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団体規正法を認めてよいのか

1999/11/24 CHA、20代

 久しぶりに投稿します。「トピックス」では触れられていましたが、例のオウム取締りのために共産党が提案した法案、皆さんはどう考えているのでしょうか。この問題が全然議論されていないのは「さざ波通信」らしくないことですが、とりあえず私の思うところを書きます。
 私は端的にいかなる形態であれ、団体規制をすることは人権侵害であり、政府法案はもちろん共産党案も重大な問題をはらんでいると思います。いろいろと根拠はあるのですが、一つの重要な点は団体規制には必ず当局の恣意が入らざるをえないということです。例えばオウムが規制団体になるとして、どうやってそのメンバーを確定するのでしょうか。名簿を提出させるのでしょうか。名簿が出たとしてそれが真正であるということをどうやって証明するのでしょうか。オウムのメンバーとされる人ないし集団が脱退や分裂した場合もそれをどうやって証明するのでしょうか。「脱退証明書」とかをオウムが発行するのでしょうか。だとしてもそれが真正であることをどうやって確認するのでしょうか。等々を考えていくと、団体の構成員を把握するという第一次的かつ根本的な作業において団体規正法は当局の恣意というものを前提とせざるをえないのです。すなわち結社の自由および刑事手続きのための人権侵害です。それは、どれほど厳密な手続きをもっても法の適用に際して人間の恣意は排除できない、という意味での恣意性とはまったく次元を異にします。また「団体規正法は人権侵害に濫用されるおそれがある」というふうに言えば、それは不正確です。団体規正法は「濫用」されるからではなく、それそのものが人権侵害としてしか存在し得ないのです。「恣意的になるおそれがある」のではなく「恣意的にしか適用できない」法、それが団体規正法です。
 この問題への共産党の対応を一連の右傾化の一部として理解すべきかどうかは微妙です。ただ「常識」への屈服ということが国旗・国歌問題や九条問題、東ティモール問題などと共通していると言えるかもしれません。私がもしオウムの被害者ならば、間違いなく「団体そのものを取り締れ」と思ったことでしょう。しかしそうした「常識」を法の問題に持ちこむ場合、何重にも慎重な検討が求められるのです。今の党指導部には戦前あれほど治安維持法に苦しめられた歴史というものをもう一度思い返して欲しいと思います。
 

 <編集部コメント>投稿ありがとうございます。この問題をめぐっては、ぜひ読者のみなさんの討論を呼びかけたいと思います。