかに道はないと思うのです。そして、それこそが「積み木理論」に対する最大の予防措置であると私は考えています。また、組織構成員の自治・管理能力を強化するために絶対不可欠となる条件、それが組織内民主主義ではないでしょうか。
その点、日本共産党が行なってきた少数派締め出し(党内民主主義の抑圧)と入党基準の緩和(組織構成員の能力が全体として低下)はまったく逆行しています。党中央が、「支部が主人公」と言いながら思い通りの成果をあげられないのは当然でしょう。組織内民主主義の強化は、中央委員会などの上級機関からのイニシアティヴが期待できないだけに、とりわけ党内では困難ですが、大衆を巻きこんで大衆団体からすすめていくのは可能でしょう。もとから困難な情勢だけに地道にやるしかないと思っています。