9/8に北島さんという方が別の投稿欄で発言をされています。7/5の北島さんの発言に対する吉野さんの7/8のレス以上のことは、言う必要もないし、こういう発言が「共産党を内部から腐らせている」ことを確認して放っておけばよいのかもしれないのですが、私の9/5の一般討論欄の発言で言及した責任もあるので、「オタク」の一人として一言よろしいでしょうか。
①北島さん。「コムズカシイこといってんじゃないよ」って、「コムヅカシイこと」言うのが大好きな「オタク」が好きで言い合ってるんだから、「大笑いし」て終わらせておけばいいじゃん。でも、「私はあなたたちのこと嘲笑しているのよ」って言いたいんだね。
「お前たち小難しいこと言うけど、アカの言うことなんてほんと笑っちゃうぜ」って言いたい奴って、昔の草の根保守にもいたけど、左翼にもそれが脈々と流れてきたね。でも今では、共産党員のあなたに面と向かってそんなこと言う人少ないでしょ。どうしてだかわかる? 少しは民主主義がわかってきたんだよ、みんな。たとえば、東京渋谷ハチコー前で、ビラ配るとすると、コギャルもアンちゃんも、「何こいつ?」という表情一瞬するけど、「ウザイんだよてめー」とは言わないよ。でも、北島さんは「てめーら、コムヅカシイこといってウザインダヨ」って、言いたくなっちゃうんだよね。そのことって、結構大切だと思うよ(もし北島さんが自分自身を対象化するつもりがあるなら)。
客観的にいうと、スターリニストの主体性のなさが率直に出ていて「党中央は正しい、確信がある」みたいな議論より、いい。その方が怖いけどサ。最低限の、ロゴス(論理)、つまり政治を支えるコミュニケーションを拒否するファシスト性、モロ出しでさ。
②私も、党員でもないのに、社会主義とか共産党とかにストーキングしちゃって反省してます。自分でもやめなきゃと思うけど、悲しいストーカーの性(さが)なんです。
でもこういうことなんだよ。北島さんはきっと共産党や「社会主義」が暴力ふるったのを見たことないか、見てもわからないんだろう(それはストーカーの幻想だって言うだろうから)。けどさ、逆なんだよ。社会的・政治的権力である党が私たちをストーキングする存在なんだよ。
共産党が「権力をとった」国家や団体では、共産党がどういう政策・方針をもつかが、そのもとで生活している人にとって切実なこと。共産党を支持していなくてもね。共産党は常に正しいんだから、権力とったら、みんなが支持するはず、支持しない奴はどうしようもない奴なんて決めつけられたら困るし。ましてや「社会主義」国家や党内・団体内権力によって、どれだけの人・党員が殺され、傷付けられ、苦悩させられたか。北島さんにとっては「どうでもいいこと」なんだけど、やられた人・巻き込まれる人(含党員)・生活左右されるだろう人が、「ストーカー」に見えるほどこだわってもいいじゃないの(日本共産党だけじゃなくて他の社会的権力あるすべての政党・諸団体について、このことは共通して言えることだけど、「ストーカー」する奴もいるほどの党だって誇りもったら?)。
今月の『さざ波通信』にも触れられている『査問』、読んだことある? 日本共産党が70年代の遅くない時期に国家権力を握っていたら、『さざなみ通信』の人たちは、「粛正」されていた可能性だってあったと思うよ。
③あ、それから、「『一般国民』にはどうでもいい」ことじゃないことって、あるの? 日の丸・君が代だって「どうでもいい」よ。ガイドラインだってそうじゃん。もちろん、共産党も。ミッチー・サッチーも。だけど、どうでもよくないと思っている「オタク」だけが、それぞれ真剣に議論しているんだよ。さすがに北島さんもそれは、わかっているよね。
ただ、本当のオタクは、限りなく無意味・無価値なことを自覚して「コムヅカシく」「ぐだぐだ言うこと」に情熱をもつんだけど、ここで議論している人は、政治も共産党も社会主義も無意味・無価値ではないと認識している自覚的・意識的「オタク」なんだよね。その後者の自覚がわからないのに共産党員やっている北島さんは、純粋ヴァーチャル党員なんっすね、最先端ですねー。
④マルクスとかも、「コムヅカシイ」こと大好きな「オタク」のひとりだったんだけどさ、同時代の社会主義者たちと「コムヅカシイ」ことを人生を賭けてぐだぐだしゃべって、「勝利」して物質的な力をもってしまったんだよね。つまり、この物質的力をもつことの認識があるかどうかが、③の自覚の意味。ごめんね、コムヅカシいこといって。
⑤北島さん、「知識人」きらいでしょ。それがスターリン主義の特徴だよね。「コムズカシイこと」は、指導者に独占させておかなきゃね。「一般国民」・一般党員が「知識人」の言葉に影響されて批判的に考え出すとヤバイじゃん。物質的な力になるからさ。まず、批判的なことを言う「知識人」は、「コムヅカシイこと」言うとんでもない奴とレッテル張って、粛正する必要ある(国家権力握ってれば銃殺・強制収容所。握ってなくても、査問・自己批判強要・除名・機関紙誌で罵詈雑言)。スターリンも毛沢東もポルポトも残念ながら日本の指導部も同質なんだけど、さすがに「趣味じゃない」から(気に入らないから)粛正とは、リアルな権力者は言わないけどね。でも北島さんみたいなそれを支えるメンタリティを絶えず再生産しようとするんだよね。なぜそれが再生産可能かというと、その場(社会全体も含めて)に「自由」がないから。「自由」のもとでは、自立的・批判的思考を自分に課さねばならない。それをする意志も責任感もいる、自分の中身の程度と向き合わなければならない。すると北島さんみたいに逃走したくなるんだよね。
⑥とりあえず、よほど社会(党内社会も)が危機的状況にならなければ、コムヅカシくなく、北島さんみたいに「○○は役に立たない」「△△はイマイチおもしろくない」って甘ったれてジコチューしてるぶんには無害だから許されるんだよ。よかったね、お気楽で。そんなんで「党を滅ぼす」はずないって。第2次大戦下の日本でも陰で「天ちゃんがヨ」と言ってられたのと同じ。でも、危機になって表に出ると特高にしょっぴかれるよ。多分、党官僚が「自己批判せよ」とかマジに迫ったら、北島さんなら軽くすり抜けられるでしょ。大丈夫、「コムヅカシイこと」大嫌い、つまり論理も責任もないから。「マジメでつまんない」とか「今の政治家は役に立たない」とか陰でブツブツ言うのって日本の社会に満ち満ちているけど、権力者は大歓迎。
そうじゃないなら、どのような脈略で、どのような意味で「役に立たない」とか、少しは論理的に言う努力ぐらいしてみたらどうかなあ?
⑦マルクスも宮本も金日成も、ここのみなさんも「自分好みの党を望」んでいるんだけど、それが気に入らないって?「自分好みの社会」を望むから、投票に行くし新聞に投書するし、団体に参加しちゃったりする。その延長に「自分好みの党」を求める。そのためには、こういう好みの社会にしたい、党にしたいって議論しあうしかない。具体的にどこがどう気に入らない、気に入る、それはなぜかって議論するのが民主主義のイロハよ。それを否定するってことは、民主主義を全否定しているってことなんだ。コムヅカシく議論しないで、北島さんみたいに「てめーらバカじゃないの」ってトイレの落書き書いても、それを議論とは大人の社会では言わないんだよ。でも、北島さんみたいな精神が支配的になる社会こそが、暴力的な社会(全体主義社会やまったくの無秩序)だね。そういう党内状況の一端を示してくれて、北島さんの率直な発言は本当に貴重ですね。
あ、それから、自民党でも民主党でも、「自分好みの党」にしたいって、今、選挙やっているけど、一応国民の前で公開討論がされている限りでは、その点だけをみればずっと共産党より民主的だよね。北島さんには、それも「どうでもいい」ことだけどね。
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この文章は、「北島さん」に向けて書かれている形式をとっていますが、実はそれは形式だけで、その発言を材料にした他の方へのメッセージです。だって、ああいう発言=言葉の暴力には「敵の出方論」を発動して身体を張って(その意味で「強力」的に)立ち向かうしか意味がないからです。インターネットにおいては、それはできません。それがわかっていて、「北島さん」は、ああいうことを垂れ流しているわけでしょう。
空論を振り回したり、言葉に酔ったりする主観主義者が、スターリン主義者・全体主義者のあり方でもあると思いますが、それに対して物質的な力をもつように批判していく作業は、言葉によって、理性によってなされるしかないですね。それが権力者(それへの依存者)は怖いので、「コムヅカシイこと言うな」式に空論・観念論とレッテルを貼ったり、「規律違反だ」と官僚的形式主義で弾圧するのが通例です。さらに、その裏には、「北島さん」的なアナーキーな自己肥大化・エゴイズムが張り付いていることも見落とせません。
分派狩りが行なわれるとき、必ず形式的規律違反と同時に「あいつらはこんなにクダラネー奴、イヤらしい奴」という差別感を蔓延させるようにしますね。理性に信をおいていないからだと思います。
官僚的指導機関に対して「もっと柔軟性が必要だ」「頭が固すぎる」という批判が的を得ている場合もあるけれど、逆に官僚主義者が、あっという間にルールを超越して「固いこと言わないで柔軟に行こう」と言い出す危険性もおおいにあるわけです(日本の支配では、表の「頭の固い」形式主義と裏の「人情味のある」「柔らかい」「おちゃらけた」非理性的人間関係が一体で、その結果、「一丸となった団結」といじめを生み出す)。
『さざ波通信』のみなさんが、民主主義の基礎になる、人と人とをつなぐ言葉・論理・理性を尊重され、討論されようとしている実践に敬意を表します。私は今、たとえば、経済では「『社会主義』より市場経済がよい」、安全保障では「自衛隊もあってよい」と考えており(乱暴な言い方ですみません)、多分、多くの方と意見は異にしますが、理性的討論の必要という点で、ここでの議論のあり方に賛同できます。