反論いただきまして、どうもありがとうごさいます。まず吉野傍さんの論点ですが、やはり党を先頭として築きあげてきた大衆団体の成果と陣地を守ることの重要性を評価する。そして、そこに何らかの欠陥が生じたならば枠内で、改革が可能である。
それから党の後ろについている人々に対し私が「小ブル」と言ったことに不同意である。そして、『国家と革命』に共産党の一党独裁の表現はない。そして私が言った横断的運動も一定の組織的陣地が無ければ絵に描いた餅だ、とのことで要約できると思います。
さて最初の問題ですが、そのこと自体(大衆団体の重要さや、体制内改革の可能性)正論だと思いますし、必要なことは分かっているつもりです。でも、?がつくんですよね。少なくとも、私が体験した大衆活動のあり様を見る限り。この商売をはじめるとき、家内が民商へ確定申告の相談で行った時、けんもホロロに入会を断られたんです。確か売り上げが少なくてここに来るまでのことはない。自分で税務署に行きなさい。とのことだったらしいです。私が言う「小ブル」にも私たちは入らなかったんです。
「小ブル」と言うのはどういう意味かとのお言葉ですが、文字どうりその当時の私たちより、裕福な人々という意味です。ということは、吉野さんの言われるような、権力も財産も無い一般民衆、というものではないですよね。
権力も財産も持っていますよ。ただうまく立ち回っている人が多いのでそう見えるのです。特に民商の会員さんにその傾向が強いようにうかがえるのですが。とても弱くて、貧困で、と言うのは共産党のパンフレットの中の話が多いのではないですか。
さて『国家と革命』においてですが、いま、手元にその本がありませんので、よく分かりませんが、共産党の一党独裁とプロレタリア独裁を取り違えたとしたら、私の誤りです。でも私の言いたかったことは、そこから官僚社会主義の弊害が発したのではないかということです。プロレタリア独裁から共産党独裁へ、それから共産党の官僚独裁へ発展するということを記したかったのです。
なお、このことと関連するかもしれませんが、トロツキーの「裏切られ革命」でトロツキーも経済5カ年計画を評価している、との指摘が吉野さんからありました。それで少し調べてみたのですが、実は5カ年経済計画を提唱
したのは他ならぬトロツキーではないかということなのです。この『裏切られた革命』は私が党から離れた時に捨ててしまったのですが、同じトロツキーの『ロシア革命史』(山西英一訳 角川書店版)を幸いにして持っており、そこにはこうあります。
「社会主義は、その諸要素と諸拠点が個々の国々で準備されるのでなかったら、世界的領域で実現できないであろう。一国社会主義の敵がほかならぬ工業化、計画化の原則、5か年計画、および集団化農業化の主導者であったということは、決して遇然ではないのである。」(第6巻、P.255~256)。
ということは彼が立案者ですから、自分の成果として『裏切られた革命』のなかで自画自賛したのではないですか。吉野さんの言われた意味で使われたのでしょうか?よく分かりません、誰か教えてください。
さて次の横断的運動も革新的陣地が確保できていなければ、絵に描いた餅だとのことですよね。この事はうなずけます。一歩一歩の拡大運動からです。私はかつて党員でありながら、党主導の大衆団体の世話になったことはありません。何しろ断られたのですから。もっと下層の者の話も聞いてほしいですね。
ここで澄空望さんの話にいきたいと思うのです。澄空さんは、党や大衆団体の改革は党内外の民主的な力でもってこれを遂行する。次に私のマルクス主義思想が欠陥だとのことに異議を唱えられ、ロシアや中国革命の失敗の本質は国家権力保持を強行し続け、労働者主導の自治・管理に移行することがついになかったことに求められています。そしてこのことの本質は、マルクス主義に欠陥を探すのではなく、ソ連や中国の労働者階級の力不足なのだということを主張されているのだと思います。
まず最初ですが、組識の改革を組識の良心的勢力でもって実行していく。当然そこには、当該組識の打倒を唱える勢力は加えられていないですよね。なぜなんです。弁証法的な考え方では、闘争があらゆる事物の中で現れ、矛盾の激化が、進歩をもたらすはずですよね。混乱が嫌だから、自分たちでできるものなら自分たちでということですか。あなた方は、この世を打倒するために、この資本主義社会に生きておられますね。
何ゆえ、あなた方の存在は良くて(資本主義社会の破壊と打倒の当該組識は共産党です)自分たちを倒そうとする団体・個人は駄目なんですか? あまりに狭量じゃないですか? それが党員の人権無視や、人間軽視の党の姿勢と直接連結していることに気がつかないのは何ゆえなんです。自らの党員の自由を弾圧する組識は、他の、自分達の気に入らぬ組識や個人を、反党団体・反党人士として、簡単にレッテル貼りして排除していきますよ。共産党を破壊・打倒する勢力を認め、その自由を保証することこそが、逆説的ですが、党改革や大衆団体改革の実をあげることになると私は思っています。他の人は見ていますよ。「何だ、共産党は。自分たちに逆らう勢力は抹殺も善しとするくせに、自分たちが弾圧されるとなるとカナキリ声をあげる」、と。
さていよいよ最後の問題、マルクス主義が欠陥思想であるかについてです。これまで私、いろいろと記してきたので多くは言いません。「国際共産党」日本支部として誕生したこの党は、母体の崩壊とともに自分の存在も宙に浮かして、足場を失って漂流しておるのです。澄空さんたちがどんなに言いつのっても、マルクス主義の理念は崩壊し欠陥思想であることを満天下に知らしめたと考えます。
「労働者主導の市民的自治」、結構だと思いますよ。その意味は実現できぬから。
人は変わり、運動の形態は変わっても一列平等の楽園はありません。新しい抑圧機構が生まれ、今度は「労働者主導の市民的自治」が、退廃と官僚主義に蝕まれるものと考えます。結局、「被抑圧者が抑圧者を収奪する」思想の敗北です。何回も同じ事を繰り返したくないので、レーニンの罪悪や、それに対するローザ・ルクセンブルグの批判を繰り返しません。
それよりあなた方党員が、なぜこのことを謙虚に、あるがまま受け止めないのが不思議です。案外、不破ー志位ラインが、一番よく理解していてある日、突然党名変更ということがあるかも。
思想に振り回されないことですよ。党のパンフレットをうのみにしてしゃべらないことですよ。