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危険な方向に進みつつある『さざ波通信』(4)>澄空望さんへ

1999/9/14 げじげじ、40代

 9月12日の澄空望さんの投稿への感想・意見を述べます。編集部からのコメントについては、重なる部分もありますが、別に投稿するつもりです。
*この間の私の投稿でいくつか引用ミスがありました。訂正してお詫びします。時間がない中、投稿文の十分な検討もしないままに出してしまいました。他意はありませんのでご容赦下さい。
(1)「揚げ足取りでなく内容に即した批判を」について
 澄空望さんは私の最近の投稿が「『頭がコチコチ』などという言葉の揚げ足取りでしかありません」といっていますが、私の文章を読んでいただければ、「頭がコチコチ」などといったことについては内容的に大きな位置を占めるものではないことは分かっていただけるのではないでしょうか。私がこの間の投稿の中で常に強調していることは、「『さざ波通信』の性格上、このHPに批判的な党員の方々が議論に参加しづらい状況で、党への批判、場合によっては、根拠のない主張までは一方的に流されることに対しての強い疑問と不満」であって、単に言葉尻がどうこうといった問題ではありません。ただ、討論においては言葉尻も含めて、相手を尊重する立場・姿勢がなければ、その討論から生み出されるものは少なくなってしまいます。とりわけこのHPは編集部の方はもちろん、多くの投稿の基本姿勢は、日本共産党のより前進・発展を願う立場のものであるはずで、そういうHPにおいては、討論の相手に対する言葉遣いも非常に大切であると思います。
(2)蟹瀬さん(専従)の投稿に関して
 澄空望さんは「『蟹瀬さん』のご投稿は事実は事実として表現し、伝聞は伝聞として表現し、自分の意見は自分の意見として表現しており、非常に誠実な文章である」と言っています。確かに誠実な文章であるかもしれませんが、ここで問題なのはその誠実さではなく(もちろん討論の前提としての誠実さは大切ですが)、その投稿の内容やインターネット上で公表することについての是非です。蟹瀬さんの投稿が一部伝聞に基づいており、たとえそれが事実であっても、また蟹瀬さんの言う「事実」がそうであったとしても、党や民青が公表をひかえている問題をインターネット上で持ち出すことは、その影響の大きさも考えれば「責任ある発言」とはいえないのではないでしょうか。たとえ伝聞という形をとったとしても、専従という立場の人間の党内問題での発言は、事実として受け止められ、広がっていくのではないでしょうか。
 また、「この事実は、当事者・家族・周囲の人にとってみれば、けっして党内問題ではありません」いっています。確かにその通りです。ただ、党や民青がその問題を「被害を受けた方のことを考慮して」公表をひかえたもとでは、それが公表されるかどうかは最終的には当事者や家族などの人の判断であります。その問題の内容がはっきりしないので何ともいえませんが、党や民青の側が当事者のことを配慮して公表しないということはありうることです。党や民青が、その問題を「隠した」というからには、当事者の人などに対しての何らかの圧力がなければいけませんが、そういう事実は出てきていません。以上のことを含めて、はっきりしないことが多いもとでの討論はあまり意味を持つとは思いません。さまざまな憶測を生み、それが党や民青に対しての不信感をにつながるような投稿を、専従という立場の人がしたことに対しての批判を私はしているのです。
 澄空望さんは、蟹瀬さんの投稿に対する私の意見について、「これが教育関係者の口から出た言葉だとはにわかには信じられません」と述べています。私が教育現場にいる人間であるということは、以前の投稿で明らかにしていますので、それに対して澄空望さんが「信じられない」といっても、ああそうですかというしかありません。あえて、私が「教育関係者」であるという証明をしようとも思いません。こういうふうに私が書くことに対しても「揚げ足取り」ということになるのでしょうか?
(3)「地方議員」さんの投稿について
 澄空望さんは「地方議員」さんからの投稿から「党にとってマイナスの要素を感じとることはできませんでした」といっていますが、はたしてそうでしょうか?「地方議員」さんの投稿内容は、党の指導機関に対する批判、大衆的前衛党としての党のあり方に対しての疑問を提示し、それに「支部の同志たちがまじめにがんばっている限り、我が党が大丈夫」であるということを対置する形で展開されています。つまり、党(指導機関)はだめだけど、支部の個々の党員、議員ががんばっているから大丈夫なんだということです。この議論は党(指導機関)と個々の党員を対立させ、党(指導部)に対する不信感を生み出すものでしかありません。
(4)党内民主主義について
 澄空望さんは党内民主主義について、「現状で十分であることを説得的に説明していません」といいます。私は「現状で十分である」とは言っていませんし、そうも思っていません。そう思う根拠は一般紙・誌の論調や『さざ波通信』やその投稿の内容からでしかありませんが。しかも、それが正しいのかは、はっきり言って分かりません。ただ、少なくてもいえることは、一般紙・誌や、このHPに投稿される党員の方々がそう感じているということです。私自身党員であった頃にそう感じたわけではありませんし、私の近くにいる党員からそういう話を聞いたこともありません。『さざ波通信』が書いている党大会前の討論誌についての問題についても、それは事実と反するという投稿が他のHPでありましたが、私にはどちらが正しいのかという判断は(現在は)できないのが正直なところです。そういう意味で、党内民主主義のあり方について「説得的に説明」しろと言われても、党外にいて党内の討論などの現状を判断できない私としては、それはできませんというしかありません。そのことをもって、『さざ波通信』に対する「統一と団結」という点での批判をするのはおかしいというなら、私を含めて党外の多くの支持者もこの討論に参加できなくなってしまいます。私が主張していることは一貫して次の三つの点です。現在の党の綱領や規約を認めた党員の方々に、それをしっかりと守ってほしいということです。党内民主主義に関して、それが十分ではないというなら、党風の改善や規約の変更も含めて、党内での改革の努力をしてほしいということです。また、『さざ波通信』やそれを支持する党員の方々が、党内における努力・改革では無理だと判断されるなら、党を離れて見守るか、新しい党派を結成すべきである(そうなってほしくありませんが)ということです。
(5)分派について
 澄空望さんの意見には反論がありますが、分派については別の欄でやっていますので、ここではあえて述べません。
(6)「統一と団結」について
 よく分からないのですが、統一と団結というのは、科学的社会主義の世界観に立脚し、綱領や組織原則の実践的な立場での、革命党内の統一と団結なのではないでしょうか。労働者階級全般や、被抑圧者、被支配者にまで広げられる「統一と団結」とはいったいどういうものなのでしょうか?
(7)最後に
 私の考えを「ただの思い上がり」と断言されていますが、そう感じるのでしたら、私の方からいう言葉は「能力不足、勉強不足で申しあけありません」でしかありません。澄空望さんが真に実のある討論を望み、かみ合った討論のために参加されるのなら、そういうう言い方や「挑発」などといった、まるで階級敵にでも使うような言葉は避けた方がいいと思います。(やはりこれも揚げ足取り?)