『さざ波通信』の意義とこの通信を運営する人たちの党規約上の問題について意見がなされていますが、私も参加させてください。
結論的にもうしますと、「いろいろ自由にやってみなはれ」ではないですか。党員であろうとなかろうと、それを言おうが言うまいが、パソコン上の政治論議さえままならぬような規約があるとしたら、規約を変えなさい。規約が変わるまでできないかというと、並行的に既成事実の成果を生み出しながら規約の変更を勝ち取りなさい。それが闘争というものであり、もともと左翼運動そのものがそういう性質――社会の不合理と戦うという――のものなのです。お上のいうことに従順な人は体制的に処世していく術を覚えようとしますが、もともと左翼精神はお上に面従腹背するところから生まれているのではないですか。さざなみ通信が規約上問題かどうかにこだわるのなら、党の人であれ党でない人であれまず左翼をやめなさい。原点に悖りますから。何でことの善し悪しよりも組織性をいの一番に重視しようとするのですか。これはまじめさではないの。単に奴隷根性なの。まじめさとは、抵抗精神の延長上と探求精神の延長上とのトライアングルな関係のうちにあるものであって、規律に服するだけなら右翼でもやくざでもオウムでも会社でもあるの。昔から支配者は手を変え品を変え坊主を使って説教してくれましたよ。不平不満を言わず黙々と働きなさい。来世にはいいことがあるからとかなんとかいっちゃって・・・・・。
ちなみに、日本共産党の目指す進路は議会を通じた体制内の漸次的改良であって、今にもすぐにも革命だとかいうものでもないのだし、何で組織理論だけえらく古風にボルシェヴィキするの。つじつまがちぐはぐだと思う。私は党員ではないから先の投稿で吉野さんに初めて教えてもらってますけど、この規約はいつごろに完成されたのですか教えてください、これも興味があります。いかにも宮本氏好みのつじつまあわせになっていますねぇ。一応上からの規制と下からの意見汲み上げと両方書いときさえすれば体面上は問題ないし、後はあめとむちでどうにでも料理できる。要は権力握ってる方が勝ちだ。容易には革命なんぞ起こさせはしないぞという風に読めますが。今日は少し悪酔いしてるのかなぁ。
この規約問題を問題にする精神についてもそうだけど、そういう人の頭の中身のぞいてみたくなるよ。恐らく気難し系の配線コードで一杯になっているのでないかなぁ。世間にもそういう人が多くて困るのだけれど、もっと単純明快に助け合い志向で行かなあかんよ。という理由はですねぇ、お互い稼働人生は50年、私の場合は後
20年、この世に生を受けて苦しきことのみ多かったけど、何とか面白系で努力したよ、たいしたことはできなかったけどという思いでバトンタッチしたらどう。この命が先か法が先かというとボア理論を受け入れない限りいわずもがなであって、千年も万年も生きるような考えで杓子定規に考えたり咎めたりしては駄目。もったいな
い。
今現在左翼陣営が抱えている諸問題は相当深刻な情勢にあると私は考えています。労働者大衆にとって、マルクス主義の登場以来いくら苦しくても押せ押せの左翼闘争をやっておれば良かったのだけれど、ソ連邦ができて以来祖国を守れ式の防衛的な面も出てきたし、今日のソ連邦ないし東欧共産圏の崩壊以来においては、戦いの陣地再構築の必要さえ出てきているというのが左翼の流れでしょう。ところが、面と向かってこのことを討議する党派が不在のような気がしています。本当のところここを解決しない限り、命をかけて闘争して良いものやらどうか不安になってきており、そういう意味において大討議場がいるのです。なお、このことをやれるとしたら、革命精神を粘り強く持ちながら民主主義的なルールを大事にする精神を持ち合わせている人でないと運営できないと思う。そういう資格がある人はと見渡せば・・・・・、そう、『さざ波通信』の運営者をおいて他にない。何となれば、「左翼遊び人」ではない人たちだから。