一般投稿欄の長壁さんの投稿(3月7日)へのレスポンスです。もともとはこちらでの議論ですのでこちらで引き取ります。
あなたとは完全に、「時代の空気」を共有できませんね。
たぶん、あなたと私は、住む世界も時代も違うようです。
私はあなたとたぶん同世代の人間であり、イラクや北朝鮮の民衆以上にあなたと同じ空気を吸って生きてきた人間です。確かに私とあなたとでは見ている現実が違うかもしれませんが、我々を取り巻いている現実の総体=物質的土台=は同じものです。「存在が意識を規定する」という唯物論的テーゼを持ち出すまでもなく、私とあなたの「意識」はその拠り所にまで思いを至らせることで相互作用が可能なはずです。空気が共有できないとか住む世界が違うなどと断じた時点であなたはあなたの批判する排外主義に一歩近づいてしまっています。
「北朝鮮批判」を批判しているわけではないと、スパルタクスさんへの返事に釈明しましたが、どうやら、わたしの解説では、理解していただけないようです。もう、わたしの言葉の能力の限界こえていますので、あなたとの交流はあきらめましょう。
長壁さんの言語能力の問題だとは思いません。健全かつ必要な北朝鮮批判を「敵に利用される=利敵行為」と見なすあなたの了見の狭さに問題があるのです。より本質的には「了見の狭さ」というよりも、敵と対峙する戦士が民衆の判断能力に懐疑の念を抱いた際に持ってしまう錯誤です。敵が不当に利用するのなら民衆とともに、あるいは民衆に向けて堂々と敵を批判すべきであって事実そのものを主人公である民衆の目から隠蔽するようなことは完全な誤り、無条件に誤りです。
あらためて北朝鮮の体制そのものが民衆による体制批判を利敵行為として禁圧することで維持されていることを強調しておきます。敵と対峙した北朝鮮にあっては、体制批判は単なる体制批判ではなく、敵の前で味方を撃つ利敵行為であり共和国を敵の銃口に晒す反国家的裏切り行為として扱われるのです。つまり長壁さんの論理は民衆支配の論理としてそのまま利用できる論理だということ。北朝鮮弁護どころかあなた自身の中にあの暴虐体制の芽が潜んでいるわけです。
それが長壁さん固有のものとまでは言いません。国内においても、事の善悪よりも批判それ自体が「利敵行為」だとして断罪された例は幾らでもあります。最近の例ではいずみ生協事件やキンピー事件などがネット上で参照可能です。ここさざ波でも同じ論理で党を除籍された方がおりました。国家がその論理を発動した姿が北朝鮮の民衆支配体制なのです。
ですが、私は、過去も今も、そうした考えは変えておりませんし、異論はうけいれます。
異論を受け入れるとはどういう意味かお考え下さい。「異論を排除しない」のは当然のことですが、大事なことは異論とそれが拠って立つ基盤=もう一つの現実を顧慮してみることです。一人の人間の認識能力はその人に見える現実(のごくごく一部)に拘束されていますが、多くの人間の脳髄が結合することで加算効果を越えて認識能力が奥行きを深めるのです。生産力の社会化ならぬ認識力の社会化とでもいいましょうか(?) スターリニズムは生産力の社会化に失敗しただけでなく認識力の社会化にも失敗しました。ものごとの認識は党の最高幹部の脳髄に一任されたのです。死後も冷凍保存したというから驚きですが。
あなたが、普通の一生活者として、私への意見を言われるのはかまいませんが、戦争って、そのような「あなたの普通さ」が利用されるのですよ。
あなたが、おとなしく、温厚に常識的な日々を送っていらっしゃるまさにそのことが、戦争推進の潤滑油になっているのですよ。
それは何も戦争に限ったことではないでしょう。平和時においてさえ我々が日々の生活を再生産する背後で「後進国」民衆が政治的・経済的に搾取され生活を破壊されていたのです。我々が世界に向けて平和憲法を自慢している背後で米軍兵士は故郷を遠く離れて東アジアで戦闘配備に就いていたのです。イラクにわずかな日の丸部隊が乗り込んだからといって初めて騒ぎたて浮き足つようなこととは思いません。これまで過ごしてきた欺瞞のしっぺ返しに過ぎないのです。それとも、長壁さんは欺瞞の上に築かれていた平和で安穏とした時代に戻りたいのでしょうか? 兵士が海を渡ったから問題、ただそれだけなんですか?
ただ、最後に言わせていただきますが、チラシ配布で逮捕の件、自衛隊の件でも、共産党の件でも、これは恐ろしい戦時下の弾圧そのものですよ。こんなことより、「拉致問題だ」ではなく、敵のシナリオは、拉致問題があるからこそ、有事法案であり、イラク戦争なのです。「敵のからくりに何時までも乗らないでね」と、いうのも、もうくたびれました。
編集部が弾圧問題にノーコメントなのは妙だと思いますが、「チラシ配り弾圧問題より拉致問題だ」などと主張しているのはどなたでしょうか? それから、「敵のからくり」について長壁さんはどこかで論証・解明されているのですか? それとも論証の手を抜いた主観的印象でそう言ってるだけですか? 補足説明なりリンクなりを示して頂ければと思います。
もっとも、「敵のからくり」がいずれにあろうとも、北朝鮮の民衆支配体制を批判する必要はいささかも減じることはありません。拉致されたまま帰国できない人々や北朝鮮民衆は今この時も苦難のもとに放置されています。彼らの存在に言及しないことで日本国内における政治闘争を有利に進めようなどという姑息な考えは民衆の立場とは離れた悪しき政治操作です。現に日本共産党は拉致問題への消極さが批判され、大幅に民衆の信頼を失ってしまいました。全くもって愚劣な対応でした。今も続けているようですが。
一度、過去の戦争が起きたときの社会状況と国民の意識といったものを、検証してみてくださいませんか。皆さんの意識と驚くほどにていますから。
戦争は民衆の支持なくして遂行できません。いま、日本国民の多くは日本の参戦を支持していません。イラク派兵に賛成している人々の多くは一国傍観主義に大義を認められない人々や、任務がイラク国民の生活基盤の整備・構築と限定されていることを見ている人々です。私自身は派遣対象が「軍隊である必要は全くない。むしろ不合理かつ弊害多し」という立場ですが、シビリアンコントロールが皆無だった戦前の海外侵略と同一視したり、国民がこぞってアジアの軍事的制覇を歓迎していた時代と同一視するのは明らかに時代錯誤であり間違いです。歴史は後戻りしません。現象的に過去と類似した局面があったとしても、その底流にあるのはその時代その時代の新しい要素なのです。それを撃つことをせず類型的な戦争批判を展開しても人々の心を捉えることはできません。間違った認識からは間違った方針しか生まれないのです。
むしろ、前回あなた宛に投稿したように、感性や情念に働きかけるだけの「時局演説」こそ戦前ファシストの熱弁と相通じるものがあると思っています。軒並み高等教育を受けている現代の日本人は、右からであれ左からであれそのような煽り言説には冷ややかな態度で臨むでしょう。ましてゆでがえるキャンペーンなどは人々の顰蹙を買うのみです。ここでもやはり歴史は後戻りしないのです。あなたに疲労感ばかりが蓄積するのはそのためです。感性は大事です。しかし感性は知性とともにあってこそ的を射抜き人を動かすものだと思います。(2004/3/9 PM12:50記)