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一般投稿欄

党内民主主義は壊れている―Kさんの投稿に関連して

1999/7/5 木村

1.匿名であることはやむを得ない
 あることがらに関して討論するときに、その討論が何らかの意味で建設的なものになるためには、それなりのルールが必要です。そのルールは討論する場所によって異なるでしょう。政党の会議や労働組合の会議にはそれなりのルールがあります。また、新聞紙上の討論にもそれなりのルールがあるでしょう。インターネット上の討論は、メディアとしての歴史が新しいために、これがまだ確立していません。
 インターネットを媒介とした討論で留意すべき点は、①公開性が高い、②匿名性が高いという点でしょう。インターネット上の討論はこの2点の特徴を前提としています。公開性が高いからこそ高い匿名性が必要であることを理解しておかなければなりません。
 資本家も公安も共産党も誰でもこのHPを見ることができるのです。このような場で職場で闘っている一般の共産党員が実名を出して討論をするなどということは、考えられないことです。だから、匿名であることはやむを得ないことです。また、Kさんの意見も「インターネット上で実名を出して討論しなさい」と理解すべきではないでしょう。そうすると、つまるところKさんの意見は「さざ波が共産党員によって運営されているのであれば、インターネット上での討論をやめなさい」ということになります。
 この際、注意しておかなければならないことは、さざ波の設立趣旨や投稿の多くが現在の共産党指導部に対して「批判的である」ことが、Kさんがこの意見を出すこととなった前提になっているということです。内容が、共産党を全面的に支持しているものであれば、おそらくKさんはこのような投稿をしなかったと思います。

2.党内で批判的な意見や反対意見を出して討論することは事実上できない
 さざ波の運営にあたっている人たちが現在の党指導部に対して批判的な意見を持っていることは、このHPをちょっと読めばすぐにわかります。党指導部に批判的な意見を持っている人たちが、党内のルートを通じてその意見を出すことがどれほど困難であるかをKさんはご存知ないのでしょう。Kさんは「党員なら各級に質問する権利が保証されているはずです。意見を表明する自由もあります」といいますが、それは規約上の定めについて述べているのでしょうか、それとも、実態について述べているのでしょうか。もし、実態について述べているのであればそれは驚くべき事実誤認です。
 日本共産党にはたくさんの党員がいます。その中には多数ではないにしても指導部と異なる意見を持つ党員が存在することを否定する人はいないと思います。しかし、党大会や中央委員会では満場一致で物事が決まります。4中総でもそうでした。いつか開かれるであろう5中総でも、どんなことが提案されるかは知り得るはずもありませんが、その内容にかかわらずきっとまた満場一致になるでしょう。このようなこと―内容にかかわらずいつも満場一致―は、内部で本当に自由な討論が行われているか、を疑わせるものでしかありません。満場一致になるような特別な努力(作為)が存在しなければあり得ないことです。私もかつては「満場一致」は党の固い団結の証明だと思っていましたが、虚心に事実を見ますと、どうもそうではないようです。この努力すなわち特別な作為とは、党会議で上級の党会議(大会)への代議員を選出する役員選考委員会でそれぞれの思想傾向を検討して、反対意見の持ち主を選出しないということです。これは党機関の役員の選出についても同様です。
 本論から離れますが、「匿名」ということについていえば、(地区県段階での)党会議で提案される役員や代議員の名前は、議員や常任活動家を除けば仮名つまり匿名です。また、これらの人がどんな考え方をしているかについては、投票をする人たちにはまったくわかりません。匿名であることはともかく、これは改善されるべき点だと思います。このような選出方法は「民主主義」とはいえないということを認めなければなりません。
 共産党という組織は公表されたこと以外には、自分が所属する組織を越えた範囲のことはわかりませんので、反対意見があることもなかなかわかりません。反対意見を持った人が党からどのような扱いを受けるかということも一般党員である私たちにはほとんどわかりません。党内で自由に討論ができる状態ではなく、党内民主主義は壊れているという例を、公表されたことがらからいくつかあげます。
 たとえば、「新日和見主義」事件は長い間、私たち一般党員には何があったかよくわかりませんでしたが、最近、被処分者であった2名の元党員の著書が出版されたために、被処分者の側からの事実に関する見解を知ることができるようになりました。『査問』(川上徹著・筑摩書房刊)と『汚名』(油井善夫著・毎日新聞社刊)です。事実をありのままに読みとれば、彼らのやったことは分派とはとうていいえないものでした。このことは、処分した側の党幹部が「星雲状態」とか「双葉のうちにつみとった」とかという表現をしており、処分をした側でも分派と断定できない状態であったことが推察できます。この事件では、党中央の青年運動に対する方針、具体的には「民青同盟の年齢制限」などについて意見の違いがあったことは彼らも認めています。しかし、「意見の違い」以上のものを見いだすことは困難であるし、建前としては大衆団体である民青同盟との関係もからんでいるので、いちがいに、被処分者の側に非があるとは認めがたいものがあります。この結果、彼らは民青同盟及び党の機関から罷免という処分を受けましたが、被処分者が党外にこの事件を公表するなどのことをしてこなかったことは明らかであり、2人とも党籍をなくしてから上記の本を出版しています。この事件は「異なる見解を持ったことによる組織的な排除」と見るよりありません。党規約には「意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」とあります。この事件に関しては、党中央が規約に違反しているのではないか、という「限りなく黒に近い疑い」が成り立つ余地はないのでしょうか。
 この事件では党中央による「悲惨極まりない非人間的な査問」が行われています。私がこのように断定するのは、『査問』の出版後、「しんぶん赤旗」にその反論記事が掲載されましたが、このような査問の有無については一切ふれていなかったからです。川上氏も油井氏も中央幹部の実名をあきらかにして克明に査問の様子を書いています。これらの幹部の中には物故者もいますが、現役の幹部、名誉、顧問の幹部もまだいます。党の幹部から「そんな非人間的な査問をしていない」という反論がでるものと期待していましたが、『査問』出版後半年以上経過していますが、そのような反論を私は目にすることはありませんでした。「新日和見主義事件」は異なる意見を持った党員がどのように扱われるかという実例です。
 また、中央や各級機関に質問をしたり意見書を出したりしてもまともに取り扱ってもらったという話を聞いたことはありません。これらに関する実例を出すことは、「公開性の高い」メディアには適していませんから、これも公表されたことがらから述べます。(さざ波の投稿者のみなさんも個々の体験を述べる必要はありません。それだけで投稿者が特定できてしまうことがあります。)
 『汚名』の中で、著者が党大会向けの討論紙に投稿をしたところ、どのように扱われたかについて書いてあります。以下に最小限の引用をします。

私は一九九四年の第二〇回党大会に意見書を提出した。内容は簡記すると以下のようなものだった。
 ①訴願委員会を党規約改定案に明記したことに賛意を表明。その運営の民主的拡充など三点に言及。②離党者にたいするあと追い処分の問題。③党規約改定案が公開討論を明記したことを歓迎。党内紙誌の場合、一定期間公開討論を認めることを提案。
 ところが、大会議案処理事務局から『赤旗評論特集版』に私の意見書を掲載できない、と電話でいってきた。

 著者はどのような理由で掲載できないかということをただしたが、「党内問題だから」という一点張りだったということです。このやり取りをみると、事務局員の対応には背筋の冷たくなるような官僚臭を感じます。ともあれ、党大会用の「討論紙」(『赤旗評論特集版』)にさえも、「意図的な取捨選択」が行われていることを、私は初めて知りました。
 Kさんの「党員なら各級に質問する権利が保証されているはずです。意見を表明する自由もあります」という見解は、そのように規約に書いてあるということでしかないと思います。

3.現在の党指導部の政策、方針に疑問をもつのは不思議ではない
 時期的には、宮本議長の引退後に目立つようになったことですが、不破政権論、安保、自衛隊そして日の丸・君が代の法制化の要求などで、党の綱領路線に照らして疑問を持たざるを得ないものがしばしば見うけられるようになりました。例えば、日の丸・君が代については、今では「しんぶん赤旗」にも「法制化反対」の語句が掲げられるようになりました。これは正しい主張ですし私も当然賛成です。正しくなかったのは朝日新聞の雑誌『論座』アンケートへの回答です。この回答は党の従来の方針の変更だったわけですが、性質上は極めて重大な政策上、方針上の変更ですから、全党討論または党大会またはせめて中央委員会での決議を経るべきものであったと思うのですが、これは行われていません。結果的に、方針をいったん変更後ふたたびもとに戻したのですから、そのこと自体はいいのですが、党指導部が党規約の精神にのっとってきちんとした討論を組織していれば「法制化の要求」などという方針が出されることはなかっただろうと思います。したがって、このような指導部の行為は党規約に違反しており、「法制化の要求」は綱領、大会決定から逸脱している疑いが極めて大きいのです。この点に関して中央が自らこの誤りを認め、責任の所在を明らかにし、適切な処分を含む措置を取るべきです。現在の党指導部は「回復力」「自浄能力」を問われることになります。
 私はさざ波とはまったく関係のない一党員ですが、さざ波の人たちが、このような党の実態についていろいろと疑問をもったことは当然のことでしょう。

4.党内民主主義の確立は正しい方針を確立する上で欠かせない
 いままで述べてきたように、現在の日本共産党の党内民主主義は壊れているといってもよいと思います。いかなる組織も個人も間違いを避けることはできないのですから、批判されることがなければ、いつまでもそのことに気がつきません。日の丸・君が代についても四中総では満場一致だったのです。本来、全党の英知が結集されて、じゅうぶんな討論がなされるべき中央委員会がこのような状態であり、誰一人として党指導部に異論を述べる人がいなかったようです。中央委員会が党の方針を決定する上でその能力を欠如している状態ですから、このようなときには、一般の党員が率直に意見をいうよりほかにないでしょう。しかし、党内民主主義の現状は明らかに不健全であり、批判的な意見を公然と党の会議で出せるような状態ではありません。これを行えば執拗な追及が行われ、意見に関する検討が行われないばかりか、これを組織問題にすり替えて、組織的な排除をされる危険性が大きいのです。少なくとも宮本議長の時代はそうでした。意見を公表することと匿名であることが同時に満たされないと、現状では討論ができません。そうであれば、公開性と匿名性を特徴とするインターネット上での討論はそれほど不適切なものではありません。

5.さざ波では外部に持ち出してはならないような党内問題を討論していない
 例えば、政権論、安保、憲法、日の丸・君が代などはすべて公表されていることであり、党内問題とは考えられません。例えば、○○さんは共産党員だとか、支部会議がどこで開かれるとか、党内のこまごまとした人間関係に属するようなことなどを、ネット上で公開することは不適切なことであり、公開されるべきことがらではないことはいうまでもない常識的なことです。
 非合法時代の共産党でもないし、武装蜂起をしたボリシェビキのようなことはしないと中央は繰り返し公言しているのであるし、どのようなことが公表されるべきでない党内問題であるのかは、永年党員である私にもきちんとした定義ができません。私の不勉強であればご批判下さい。
 現在、さざ波で討論されている問題は基本的に公開されていることがらであり、党内問題を外部に持ち出すというような性質のものだとは思われません。

6.誤解や偏見の「もと」となる事実を解決することが必要
 Kさんは、さざ波が誤解や偏見を生み出すのではないかと心配していますが、「誤解や偏見」とは事実に反する理解やものの見方のことです。共産主義者はまず何よりも真実に忠実でなければなりません。現在「党内で自由に討論できる状態ではない」というのは事実ですから、これをかくして、党内には異論がなく、全党がすべての点で一致しており、常に満場一致であるといえば、このほうが偽りになります。
 また、Kさんは「共産党ってやっぱり自由がないんだ。やっぱり共産党はこわいな」という印象を党外の人が抱くのではないかと心配していますが、さざ波は「共産党はこわい」ということをそれほど感じさせることはありません。
 これをいうなら、一度、『査問』と『汚名』を読んでみて下さい。これを読むと、これが現代日本において行われたことかというような非人間的なことを党中央がやっていることになります。Kさんが「共産党はこわい」という誤解や偏見を抱かせないようにと心配するなら、Kさん自身がそういう事実がなかったかどうかを党中央に尋ねてみて下さい。そして、これらは公刊された書籍によって明らかにされている事実ですから、反論を公表するように頼んで下さい。
 これらの2冊の本を読めば、共産党員である私でも「共産党はこわい」と思います。しなければならないことは、「こわい」という印象をいだかせないようにすることではなく、そういう印象をいだかせる根拠となった「新日和見主義事件」に関する査問の事実などがあったかなかったかを明らかにし、もし上記の著者たちのいうような事実があったとすれば、その原因を組織原則にまで深めて検討し、ふたたびこのようなことが起こらないようにすることではないでしょうか。事実を隠蔽することはしないほうがいいでしょう。
 また、「『党の顔』である中央を攻撃している」としていますが、より正確には批判であります。例えば、日の丸・君が代の法制化の提案は党外の心ある人からも、ひんしゅくをかっています。これに対して党内ではまったく異論がないとすれば、このことの方がいっそう党への信頼を傷つけるのではないでしょうか。これは党内で討論すべきだとKさんはいうでしょう。しかし、実態としてこれができないということですから、ネット上でのささやかな討論はやむを得ないでしょう。