さっそくのご返事をいただきありがとうございます。討論の発展のために、掲載させていただきました。k同志自身はあまり討論を望んでおられないようですが、すでに討論は始まっていると思います。
まず、規約の問題ですが、「なぜこのサイトを開設したか」で説明しているように、われわれのサイトは規約第2条の第8項がいう「党の内部問題は、党内で解決し、党外にもちだしてはならない」には該当しません。党中央が公に発表している方針や政策はすでに「党の内部問題」ではありません。もしそれが「党の内部問題」なら、それを発表したこと自体が、規約違反に問われることになるでしょう。そんな馬鹿なことはないですよね。公式の党の方針や政策が内部問題でないなら、それを論じることも内部問題の党外への持ち出しにはなりません。なぜならそれはすでに党外に持ち出されているからです。われわれのこの言い分について具体的に反論してくださるようお願いします。
次にK同志は、私たちが本当に党員であるかどうか判断がつかないので、「中央がこのHPのことを知っても、時間と労力の無駄だから、ここに書かれていることについていちいち分析しないでしょう」と述べています。さらにまた、「あなた方が正体を明かさないうちは、中央もこのHPにある「異論」について考えはしないでしょう。つまり、あなた方が期待しておられる変化なり改革なりは進みようがありません」とも述べられています。私たちが本当に党員である証拠を示すというのは、事実上不可能なことです。しかし、『さざ波通信』などで書かれている内容を読めば、それが党員によるものであるのは、同じ党員ならほとんどの場合、確信していただけると自負しています。たとえば、私たちは、「日の丸・君が代」に関する中央の新見解が、党内での議論を経たものではないこと、ほとんどの党員にとって「寝耳に水」であったことをネット上でただちに指摘しました。これは、常日頃から支部会議に出席し活動に参加している党員だからこそ、実感を持って断言できたことです。
また、党員であるという確信が持てなかったからといって、ここでの異論が無視されるのは当然だというのは、非常に排他的な意見ではないでしょうか? 私たちが党員であるかどうか確信が持てなくても、それが複数の市民によるかなりまとまった意見であることは間違いのないところです。共産党というのは、党員でない者の意見には耳を傾けないという閉鎖的な政党なのでしょうか?
次に「敵の出方」論さんの投稿に関してですが、「敵の出方」論さんの投稿は次のような内容です。
「久しぶりにインタ-ネットをしてみたら、新しいホ-ムペ-ジがあったので見ました。このホ-ムペ-ジを開設された理由に同感しました。僕は共産党員ではないので、党の内部の事はよくわかりませんが、報道などでは、よく党内には自由がないとかよく言われているけど、本当なんですね。今のこうした状況を変えようと、末端の党員の人たちがやっているということはすばらしい。だいたい、今までの共産党に対するホ-ムペ-ジなどは、右翼的なものが多く、共産党の存在を根本から否定するものだったので、このようなホ-ムペ-ジができてよかったと思います」。
この投稿のどこが、『さざ波通信』が党にとって否定的な役割を果たしている証拠になるのでしょうか。むしろ、末端の党員が、自分の属する党の問題点について率直に認め、党をよりいっそう発展させる立場からその克服を目指していることがはっきりと理解されており、共産党に対する印象はよくなっていると思います。もし党員が、自分の属する党について肯定的な意見だけを述べ、あたかもいかなる問題もないばら色の世界であるかのように描けば描くほど、正義感の強い青年に不信感を与えることになるでしょう。
また、K同志は、それとの関連で、「あなた方(編集部)の共産党の捉え方は一面的」であるとおっしゃっています。まさにどの点で、どのように一面的なのかを、ぜひ指摘してください。このような具体的な議論こそが、討論を豊かに発展させ、共産党を真に強化することができるのです。
また、K同志は続けて、「「党の顔」である中央を攻撃している。党外の人が読んだら、党に良い印象を持ちにくいと思うのですが。(それともあなた方には党を攻撃するという隠された目的があるのですか)」とおっしゃっています。おっしゃるように、「中央」は「党の顔」です。だからこそ、その発言には政治的な責任がともないます。規約にあるように、中央は、下からの意見を十分に汲み取りながら、党の運営をしなければなりません。ところが、昨今、そのような基本的なことが行なわれず、大会決定の趣旨に反するような政権論が突如として持ち出されたり、これまでの立場と明らかに矛盾する新見解が、マスコミのアンケートへの回答として一方的に発表されたり、といった由々しき事態があいつでいます。「党の顔」たる中央がそのような無責任なことをしていいのか、という批判はまったく道理のあるものではないでしょうか? 「党の顔」に泥を塗ったのは、中央自身です。私たちはその顔に泥がついていることを指摘しただけです。
それとも、K同志は、党に良い印象を持たせるために、臭いものに蓋をし、「裸の王様」があたかも服を着ているかのように言いつくろうべきであるとお考えなのでしょうか。むしろ、共産党が、周囲から見ても明らかにこれまでと異なる路線をとっているというのに、党員から何一つ疑問の声が出ず、批判1つ見えてこない方が不気味であり、「党に良い印象を持ちにくい」結果になるのではないでしょうか。
最後に、「このHPそのものを攻撃するのではなく、利用して党が分裂している、間違っている、という宣伝材料にされるだろうな、という心配」についてです。このような心配が起こる心理については、私たちは実感としてよくわかります。私たちもかつてはそのように考えていましたし、どんな異論があっても表に出さないようにしていました。しかしながら、不破政権論以来の共産党の顕著な右傾化を見るにおよんで、このまま沈黙を続けることは、むしろ党を裏切る行為であり、党員としての良心に反することだと判断するにいたりました。私たちが軽率にこのサイトを始めたとは思わないでください。私たちは悩みぬいた末に、このようなサイトを開設するに至ったのです。
そして、このような内部からの動きを利用する反共勢力がいることも、十分予想のつくことです。しかし、敵に利用されるという言い分によって、これまで多くの正当な批判が封じ込められてきた歴史に思いをいたすべきではないでしょうか? かつて日本共産党が初めてソ連共産党を批判したとき、ソ連共産党の側は、共産主義の内部分裂を周囲に印象づけ、敵を利することになると攻撃を加えてきました。このようなソ連共産党の言い分は正しかったのでしょうか? それとも、敵の利用可能性に拘泥して重大な誤りに沈黙するよりも、誤りは誤りだと指摘することの方が、大局的には共産主義運動の利益に奉仕すると考えた側が正しかったのでしょうか? ソ連共産党を批判する分にはいいが、日本共産党を批判するのはだめだ、というのは、理屈に合わないダブルスタンダードではないでしょうか?
以上、いくつかのご指摘の点について、再度回答させていただきました。今後とも、ぜひ討論に参加してくださるようお願いします。それこそが真に党を強めることになるのです。