はじめまして、「裏事情通」と言います。共産党員です。党員の立場からみて、不思議に思うことがありますので、少し書かせていただきます。
さて、さっそく本題に入らせていただきますが、問題別討論欄についてです。特設討論欄(「日の丸・君が代」問題)で討論されている「日の丸・君が代」問題が全国的な議論を巻き起こしたきっかけは、広島の校長先生の自殺事件でした。そして、校長を自殺に追い込んだ広島の解同問題があったはずです。宮沢元首相からは、解同の「天敵」ともいわれる私たち日本共産党員にとって、校長先生の自殺と言うのは本当に残念な事件でした。広島では多数の教育関係者、特に同和教育関係者が自殺していますが、これまでの自殺者が直接の解同の圧力により自殺に追いこまれたと言われているのに対して、今回は解同と文部省の双方の板ばさみによる自殺ではないかと言われている点がこれまでとは違います。こんなことは、共産党員ならだれでも知っていることでしたね。その誰でも知っている問題に関する討論欄がありません。そうです。「解同」問題討論欄がありません。「日の丸・君が代」問題を論じようとするなら、必ず出てくるはずの問題です。『しんぶん赤旗』にも解同問題は盛んに掲載されているのに、ここ「さざなみ」では問題にもされていません。これは、党員としての意識が問(以下、文字化け)
「さざなみ」が自らを日本共産党員だと主張するなら、解同問題の討論欄を開設するのが当然でしょう。また、そうすることが、解同に直接、自殺に追い込まれた多数の同志たちへの鎮魂になるのではないでしょうか?
まさかとは思いますが、「さざなみ」氏は解同問題の重要性をご存知ないのではありますまいか?
編集部からのコメント
「裏事情通」さん、ご投稿ありがとうございます。
ご指摘の点ですが、まず、「裏事情通」さんは、今回の「日の丸・君が代」の問題が全国的な議論を巻き起こしたきっかけは、広島の校長先生の自殺だとおっしゃっています。もちろん、この問題も重要なきっかけであったのは事実ですが、より大きなきっかけは、政府自民党が「日の丸・君が代」の法制化を持ち出してきたことであり、よりさかのぼれば、広島の校長の自殺の前に、党中央が国旗・国歌の法制化を積極的に認める立場を打ち出したからです。まずこの点を確認しておく必要があるのではないでしょうか?
次に、「日の丸・君が代」問題を論じるためには、部落解放同盟に関する特設討論欄欄が必要であるし、そうでないと党員として問題だというのも納得できません。もちろん、「解同」の問題は重要な問題ではありますが、「日の丸・君が代」問題を論じるのに必ず同時に論じなければならないというのは、論理的におかしいのではないでしょうか? 『しんぶん赤旗』ですら、今回の「日の丸・君が代」法制化問題に関しては、その記事の圧倒的部分を政府自民党と文部省に対する批判にあてており、部落解放同盟に対する批判はごく部分的であり、その掲載回数もごくわずかでした。また、党創立77周年記念講演会で、志位書記局長とが記念講演をし、その中で「日の丸・君が代」の法制化問題にも触れていますが、解放同盟のことはまったく触れられていません。もし、「日の丸・君が代」問題を論じるにあたっては必ず「解同」問題も論じなければならないのなら、そしてそうでないと、党員としておかしいというのなら、そうした批判はまず何よりも、『しんぶん赤旗』の記事の多くと志位書記局長の講演に向けなければならないでしょう。
「日の丸・君が代」問題を、「解同」問題と区別して論じることは十分可能であり、ましてや、特別討論欄を設けるほど、現在、「解同」問題が当面する重要な政治課題になっているとも考えていません。もちろん、「裏事情通」さんが、「日の丸・君が代」特別討論欄に投稿して、その中で「解同」問題を取り上げ、「日の丸・君が代」問題と「解同」問題とを結びつけて論じるのは、大いに結構なことです。そしてその投稿に対して、さまざまな立場から議論がなされれば、それは積極的な意味を持つことになると私たちは考えます。