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どうして「選挙・・・」?

1999/8/7 げじげじ、40代

 「党員又はシンパの人で『さざ波通信』を批判する人勢・・・」という文章が載っていました。たぶん私もその「シンパ」にあたるようですが、どうも誤解があるようですね。このHPに関しての私の考えは、何度もいうように党内部のさまざまな意見の対立を党外で解決しようということに対しての批判です。「選挙で不利になるから」等という問題ではないのです。選挙がどうであれ、「しかるべき議論」はしっかりとしなければならないでしょう。問題なのはその議論をどこでどのようにするかということなのです。「現在せっかく上げ潮傾向にある選挙」かもしれませんが、そのことの評価は別として、共産党が現在の「人民的議会主義」の立場をとってからも国政選挙は一進一退が実状でしょう。最近の「上げ潮傾向」がどうこうという問題ではないのです。
 「議会闘争」と「大衆闘争」との関わりについて議論するつもりはありませんし、勉強不足の私にはそういう能力もありません。ただ、気になる文章が幾つかあったので、私の考えを述べたいと思います。その1。「革新自治体」に関しての評価の問題。確かに京都・東京・大阪などの革新自治体の多くは保守に取ってかわられたり、「革新系知事がいつのまにか保守系知事」になってしまったケースはあります。ただ、だからといって革新自治体が「世の中を変えなかった」、「大衆運動エネルギーの膨大な藻屑であった」と断言していいのでしょうか?革新自治体のさまざまな政策がその自治体に住む人々の生活だけでなく、国政に与えた影響は結構あったのではないでしょうか。自治体やその議会・首長の選挙がどれだけ国政に大きな影響を与えるかは、東京の23区の一つにすぎない足立区にあれだけの攻撃がされたことを考えれば分かると思います。
 その2。「党又は党員は大衆を指導するとかの観点・・・」の部分で、「今日では生徒の親も学士様であり逆に先生が査定されたりします。それだけ先生はやりにくくなっているとも言えます。」とあります。これは本質を見ない全く皮相な認識です。生徒の成長を願い、民主的な学校作りを進めようとするならば、生徒の親が「能力的に高い」方が条件的にいいに決まっています。(「能力」のない先生にとってみれば、自分のいうことを何でもはいはいと聞いてくれる親はやりやすいのかもしれませんが) 親の教育レベルがあがってきていることを「やりにくい」と感じる姿勢は、常に自分を高い所に置かなければならないとする考えのあらわれでもあります。そのことは党(党員)と「大衆」との関係についても言えると思います。私は現在の党や多くの党員がそうだとは思いません。私の知っている党員の多くは大変誠実で謙虚です。先の文章を読むとむしろ書いている本人が高い地点から「大衆を指導する」観点に立っているように思えます。
 その3。言葉じりの問題。「便利な無賃労働者」という言い方。さまざまな困難な状況の中で献身的に全戸配布をしている党員の人々に対して使う言葉としてはどうなんでしょうか?
 最後に「党内部の問題」について『さざ波通信』の運営者の方々に質問します。『さざ波通信』では「私たちが論じるのは、すべて党が正式に発表した政策や方針であって、それはすでに党外の問題にもなっているからです。もし私たちが、このホームページにおいて党外の人には知ることのできない党内部の秘密を公表したら、それは『党内問題を党外に持ち出すこと』になりますが、私たちはそういうことを目的にはしていません。」と書いてあります。党内部の秘密を外に持ち出したら、それは「党内問題」云々のレベルではなく、スパイ、裏切り、党破壊というものではありませんか。党の方針や執行部に対する批判・非難を自分達の名前は出さないとしても公然と発表し、その議論の場を作ることは「党内問題を党外に持ち出さす」ことになるんではないですか?少なくても党外の私たちや一般のマスコミはそう感じると思いますが。