『さざ波通信』へ
元党員だった者ですが、このホームページが、日本共産党中央への批判的立場での討論の場となっていることに敬意を表したいと思います。かつて考えたことと重なることがかなりここではとりあげられています。皆さんの議論とかみ合わないであろう勝手なものですが、感想・意見を述べさせていただきます。
①ロシア党10回大会「分派禁止」の問題が論じられていましたが、それについては「反スターリン主義」の陣営では以前からその「真相」は指摘されてきたし、かつて藤井一行氏などが論じられたことですね。問題なのは、この21世紀間近の現在、化石化した反民主的「民主集中制」が日本共産党において生き延びていられる背景をきちんと見ることではないでしょうか。
日本の社会の中に、自立的・批判的に物事を見ることができず、まともな議論が成り立たず、同調圧力が強いことが、スターリン主義を生き延びさせてきた大きな背景での一つ思います。
それをどう打破するのかということは、結局、日本社会変革の展望と密接不可分な課題にもなるのではないでしょうか。
②その際、たとえば、7/5の発言(「うじうじしてて・・・」)のような、論理も主体性もない「茶化し」と揶揄しかないような文章が、党内の若年層からあがっていることも無関係ではないと言いたいです。
大企業の中で一貫して「党の旗」を掲げ、民主主義のために人生を賭して闘ってきた党員の方々がいる反面、こうしたほとんど自民党支持層の(今となってはその一部の)ムラ社会的心性に通底するようなメンタリティが党内で再生産されているらしいことに、そこまできたのかという恐ろしい感じを受けました。
③「科学的社会主義」の「教科書」を求める発言もありました。それにも危惧を感じます。「教科書」などという安直なマニュアルから何が切り開かれるのでしょう? 「科学的社会主義」なる真理の体系(?)があるとも思いませんが、学びたいなら無数の書物と現実が目の前にあるではないですか。今まで書かれてきた科学的社会主義(マルクス主義ともマルクス・レーニン主義とも)の公式教科書で、真理や実践に真の意味で役立つものがあったとは思いません。
④『さざ波通信』のみなさんは、社会主義をどのようなものとして考えられているのでしょうか。レーニンが当初考え、現在ではまったく破綻した一国一工場のようなものではないと思うのですが、「国民が本当に主人公になる社会」というような無内容なものなのでしょうか。基幹産業を国営化した市場経済(つまりは社会民主主義・福祉国家の枠内)なのでしょうか。私は市場経済を廃棄することはできないと思います(その意味で社会民主主義を肯定します)が、どのように考えていらっしゃるのでしょうか。
⑤失礼ながら、私は、日本共産党が若い世代を相対的に惹きつけられていないことは、若い世代の健全さの証でもあると思っています。しかし、もちろん、そうした世代の中でも、政治的な関心をもち、戦後民主主義を守るなどの点で、日本共産党に参加されて悩みながら活動されている皆さんの努力・模索は、貴重だと考えております。
非常に僭越な言い方だと思いますが、私は若い世代の抱えている生活の中の矛盾を言語化し、理論化していく努力を徹底してやっていくことが大切なのだと思っています。それには、既成の「科学的社会主義」などほとんど役に立ちません。そう言い切ることは社会主義思想を貶めることではけっしてありません。
現実の生活の具体的事実に徹底的に寄り添って考えないと、宙に浮くだけです。おそらく、一つの焦点は「人間関係」でしょう。それは、個人的であると同時に社会的な事象です。その現実を分析するツールだって、社会学・心理学をはじめとする諸科学において、「科学的社会主義」なる教義が生まれてきた時代とは、比べものにならないほど、格段に進歩し豊かになっています。そうしたものを学び、周囲の人々と豊かなコミュニケーションをもって、自分の頭で考え抜くことこそ、今求められていることではないでしょうか。
⑦私は、批判的・自立的に考える人々が、増えていくことが民主主義の発展に不可欠だと思っておりますが、そのことの緊張や労苦に耐えられない人が教義や「決定」をご本尊にして「安心立命」したいことに対して、非難することはあまりしたくありません。少なくとも、批判的・自立的な思考と実践を妨げないでくれるなら。
マルクスやレーニンやローザやグラムシがやったように(彼らのような能力はないにしても)「すべてを疑い」、自らの成果をも批判し尽くすようなことをめざすことはできると思います。その意味で、『さざ波通信』の皆さんの動きが発展することを願っております。
⑧現在、古い共同体主義や国家主義を復活させようと焦っている人々が右往左往していますが、彼らに未来がないのは明白です。現在の若い人々の中には、権威や命令に言うがままにされない、健全なものが広がっていると思います。「イヤなものはイヤ」と言い、既成の生き方を忌避する身体レベルの志向は、けっして単純に否定すべきミーイズムでありません。若い人たちの逸脱を伴う模索も、来るべき社会では貴重な財産になると思います。その意味で、深部において、社会はやはり前に進んでいると断言したいです。
マルクスやレーニンの時代と違って、私たちはあくせくした毎日の中でも、資本主義のもたらしてくれた文化・趣味を享受したり、こうしてパソコンを使ってコミュニケートできるのです。
立場や意見は違っても、議論を深め、批判しあうことで連帯しあうような関係は、これからも広がっていくと思います。
⑨最後に。自己満足的で抽象的な文章で申し訳ありません。でも、意を汲んでいただける方はいらっしゃると思います。
勝手な文章ですので、編集部の判断で掲載されなくてももちろん結構です。皆さんのご活躍とご健康を願っております。
編集部からのコメント
ご投稿ありがとうございます。内容からして貴重なご意見ですので、当然ながら掲載させていただきました。「社会主義」の問題については、いずれ本格的な議論を『さざ波通信』でしていきたいと思いますが、当面は、「問題別討論欄」の「科学的社会主義」の欄で、編集部メンバーを含めた試行錯誤の議論をしたいと思っています。