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一般投稿欄

げじげじさんの投稿をめぐって~噛み合った議論を~

1999/9/12 澄空望、30代、会社員

 この間「げじげじ」さんのご投稿をめぐり、編集部の方を含めて議論がなされていますが、どうも噛み合った議論になっておらず、歯がゆい思いをしています。議論に少しでもまとまりを持たせることができたら、という思いで投稿することにしました。私は基本的に『さざ波通信』編集部を支持する立場ですから、「げじげじ」さんへの批判という形で議論に参加します。

1、揚げ足取りではなく内容に即した批判を
 「げじげじ」さんの7月24日のご投稿では、『さざ波通信』は「日本共産党のよりいっそうの発展強化」からは離れたものになっていると主張されています。党員からのメッセージが少ない、またメッセージがあっても、党にマイナスイメージを植えつける、という2点をその根拠にしています。
 党員の方からのメッセージは、その後増えつづけているようですし、マイナスイメージを植えつける、という主張についても、最近の「げじげじ」さんのご投稿を読む限り、「頭がコチコチ」などという言葉の揚げ足取りでしかありません。ここであらかじめ断っておきますが、このような表現は不適切であり、場合によっては討論自体を不可能にしてしまう表現であり、何らかの討論に参加する以上は使わない方がよい言葉であると私は考えています。その点に限って言えば、「げじげじ」さんと同意見です。もし「頭がコチコチ」などという表現がピッタリだと思うのであれば、それを具体的に状況説明しないかぎりいかなる討論も始まりません。『さざ波通信』の投稿者には注意していただきたいと思います。しかしながら、それらの言葉を度外視して、その人が投稿で主張していることを正しく汲み取らなければ、討論にならないことも事実です。「げじげじ」さんには、その姿勢がまったく欠落しています。
 「げじげじ」さんが問題にされていた「地方議員」さんのご投稿の趣旨は、(支部というよりも)党員それぞれが主人公になって活動をしている限り、党は大丈夫だろう、ということです。私もその通りであると思いますし、この投稿から党にとってマイナスの要素を感じることはできませんでした。
 また、「げじげじ」さんは、「蟹瀬」さんの投稿について、「無責任な発言」はやめよという趣旨の意見を述べておられますが、私にはこれが教育関係者の口から出た言葉だとはにわかには信じられません。「蟹瀬」さんのご投稿は、事実は事実として表現し、伝聞は伝聞として表現し、自分の意見は自分の意見として表現しており、非常に誠実な文章であると思います。これは何らかの討論においては最低限必要なことです。内容についても、党内の秘密ではありませんね。党員でもある大衆団体の幹部が、女性がらみの事件を起こした、この事実は、当事者・家族・周囲の人にとってみれば、けっして党内問題ではありません。これを党内の秘密として隠しておくべきだと「げじげじ」さんは主張されるのでしょうか?

2、『さざ波通信』とその批判者の対立点を正しく捉えた議論を
 7月30日の「げじげじ」さんの投稿では、党における歴史の教訓は「統一と団結」であるとされ、「党内部での改革の努力を放棄しないで、粘り強く追求していってほしい」という主張が展開されています。この主張は、その後『さざ波』が「内部の対立を党外で解決」(8月7日)しているとか、「党内問題を党外へ持ち出す」(8月7日)ものであるという主張になり、それが「分派」ということになるのでは(8月20日)と発展しています。また、「圧倒的多数の党員」がそれゆえに『さざ波通信』を「無視」するのだという結論づけ(8月14日)、そしてこの数日は、個々の投稿者への警告が始まっています。
 この経過をみて思うのは、これまで党内で行なわれてきた少数派排除の論法・手法にそっくりだということです。まずは、『さざ波通信』編集部の方がこのような挑発に乗せられないように希望します。
 「げじげじ」さんの勇ましいタイトルや論法に誤魔化される読者もいるかもしれませんので確認しておきますが、『さざ波通信』編集部の方は分派をめざさないと明言しています。これは「げじげじ」さんが、党の歴史の教訓とされている「統一と団結」の立場を踏まえたものでしょう。党内民主主義の改善については、「げじげじ」さんも認めており、『さざ波通信』編集部も同じ立場を表明しています。問題はどこに対立点があるかということです。
 「げじげじ」さんの主張について、その勇ましい修飾を剥ぎ取るならば、『さざ波通信』編集部の方との対立点として「党内民主主義」についての考え方と「分派」についての考え方、そして「統一と団結」という概念の理解のしかたの違いが浮かびあがってきます。
 まず「党内民主主義」について、方針決定という点からみてみましょう。「げじげじ」さんは、その投稿で何度も言われているように、日本共産党がその方針について、党大会前の討論誌の発行という形で党内討論を保証していると考えられているようです。党内民主主義の発展としては、運営面の改善が必要だと述べているだけです。それに対し、『さざ波通信』編集部の方は、これまでの討論誌だけでは十分だと考えなかったがために、このようなホームページを立ち上げられたわけです。なぜ十分でないのか、『さざ波通信』編集部の方は、さまざまな形で意見を表明していますが、「げじげじ」さんは、現状で十分であることを説得的に説明していません。それにもかかわらず、げじげじさんが「統一と団結」を破壊するものだと一方的に主張されても誰も納得できないでしょう。
 次に「分派」についての考え方ですが、げじげじさんは、「分派」を「統一と団結」を破壊するものであると主張されています。これは、これまでの党の見解そのものですから、説明は不要でしょう。一方の『さざ波通信』編集部の考え方は、党内民主主義を発展させていけば、自然に分派もできるという考え方です。これは、「げじげじ」さんが想像されているような「党内民主主義に分派が必要だ」という偏狭な考え方ではありません。それは、吉野さんが説明されているように、現在の日本共産党よりも党内民主主義が広く認められている革命前のロシアや現在のヨーロッパの党などで、事実として存在しているわけです。そして、それらの党が、党としての「統一と団結」を保持していることも事実です。
 最後に、「統一と団結」についてですが、これは日本共産党においては「分派」と対立させて用いられることの多い概念です。これについての私の考えは、原則的に言えば、労働者階級としての「統一と団結」であるべきだと考えています。労働者階級として、あるいは被抑圧者、被支配者としての闘いにおいて、いかに「統一と団結」を守るのか、これが日本の左翼・民主勢力にとって死活問題であると考えています。しかしながら、日本共産党におけるこの概念は、あくまでも党における「統一と団結」であり、これまでの党史において、党は「少数派」を党外へ放り出すことによって、また他党派との闘争によって党の「統一と団結」を守ってきました。このこと自体を私は否定的に評価するつもりはありませんが、革命党の姿勢としての「統一と団結」としてはこれだけでは不充分であり、ともすれば一党主義(=分派主義、セクト主義)とも思われる傾向をもっているとか考えています。この点は『さざ波通信』編集部の最新の文書でも、「一党主義」と言われており、編集の方は明言されていませんが、おそらく私の考えと同様の考え方がその背景にあると思います。
 いずれにしましても、「げじげじ」さんが、自己の主張を「統一と団結」を守る日本共産党の教訓と一致したものだと解釈されるのは自由ですが、自己の主張とは違うというだけで、「統一と団結」を破壊するものだと考えるのはただの思いあがりと言わなければなりません。今後はこのHP上で噛み合った議論が展開されることを期待しています。