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ご批判は内容に沿って行なうべき>げじげじさんへ

1999/9/16 澄空望、30代、会社員

 「げじげじ」さん、私の投稿にご意見をいただき、ありがとうございます。もう少しおつきあい願いたいと思います。
 まず、「げじげじ」さんが「『さざ波通信』の性格上、このHPに批判的な党員の方々が議論に参加しづらい状況で、党への批判、場合によっては、根拠のない主張までは一方的に流されることに対しての強い疑問と不満」を持っているということはよく理解しています。ただ、そうであるならば、「一方的」といわれる批判や主張の内容に沿って批判すべきだと私は思います。その点につき、あなたのご投稿に大いなる疑問を持っています。どうかじっくりお考えくだい。

1、「揚げ足取り」
 私が「揚げ足取り」と表現したのは、とりわけ「地方議員」さんの投稿を取り上げた投稿を念頭においています。「地方議員」さんは、党機関が「非常に頭が硬い」とか「極めて保守的」とかいう表現をしていますが、わずかであるとはいえ、その根拠として具体例をあげています。それを抜きにして、それらの言葉のみを捉えたご意見を「揚げ足取り」と私は述べたまでのことです。これについては、「げじげじ」さんの今回のご意見では、より具体的に展開されていますが、明らかな読み違いに基づいています。
 「地方議員」さんのご意見は、「党(指導機関)と個々の党員を対立」(「げじげじ」さんのご意見)させてはいません。党機関にもさまざまな弱点や欠陥があることを述べていますが、「党(指導機関)はだめ」(「げじげじ」さんのご意見)だという趣旨ではありません。「四中総に団結」と述べていることからわかるように、基本的には正しいと考えているわけです。党機関にも欠陥があることを述べることが、不信感を生むというのであれば、党機関に対する批判はするな、ということになってしまいます。「げじげじ」さんのご意見は、そういうことなのでしょうか?

2、蟹瀬さんの投稿について
 次に蟹瀬さんの投稿に関して、「げじげじ」さんは、前回の意見は撤回され、「党や民青が公表をひかえている問題をインターネット上で持ち出すことは、その影響の大きさも考えれば『責任ある発言』とはいえないのではないでしょうか」と述べておられます。蟹瀬さんの意見が「責任ある発言」なのかどうかは、「党や民青が公表をひかえてる」かどうかを基準におくのではなく、内容によって判断する必要があると私は思います。
 蟹瀬さんのご意見の趣旨は、専従が何がしかの問題を起こした場合に個人責任にするのではなく組織としての責任を明らかにし、組織運営上の問題を改善する必要があるのではないか、ということです。したがって、具体例として今回の事件に触れる必然性はなかったかもしれないと私は考えます。しかし、これが重大な誤りであったとは思えません。なぜなら蟹瀬さんは当事者が特定できるようなことは述べていません。これは、「げじげじ」さんが見られた「和歌山の小学生の父親の『いじめ告発HP』」とは決定的に違う点です。党や民青が事件について、組織の問題として誠実に対応するつもりがあれば、「被害を受けた方のことを考慮して」当事者が特定できない形で事件を公表して組織としての責任を明確にする必要があると私は考えます。蟹瀬さんの投稿はそういうことを述べているのであり、事件自体を討論の俎上にあげているわけではありません。その意味で、「はっきりしないことが多いもとでの討論はあまり意味を持つとは思いません」というご意見は的が外れています。

3、党内民主主義
 党内民主主義を発展させていく作業は、当然ながら党員でなければ不可能です。非党員である「げじげじ」さんは党内民主主義について「はっきり言って分か」らないだけでなく、それについてどうすることもできません。これは事実です。もちろん『さざ波』に集まる党員を批判するのは自由です。つまり、個々の論文や投稿の内容について批判することはできるでしょう。しかし、『さざ波』が党の統一と団結を破壊するものであると、審判を下すことはできないはずです。私があなたに声を大にして言いたいことはそれだけです。もちろん、私も審判を下すことはできませんし、あなたが入党されてもそのことは同様です。審判を下すことができるのは党総体(イコール党中央ではない)と(少しおおげさかもしれませんが)歴史なのではないでしょうか?
 では、「げじげじ」さんの「一貫」した「主張」に沿って私の意見を説明しましょう。

現在の党の綱領や規約を認めた党員の方々に、それをしっかりと守ってほしいということです。党内民主主義に関して、それが十分ではないというなら、党風の改善や規約の変更も含めて、党内での改革の努力をしてほしいということです。また、『さざ波通信』やそれを支持する党員の方々が、党内における努力・改革では無理だと判断されるなら、党を離れて見守るか、新しい党派を結成すべきである(そうなってほしくありませんが)ということです。

 このように一般的に述べられるのであれば、私も大賛成です。
 「げじげじ」さんには、おわかりだと思っていたのですが、「党内における努力・改革では無理だ」とは『さざ波通信』編集部の方は言っておられませんし、私も党内改革は無理とは考えていません。『さざ波』の試みを党内改革の一環として捉えています。したがって「げじげじ」さんの主張に沿っても、「党を離れて見守るか、新しい党派を結成すべきである」ということにはなりません。つまりあなたの「一貫」した「主張」なるものは少しも批判になっていないのです。あなたの主張は、つまるところ『さざ波』やその投稿者の意見を具体的に検討して述べられたものではなくて、それらを検討する以前にあなたの頭の中で用意された結論であり、判決文なのです。
 このように考える私から見れば、「げじげじ」さんの意見は、『さざ波』は党中央によって断罪されるべきであるというふうに聞こえますが、そうなのでしょうか?

4、その他
 事実関係について触れておきます。「『さざ波通信』が書いている党大会前の討論誌についての問題」が正しいかどうか判断できないとのことですが、少なくとも私個人の経験では『さざ波』に書かれてある通りでした。党機関から数回呼び出され、批判意見を持ちつづけるならば『除籍』であると言われました(これ以上のことは述べるつもりはありません)。
 あとは細かい点になりますが、私の発言「これが教育関係者の口から出た言葉だとはにわかには信じられません」は、内容には触れずに断罪するあなたのご意見へについての私の感想であって、「げじげじ」さんに「教育関係者」である「証明」を求めてはおりません。「揚げ足取り?」などと質問をする前によく投稿を読みましょう。
 「統一と団結」についてで、私の先の投稿において、はじめに「労働者階級としての統一と団結」と述べたので誤解されたようですが、「労働者階級として、あるいは被抑圧者、被支配者としての闘いにおいて」と表現しています。日本の民主主義的変革のための闘いは、日本共産党だけが担うものではありません。闘いの真の担い手は、労働者階級であり、被抑圧者であり、被支配者です。この闘いにおける統一と団結が第一であり、その一翼に過ぎない一政党内における「統一と団結」は、けっして自足の概念ではなく、この闘いという大義から検討されるべきであるというのが私の考えです。先の投稿でも述べましたが、一般に理解されているこれまでの党の「統一と団結」の概念とは異なります。
 私の「思いあがり」発言について、「げじげじ」さんがただ自分の考えを述べ『さざ波』の議論に沿って批判されているのであれば、「思いあがり」などとは言わなかったでしょう。「『統一と団結』を破壊するものだ」という主張することが「思いあがり」だと言ったのです。これは、討論を装いながら、実際には判決文を手にした裁判官の態度ではないでしょうか? これこそが「一方的」な主張であり、あえて「挑発」だと私は言ったわけです。党内におけるこれまでの少数派に対する党機関の対応は、常に討論の当事者として関わるのではなく、判決を言い渡す裁判官となっていました。

5、最後に
 私は当初、「げじげじ」さんが『さざ波通信』が暴走しないためのご意見番的な存在であると感じてきましたが、最近のご投稿をみると、逆に『さざ波通信』を暴走させてしまいかねない要素があるのではないかと思い、このような形で投稿させていただきました。しかしながら、このような議論は『さざ波通信』にとっては二義的なものだと思われます。『さざ波通信』において、党の政策や現状分析などといった重要な議論がうもれてしまわないように希望します。