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「党外」と「党内」

1999/9/27 浩二、40代

 9月26日付、澄空望さんの「げじげじさんとの議論について 」に関連して投稿いたします。
 日本共産党は日の丸・君が代問題のとき、国民的討論なるものをさかんに呼びかけていました。けれど私は、日本共産党のいう国民的討論の意味が、どうにもすっきりと理解できません。
 日本共産党の公式サイトには掲示板がありません。中央に寄せられたメールの集計も発表されません。国民的討論をあれほど口を酸っぱくして言うのなら、日本共産党は自分自身の公式サイトに掲示板を設けるなり、メールの集計発表をするなりすべきだと思います。もちろんこれらの手段は、それがすべてだと言うつもりはありません。あくまで国民的討論の一部をなすものです。盗聴法案が提出されたとき、民主党は盗聴国会なる掲示板を公式サイトにあらたに設けました。日本共産党にしても、通常の掲示板がいやなら、せめてタイミングのいい時期を見計らってああした試みをすべきです。日の丸・君が代問題はまさにその絶好の機会でした。しかし「日の丸・君が代臨時国会掲示板」のようなコーナーは日本共産党の公式サイトにはついに現れませんでした。
 国民的討論をさかんに呼びかける日本共産党が、実質的な運営からみて過去の遺物でしかない民主集中制を盾に、党員の起こす議論を「党外」と「党内」にことさら分けようとするのはなぜでしょうか?国民的討論を呼びかける日本共産党の党員が、なぜ「党外」だ「党内」だといって手足を縛られなくてはならないのでしょうか?
 党員が支部の財政状況に関する情報を外部に出したり、党員名簿をマスコミに売ったりしたという場合は、これを「党内問題を外部に持ち出した、党の秘密を売った」と非難し、厳しい処分を科すのは当然です。しかし、党が公にしている方針なり政策なりについて、党員自身が異論を出したり議論したりするのは当然のことであり、その場所としてインターネットを利用するのも、今や時代の趨勢として認められてしかるべきです。
 過去の除名処分などを見ていると、「党外」か「党内」かの判定はすべて党中央に委ねられています。財政や名簿といった、組織として秘密にするのが当然である情報を外部に流したわけでもないのに、雑誌に投稿したという「罪」で除名された方が何人もいる。最近はさすがにこういうケースは見かけなくなりましたが、このようなケースで除名するというのはもはやできないのでしょう(やった人もいないし)。
 たとえ茶番であっても自民党や民主党は党首選挙をやっている。党内で異なる意見があるというのをテレビで知ることができる。このようなご時世にあって、日本共産党が「党内問題は外部に持ち出さない」規定をもって除名などの事象を説明することは困難になってきていると思います。「閉鎖的だ」という印象ほど致命的なものはないでしょう。
 時代の趨勢は情報公開です。これは「ブルジョア的なもの」ではありません。情報公開は、ブルジョアもプロレタリアも関係なく、人類にとって必要欠くべからざるものです。日本共産党は、公式サイトの作りにしても民主集中制にしても、時代の趨勢にまっこうから対立しています。あらゆる局面において先見性を誇り先駆性を誇ってきた日本共産党は、今や古色蒼然たる体質の中にあえいでいます(と私は感じます)。
 日本共産党がどれほど右傾化して国民の「気分」に擦り寄ろうとも、根幹である情報の扱いがでたらめで情報公開の姿勢が見られないとしら、日本共産党に対する心底の信頼は永遠に得られないでしょう。たとえ一時期な躍進が得られたとしても、です。