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一般投稿欄

Kさんへ

1999/7/9 木村

 「およびじゃない?(k)」を読みました。たぶん、Kさんはもう2度とさざ波のHPを見ないつもりかもしれません。あるいは、少なくとも2度と投稿をしない、という決意を固めているような印象を受けました。だから、私のこの投稿をもうあなたは見ることはないかもしれませんが、もし、見てくれる機会があるかもしれないというかすかな期待を持って書きます。
 かつて、党の会議で党中央の方針に反対する意見を述べた党員がいました。私の長い党活動の中でたった1回きりの経験でした。入党してから1、2年の時のことでしたから、胸のたかなる緊張感を覚えました。そのとき、党機関は積極的に反論をしてもらいたいと会議の参加者に訴えました。続々と厳しい反論が出ました。その反対意見は私も賛成できないものでしたが、よってたかって袋叩きのような様相を呈しました。道理を尽くして話し合うという感じではありませんでした。何かあとあじの悪い思いをしました。
 Kさんの投稿を見て、私は内心このことを懸念しました。こういうことにならなければいいが、と思っていました。編集部や吉野さんからの投稿に対するあなたの反論に対しては何もいうつもりはありません。ただ、れんだいじさんの投稿に関しては、感情的な傾向が強すぎるような気がします。れんだいじさんはその投稿を読めばわかるように特有のひねったものの言い方をされる方のようです。あなたは「愚民化」ということばにやりきれない不快感を感じられたのだろうと思いますが、これらのやりとりは「一般投稿欄」でのことであり、さざ波自身がそもそも公開の討論の場であることを考えて下さい。労働組合でも選挙の後援会でもこれぐらいのことを言う人はまわりにいくらでもいます。かならずしも敵対的な関係でなくてもしばしばあることです。民衆の運動というものはそういうものです。このような関係を内包しながら運動は進んでいくものです。さざ波はそういう立場で現代政治と日本共産党を考えようという趣旨だと私は理解しています。だからこそ、さざ波に批判的な投稿も公開しているのでしょう。
 たとえば、北島まやさんの「うじうじしてて、やな感じ」という投稿は、私とはかなり年齢差があるせいか、まだ私には完全に消化できません。また、「現在の日本共産党に賛成できないなら、さっさとやめればよい。何もそんなにこだわることはない」という趣旨の意見もあるでしょう。これらの意見に理論的な反論はできても、いまひとつかみあわないものを感じるので、何とか理解しようと思っています。
 どうかKさんがあまり感情的にならず、編集部の投稿や木村の投稿を内容的に検討してくださることを期待します。要点は3つだといってもいいと思います。1つは、今の共産党はちょっとおかしいということ、2つめは、現在の党内に討論の自由はない、3つめは、さざ波の討論は党規約に違反してはいない、というところだと思います。
 前回の投稿で書かなかったことですが、1つ追加をします。4.17問題をご承知でしょう。党中央はストライキをやめさせる方針を決定し、全党はこれに基づいてストライキをやめさせるために全力をあげました。その後、中央がこの方針は間違いであったとして、担当幹部が自己批判しました。しかし、中間機関には責任はないということでまったくその責任を問われませんでした。それが中央の方針でした。だけど、労働者階級に大きな損害を与えたわけですから、それにかかわったすべての党機関と党員にはそれなりの責任があったと思うのです。なぜそれぞれの党員が自分の頭でものを考えなかったのでしょうか。このとき、党の方針に反対した人がいたかどうかは知りませんし、もしそういう人がいたとして、党の方針を実行しなかったとしたら、その人は「党の決定に同意できないことがあるばあいには、自分の意見を保留し、また指導機関にたいし、自分の意見を提出することができる。ただしそのばあいも、その決定を無条件に実行しなくてはならない。」という規約に違反していることになります。したがって、処分の対象となるわけですが、この場合、正しいことをした人が処分の対象となり、間違ったことをした人が責任を問われないという奇妙な事態にります。規約のこの内容は「軍事規律」ともいうべき内容であって、革命運動の特殊な状況においてのみある種の正当性をもったものであり、現代日本の状況にはそぐわない内容なのです。
 Kさんはそういうことを考えてみたことがありますか。あなたが当然のこととして考えておられることのなかに、ひょっとしたら、検討してみないといけないことがあるのかも知れません。さざ波の投稿もとてもたくさんになりました。れんだいじさんの投稿も含めて、まじめなものがたくさんあります。それぞれの投稿者がそれぞれの苦痛に満ちた体験を経て投稿するにいたったことがわかります。かれらのまわりには志なかばにして党を離れていった人たちがきっと何人もいることでしょう。その人たちのことを思えば、残った私たちが言わなければならない、と思うのは私の独善でしょうか。どうかこれらの投稿をできるだけたくさん読んで下さい。その上で、まったくくだらないと思われるなら、私は何も申し上げることはありません。