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一般投稿欄

冷静に討論しましょう>memory さんへ

1999/9/16 吉野傍、30代、アルバイター

  memory さん、どうもはじめまして。私は党歴15年以上の現役の日本共産党員です。まだ高校生である memory さんの熱意あふれる投稿に刺激を受けたので、レスさせていただきます。
 あなたのおじいさんが筋金入りの党員で、多くの人々の信頼を得ていたとのことですが、まさに共産党は、そのような名もなき無数の英雄たちによって支えられ、今日の地歩を築いてきました。私も、微力ながら、18歳で入党して以来、毎朝の赤旗配達にはじまって、選挙運動も、大衆運動も、拡大もそれなりにやってきました。私は今でもそのことに誇りを持っていますし、現在も、活動量は以前に比べれば落ちたとはいえ、支部会議にもちゃんと出席し、種々の大衆運動を担っています。
 memory さんのような血気盛んな若者ができるだけ多く共産党に入党してしてほしい思っています。 memory さんが18歳になれば、ぜひ日本共産党に入党し、青年・学生分野での党建設に邁進してください。とりわけ現在は、青年党員の比率が激減しているので、なおさらです。

 さて、以前の投稿でも少し書いたことなのですが、私がまだ学生だったころ、共産党員でありながら党中央に批判的な発言を人前でするような党員を、「何て奴だ、とんでもない。許せない」と心底思っていました。 memory さんが投稿で表明しているのと同じ感情(「むかつく」)を抱いていたと思います。しかし、その後、いろいろな経験を経て、党中央というものが、自分が以前考えていたほど正しくもないし、正直でもないということを実感しました。だからといって、党そのものに絶望したわけではありません。結局のところ、党とは何なのか? それは中央指導部に還元されるものなのか、それとも、そうではなくて、底辺で末端で活動している無数の党員たち(あなたのおじいさんを含め)を中心に考えるべきものなのか、という問いになっていきました。私は、いろいろ悩んだ末、後者の答えを強く支持するようになりました。もちろん、指導部はどうでもいいわけではありません。しかし、党は指導部には絶対に還元されないのです。
 党というものを、中央指導部ないし一部の幹部に還元してしまう人は、党を擁護するとは、指導部をまるごと擁護することだと勘違いし、指導部が個々の場面で誤りを犯したり、官僚主義や強権主義を発揮したりしても、それを批判せず、そんな誤りなど存在しないかのように強弁し、こうしていっそう、党への不信感を募らせていきます。あるいは、反日共党派の人々は、共産党の中央指導部のあれこれの日和見主義や裏切りやスターリン主義を理由に、共産党そのものを否定する考えに飛躍し、党そのものを破壊と攻撃の対象にしていきます。この2つの態度はきわめて対照的ですが、しかしどちらも、党と中央指導部とを同一視し、前者を後者に還元する点で同じです。
 このような態度をとりつづけるかぎり、指導部を含めての共産党の全面擁護か、あるいは末端党員を含めての共産党の全否定か、という不毛な2者択一にしかなりません。戦後日本の左翼運動は、かなりの程度、この種の不毛な2者択一のもとで推移してきたような気がします。このような路線に将来はないという気がします。
 『さざ波通信』の各種記事も、この投稿欄に投稿してきているいくつかの投稿も、共産党指導部の現在の路線にきわめて批判的です。私もそうです。しかし、これは、共産党を全否定したり、個々の党員を貶めるものでしょうか? 絶対にそうではないと思います。むしろ逆であり、現在の党指導部が、末端の党員の討論権や決定権を無視して、あれこれの新見解を一方的に出したりしていることへの批判は、党を全体として守り、個々の党員の権利を擁護するものであると思います。
 共産党は生きた巨大な政治的有機体です。その生命力は、絶えざる批判と自己批判、自由で節度ある民主主義的討論(党内および党外における)です。それが枯渇したなら、共産党は朽ちた巨木にしかなりません。そのような生命力を絶やさず、弱まりつつあるその力を再活性化させることが必要です。『さざ波通信』はそのためのカンフル剤としての役割を果たしています。
 私も一昔前だったら、絶対にこの種のホームページを認めなかっただろうし(もっとも、そのころはインターネットなど普及していませんでしたが)、 memory さんと同じく、公然と中央指導部を批判するような党員にむかついていたでしょう。しかし、今では、それは必要なことであり、積極的なことであると考えています。
 現在の党中央指導部を支持する人々は、批判許すまじという態度をとるのではなく、そうした批判に対して、冷静かつ具体的に反論するべきだと思います。そのような態度こそが、本当の意味で党の発展につながると思います。このホームページは党員のみならず、党に興味を持っている多くの人々が注目しています。現役党員であることを表明している『さざ波通信』による手厳しい中央批判に対して、現在の党指導部を支持する人々がどのような態度をとるかは、大いに注目されていると思います。そういうときに、批判そのものを敵視するような態度をとれば、「共産党はやっぱり異論を許さない、閉鎖的で独善的な組織なのだ」と思われてしまうことでしょう。

 以上の点をふまえて、次に、 memory さんの書かれたいくつかの論点について、私の思うところを書いてみます。
 まず、 memory さんは、『さざ波通信』を運営している人たちの「匿名性」、「党員であることの証明不可能性」を問題にされています。しかし、他人の「匿名性」をそこまで非難している人が、どうして実名で投稿せず、ハンドルネームをお使いになっているのでしょう。矛盾していませんか? しかも、 memory さんは党員ではないとおっしゃっているのですから、なおさら、実名の公表に大きな問題はないと思います。ここのサイトを運営しているのは、彼ら自身の説明によれば普通の労働者党員です。一般労働者が、自分が党員であることを明らかにすることが、どれほど大きなリスクを伴うことであるかは、おじいさんから話を聞いて知っていると思います。そんなリスクを犯すことを他人に求めるのは、いかがなものでしょう。
 また、党員であることの証明がない、とのことですが、そのような証明は、インターネットの性格上、不可能でしょう。それは、党員でないことの証明が不可能なのと同じです。実名を出したとしても、その人が党員であることなど誰にわかるでしょうか? 本人を騙った別人である可能性すらあります。
 インターネットにおいて重要なのは、そのような証明ではなく、主張の中身です。それをこそ議論の対象にするべきです。

 次に、共産党の公式サイトに載った「わが党とは関係ない」云々の文言のことですが、 memory さんは、「党員でないか分派活動をしている、と日本共産党は主張している」のだと解釈されています。まず、主語が不正確ですね。「日本共産党は」ではなく、「党中央は」あるいは「公式サイト管理者は」と表現すべきでしょう。「日本共産党」を主語にできるのは、党内で正式な討論と決定があった場合だけです。それがあるまでは、あの文言はあくまでも、サイトの管理者かあるいは、その管理者のバックにいる党中央指導部の見解にすぎません。
 私個人は、あの文言は、かなり違った意味で受け取りました。おそらく、『さざ波通信』を見た読者から、中央委員会に、あのサイトとの関係についていろいろと質問が来たので、単に事実関係として、党の公式サイトではないし、その正式な関連サイトでもないことを明確にするために、事務的な配慮で掲載したのではないか、というのが一つの解釈。
 しかし、もう少し踏み込んで考えて見ると、これまでの党中央の対応は、党員を名乗ってこれほど厳しく中央を批判するような公の文書に対しては(実名だろうが匿名だろうが)、徹底した反撃によって答えるのが常だったのに、今回のように、ああいう非常に事務的な文言だけにしたのは、何らかの政治的意味があるのではないか、とも解釈できます。つまり、『さざ波通信』の批判を認めはしないが、だからといって、政治的に葬りさるつもりもないという、政治的メッセージを暗に発しているとも解釈できます。もしそうなら、党指導部の政治的成熟の証拠として歓迎したいと思います。
 あるいは、今のところどう対処していいのか結論が出ていないので、とりあえず、関係を否定するために、ああいう文言を出したとも考えられます。今のところ、『さざ波通信』はマスコミで取り上げられているわけではないし、さして影響力もないと考えられるので、様子を見ているという感じかな。
 党中央にいる人々なら、あるいは、長く党員をやっている人々なら、『さざ波通信』を運営しているのが党員であると確信していると思います。内容的にも表現上も、明らかに党員でなければ書けないようなものになっているからです。匂い、ないし、雰囲気でわかる、といっても差し支えないでしょう。しかし、具体的に誰がやっているのかの確証はないし、盗聴でもしないかぎり、それをつかむのは事実上不可能。ということで、ああいう文言が掲載されたのではないか、とも考えられます。
 それよりも、むしろ興味深いのは、 memory さんが、党中央に問い合わせたときに、担当者がどのように答えたのかです。『さざ波通信』自身が問い合わせることはまずないと思いますので(それは自殺行為でしょう)、その返答を待たずに、ぜひ教えてください。

 ところで、 memory さんは、このサイトは「一方的な情報しか流していない」「世界観が狭量」と批判されています。しかし、よく考えてください。党中央を全面的に支持し擁護する一方的な情報が、数百万部の『しんぶん赤旗』と1日4万件もアクセスがある公式ホームページで延々と流されているのです。党内には、私の周辺を見ても多くの異論が存在しますが、そのような異論は、3年に1度、3000字の範囲内で公表できるだけです。正確な数字はわかりませんが、党中央を支持する公の情報量と、それに異を唱える党員の公の情報量とは、10万対1ぐらいの格差があるのではないでしょうか。このサイトは、歴史上初めて、系統的に中央指導部に対する党員の異論を伝えるメディアです。それでもアクセス件数は、共産党公式サイトの1日4万件に対して、1日百数十件程度です。
 そして、この異論派サイトにも、げじげじさんや memory さんを始め、党中央を支持する投稿もかなり掲載されています。赤旗にも公式サイトにも、まったく党内の異論は掲載されていません。ただの一つも、です。党員の中でも購読者がごくわずかな『評論特集版』(これさえ、もう廃刊になりました)に、さっきも言ったように、3年に1度、1人あたり3000字の異論が掲載されるのが関の山なのです。それでも、不破委員長は、わが党の党内民主主義は最も優れていると自慢しています。おかしくはないですか? 「世界観が狭量」なのは、いったいどちらでしょうか?

 長々と書いてしまいましたが、最後に一言。一度、『査問』(筑摩書房)と『汚名』(毎日新聞社)を読んでみてください。そして、今なお中央指導部が、この事件のことを一言も反省せず、開き直っている事実について考えてみてください。