10月8日付で「地方議員」さんから「私たちは共産主義社会を目指す革命政党である」という投稿がありました。「地方議員」さんについては何回か疑問点を出したのですが、返答がないので再度この投稿についても私の感じたことを書きます。
1.「通用」がどうして「押しつけ」になるのか?
「地方議員」さんは『赤旗』(10月8日)に載った東京の演説会での不破委員長の演説(大要は翌日に掲載)を紹介した見出し=「日本共産党の『改革論』は世界に通用する」(東南アジア歴訪に関わって)に対して次のように述べています。
「本日の(10/8)赤旗日刊紙の一面のトップ見出しを見てぶったまげました。日本共産党の『改革論』は世界に通用する。これは一体どういうことでしょうか。百歩も二百歩も譲ればいわんとすることはわからないでもありませんが、『革命論』は忘れてしまったのでしょうか。路線を世界に押しつけたいのでしょうか。とんでもない表現です。」
私はこの「地方議員」さんの文章を見てぶったまげてしまいました。どうして「通用」ということが「押しつけ」ということになるのか?何でそんな見出しで「ぶったまげる」のか?不破委員長の演説のその部分は次の通りです。(『赤旗』10月9日)
「この訪問で私が感じたことは、『日本共産党の改革論は世界につうじる』ということであります。もっとはっきりいえば、アジアの多くの人びとが、私たちのめざしているような日本を期待し希望している、ということであります。あらためてわが党の日本改革の事業の重大性を痛感したものであります。」
ここからどうして「路線を世界に押しつけたいのでしょうか。」という言葉がでてくるのか、それこそぶったまげてしまいます。21回党大会の決定(アジア外交の重視)に基づいて行われた今回の東南アジア歴訪の中で、日本共産党の改革論に対する理解と共感を得たということであって、「押しつけ」などであるわけがないでしょう? 新しい友人を作るための各国訪問で、相手の立場も考えずに日本共産党の『革命論』を主張してどうなるのか? 「地方議員」さん自身が、党やその支持者から百歩も二百歩もずれたところから発言しているのではないでしょうか?
2.共産主義社会をめざす自覚的組織=日本共産党
また、「真剣に革命を語るべき」「共産主義をめざす組織」「前衛であることを自覚」といい、「大衆的前衛党の大衆の部分に埋没しすぎているのではないでしょうか」と、前回と同じようなことを再び書いています。現在の日本共産党が党名を変更せず、綱領においてもはっきりと書いてあるように、最終的には「真に平等で自由な人間社会へ・・・社会主義、共産主義と人類史の展望」をめざす自覚的組織であるのは自明のことです。だからといって、現在の日本の状況の中で、直接、社会主義・共産主義をめざした主張や活動をするかどうかは違うでしょう?「独占資本主義の段階にあるわが国の民主主義革命は、客観的にそれ自体が社会主義的革命への移行の基礎をきりひらくものとなる。」(党綱領)ということなのではないですか。私は、もちろん個々の政策に対しての基本的な共感だけではなく、将来の共産主義社会を展望しているという面においても(より根本的に)党を支持しています。党員であるはずの「地方議員」さんはどういう理解なのでしょうか?
3.「根性」「涙」「腹を切る」・・・・・感覚がずれている
選挙に負けて涙を見せないことがどうして「全力で戦わなかった」事の証明になるのか、選挙で負ければ幹部は涙を見せなければならないのか?(もしかして、隠れたところで泣いているのかもしれない??)「根性」だの「腹を切る」のだの、ちょっと「地方議員」さんの感覚はずれているのではないでしょうか?別に私たち支持者は党員(議員、幹部を含めて)の方々に革命や党のために死ぬことまでは期待してはいません。戦前の活動の中で、権力の悲惨きわまる弾圧・テロのもと、死んでいった(殺された)多くの党員や支持者の方々に対しては、もちろん尊敬を越えたものを感じています。また、そういう気概で現在、多くの党員の方々が日夜厳しい条件の中で活動をやっていることに関しては尊敬しますが。