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「植木のひーちゃん」へ

1999/7/9 れんだいじ、40代、会社経営

 どうやら私の議論には相手の方の神経に障る物言いをしてしまう癖があるようで、このたびも「植木のひーちゃん」を怒らしたみたいで恐縮しています。せんだっては「入一」さんとのやり取りでもそのようなことがありました。貴重な『さざ波通信』参加者を少なくしてしまっては申し訳ないと思いつつも、同じ口調のままに投稿しようとしています。この癖は直そうとしても私が私で無くなるような気がして、なかなか直しようが難しい。ごめんなさいと言うしかないですか。
 『さざ波通信』と知り合って以来、私は朝となく夕となく夜となく画面を閲覧するようになりました(最近覚えたばかりのパソコンですが、いろんなHPを散策するようになっています)。何だか楽しいのです。今まで続けてきた他の楽しみごと、例えば飲みに行くとか、碁を打つとか、他愛ない世間話をするとかも、それなりに面白いのですが、『さざ波通信』も生活の一部になろうとしています。
 こういう楽しみ方を共有したいと思う気持ちに理屈はいらないというのが私の考えです。組織に入ることによりこういう楽しみ方ができなくなるのであれば、組織なんぞいらないというのが私の考えです。もともと組織というのは、その組織構成力に自信があればあまり規制はしないものです。「いざ鎌倉」の緊急時にはそういう時用の動きが必要とされますが、日常レベルにおいては各人各位が自由に人生を研鑚していけばよいのではないでしょうかねぇ。この見地に照らしてみて興味深いのは、宗教的な教団・教徒においても排他性の強い宗派もあればそうでもないそれもあり、さしづめ創価学会は強い方と言えます。左翼党派の場合には、さらに強い組織性が強いられているともみなせますか。かってのべ平連系は珍しくこのドグマから逃げ出していました。もっとも、そのべ平連は今ではほとんど動きが見当たりませんので、やはり組織性はいるのかもということになりますが。この辺は研究課題かな。
 私が不思議に思うのは、現日本共産党の組織硬派性とそれを良しとする党内の風潮です。そんなにだいそれた革命を目指しているというのでもないのに(こういう言い方するから皆さん気に障るのかなぁ)ちぐはぐだなぁという気持ちがいたします。ついでに言ってしまおう。現日本共産党の組織硬派性は本当のところ革命に向かうために硬派であるというよりは、党の幹部の地位を安泰化させるための硬派ぶりでしかないのではないかなぁ。どなたか詳しく調べてみて欲しいけど、今の規約の通りにことを進めれば党の幹部の地位がひっくり返される確率は零ではないですかねぇ。社会に革命を持ち込もうとする政党の内部組織の革命性が零とは、これいかに。論理矛盾ではないですかねぇ。
 私が言いたいことは、この世の中に、絶対に正しいとする原理を持ち込んでみたり、こうすべきだとか決めつける統制はできるだけ少ないほうが良く、みんな手探りで妥当値を見出すべく努力するのが良いのではないのかなぁと言うことです。民主主義というのはこの精神に依拠しているのであって、活性化された大衆を要件としており、一見すれば君主制よりも官僚制よりも独裁制よりも非効率的かも知れないが、経過から見れば妥当値が高い。特に変化に適応する能力が秀でており、他のシステムは良いときには良いが、変な方向に向かい出したときには制御能力を失ったまま暴走したり陥穽化するという欠点を持つ。こうした点で民主主義はまどろかしくても丈夫であるということが評価されるべきではないかということになります。このような民主主義精神は社会に押し進められるべき近代社会の公理であり、それはそれを押し進めようとする組織自体が備えていなければならない原理ではないでしょうか。
 話を戻しますが、パソコン上での論議に何か要件がいるとしても、その禁止要件は少ないほうが良い。『さざ波通信』の場合、運営者が党員であるかどうかそんなことを詮索する意味がわからない。どっちでも良いでしょう。個人的には、党員の方の運営である方が論議に真剣さのリアリティーがあって良いと思いますけど。党員の方でなくて真剣に取り組むHPがあればそれも良いという程度の違いであって。(規約上の障害いかんについては既に述べているので省略します)運営者はどこの誰べえか名乗る必要があるとかになると、公安の提灯持ち以外にはそんなことを要求したりしない。ホント、左翼という立場がまるで放棄されている一般論だなぁ。そういう人が党員だとしたら僕には信じられない。そういう一般論は最近良くはやっているけど、世の中もともとそんな杓子定規にはなっていないと思うんだ。