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「ご批判は内容に沿って行なうべし」について>澄空望さんへ

1999/9/22 げじげじ、40代

 9月16日の澄空望さんの投稿に対しての意見を述べます。

(1)「揚げ足取り」について
 「地方議員」さんに対する私の投稿がどうして「揚げ足取り」になるのか、まだ理解できません。「地方議員」の党機関に対する批判は、さまざまな言葉を使ってされています。そして澄空望さんが言う「わずかであるとはいえ、その根拠としての具体例」として出されているものは、『前衛』論文に対しての「愛はどうなるのだ」、「議会報告への注文」、「遠方の視察についてのクレーム」でしかありませんし、それだけではその内容について論ずることはできません。(当然、「議会報告への注文」などがどのような内容のものであったかを書けば、「地方議員」さんが特定されてしまうので書けないとは思いますが)そういう投稿文において、「地方議員」という立場の党員が、あれこれと党(指導機関)を批判する言葉を並べることに対して批判するのが、どうして「揚げ足取り」になるのでしょう?「次の選挙で候補者からはずされる結果になるかもしれません」とまで言っています。そういうことに対して、批判することが「揚げ足取り」なのですか?インターネット上における言葉(ニュアンスも含め)の持つ重要性をもっと認識すべきではないでしょうか?
 また、澄空望さんは次のようにも述べています。

党機関にも欠陥があることを述べることが、不信感を生むというのであれば、党機関に対する批判はするな、ということになってしまいます。

 私はそんなことは言っていません。党の内部でしっかりやってほしいと思っています。党中央も含めて、間違いはあるでしょうし、改善すべき点だってないとはいえないでしょう。

(2)蟹瀬さん(専従)の投稿について
 澄空望さんは「『げじげじ』さんは前回の意見は撤回され」と書いていますが、私は何も撤回していません。補足するために新たなことはもちろんさまざま書いていますが、けっして撤回はしていません。「・・・そうです」、「・・・ようです」という伝聞の形式をとっていても、党内の問題を専従という立場の党員がすれば、「事実」として広まっていくのは当然でしょう。実際に、それが「事実」であるという前提での議論があるではありませんか。そして、私がより問題にしているのは、そういう「党内の秘密」をインターネット上で専従という立場の党員が流したということです。もし、蟹瀬さんが、専従が問題を起こしたときの個人責任と組織としての責任の問題、組織運営上の問題の改善を提起したいのであっても、澄空望さんが言うように「具体例として今回の事件に触れる必然性はなかったかもしれないと私は考えます」の通りなのです。
 また、私は和歌山の「いじめ告発HP」と、この議論を直接結びつけて出しているわけではありません。インターネットが一方で持つ危険性を指摘し、そういう認識を持つ必要があるのではないかということで出しているのです。また、蟹瀬さんの投稿でただちに加害者・被害者が特定されるとも言っていません。ただ、それを党の攻撃に利用しようとする立場の公安や一部のマスコミによって特定されうる方向に進んでいく可能性はないとはいえないでしょう。

(3)党内民主主義について
 『さざ波通信』のあり方について、党の統一と団結という観点から批判することが、どうして「審判を下す」ということになるのですか?現在の日本共産党にしろ、このHPにしろ、その評価や判断は歴史と実践の検証を待つしかないのは当然でしょう。だからといって、日本共産党やこのHPに対する批判はできないというものではありませんよね?相手の批判に対して、「それは『審判を下す』ものである」という立場は、議論そのものを否定するものではありませんか。
 澄空望さんは「『さざ波』の試みを党内改革の一環として捉えています」といっています。違うのではありませんか?党外の、しかもインターネット上の匿名性のうえに議論の場を作り、それによって「党内改革」を呼びかけ、党中央に「改革」を迫っているのでしょう?これは明らかに党外から「党内改革」を迫るもの以外ではありませんよね。

(4)「内容」とはいったい何をさすのか?
 よく分からないのですが、澄空望のいっている「内容」とは何ですか? 専従という立場の党員が、党や民青の公表していない問題をHP上で流したことに対する批判は、このHP上での「内容」に当たらないのですか? 「揚げ足取り」でしかないのですか? このHPの役割や性格について述べることが「揚げ足取り」になるのですか? 投稿者の希望する論点だけが「内容」で、その投稿する立場、その投稿の持つ意味などについて述べることがどうして「内容」から外れ「揚げ足取り」になるのですか? 「党の政策や現状分析などといった重要な議論」が大切で、「このような議論は『さざ波通信』にとっては二義的なもの」なのですか? もしそうだと思われるのなら、澄空望さん自身がそういう議論から撤退されるべきでしょう。少なくとも『さざ波通信』編集部はそういう立場ではないと思いますが。

(5)最後に
 澄空望さん「個人の経験」については、あえてコメントしません。
                        細かいことですが、私が「教育関係者」である云々について。「教育関係者」であれ、「会社員」「自営業」「アルバイター」であれ、このHP上での(少なくても今回の)議論においては意味を持つものではないでしょう。党員、非党員、議員、専従という立場の違いは重要な意味を持ちますが。「教育関係者」という相手の立場を例に出して「感想」を述べていただきましたが、私だったらそういう「感想」はいいませんね。
 また、私の投稿に対して「これは、討論を装いながら、実際には判決文を手にした裁判官の態度ではないでしょうか?」といっていますが、先ほども書いたように、そういう立場は、相手との議論を否定するものでしかありません。つまり、澄空望さんこそが「思い上がり」「挑発」という「判決を下す裁判官の立場」ではないでしょうか?