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「科学的社会主義」討論欄

人類の自己意識(1)

2008/3/14 百家繚乱

1、人間の自己意識

 動物の世界は弱肉強食の世界であり、この競争によって動物 の世界は進化してきた。猿や象・猫・犬を見ても解る通り、す でに、動物の世界においても、高度な意識・感情・言語活動等 を見出すことは、今日の科学では常識となっている。マルクス は動物の世界は本能的であり、盲目的な世界であると語ってい るが、こんな議論はすでに終わっている。ゾウリムシのような 単細胞生物でさえ、生命の合目的性を承認しなければ、科学的 な解明は不可能だ。今日の科学においては、意識的な活動・感 情的な活動・言語活動、時には創造的な活動でさえ、動物の行 動原理になっている。創造性は人間だけが持つ特権と考えるべ き能力ではなく、潜在的には動物も保持していると考えるべき だ。人間においては、この創造性が社会性と言語活動によって 、全面的に開花した。創造的な能力は、自己を対象化すること でもある。それは己を外界から区別し、己自身を認識する能力 と不可分な関係になっている。象や猿においては、鏡に映って いる自己を認識する知性が実証されている。
 意識は他者を知る事から始まる。幼児は無意識に環境や他者 に適応しようとして、己の知性を磨く。動物の意識もこのよう にして進化してきた。犬や猫の高度な意識・感情は、人間への 適応活動によって産まれた。人間の知的な活動を、他の動物の 知的な活動から、決定的に区別するのは、益々困難となってき ている。他方では、ロボット工学・人工知能のように、情報工 学から人間の知的な活動を分離するのも困難となりつつある。 更には、クーロン研究・再生医療・遺伝子工学のように、人間 自身の機械工学化が進展しつつある。しかし、人間の知性は己 自身を意識し、己の意識や知性を自己制御する能力を持ってい る点では、他のいかなる動物・機械系から区別できる。自己意 識とは己自身を対象化し、己自身を意識的に創造する意識であ る。己自身を意識的に進化させる運動である。生命の個体発生 過程は生命の系統発生の個体的な展開であるが、自己意識は人 間の歴史(系統発生)の個体的な発生過程だ。人間の意識は単 なる物質の反映ではなく、物質自身を創造する自立化した反映 である。自己意識は己から自立し、己自身を創造する反映だ。 人間は歴史や社会環境から学び、己自身を合目的に創造する。
 「人間とは何か?」と言う、古代からの哲学的な課題は、益 々困難な課題になりつつある。人間を他の動物から決定的に区 別する要因としては、大脳における言語活動領域の発達と未熟 なままの誕生が大きいと考えられる。人間の環境への適応力は 他の動物と比べて決定的に大きく、無限の可能性を秘めている 。狼に育てられた少年は狼のようになる。人間の言語活動は、 人間の社会性に無限の可能性を与えた。ピアジェによれば、幼 児の知性は集団生活と共に、飛躍的に進化すると言う。集団的 な社会生活によって、幼児の自我・思考活動が始まる。他者は 対自化した己自身である。人間は他者と対話することによって 、己自身と対話する。逆に見れば、集団内の討論・議論は集団 自身の思考活動・認識活動であり、集団自身の己との対話の過 程だ。世界や日本の歴史を振り返って見ても明らかな通り、自 由な公開の討論は集団の知性を飛躍的に拡大する。フランス革 命・ロシア革命・明治維新・ルネッサンス・ギリシャ民主主義 ・ローマ共和制・中国の百家争鳴等々。人間のコミュニケーシ ョンは、単に集団内の対話・議論だけではなく、文字や遺跡を 通じて過去の人間との対話の過程でもある。そして更に、我々 は未来に向かってメッセージを発信しつつある。動物は長い自 然淘汰の歴史によって多種多様な進化を遂げたが、人間は言語 活動によって、歴史の葛藤を個体的に繰り返し、多種多様な個 性を意識的に展開する。
 なお、以上の点については、以前にも投稿したので、参考ま でにリンクする。
  「物質と意識(2)」

2、集団の自己意識

 集団の目的意識性・自己意識は、リーダーの脳髄の中から産 まれるのではなく、集団の自由な公開の討論によってこそ育ま れる。リーダーの脳髄と集団内の討論・雰囲気は、相互に弁証 法的な相互作用が働く。この相互作用が一方的になり、有機的 な関係を失えば、集団の機能停止・崩壊過程が始まる。いかな る集団・組織も、ある種の官僚的な秩序が無ければ存続し得な い。集団に対する意識的な計画性は官僚的な組織機構を通じて 遂行される。官僚的なヒエラルキーは、下方に向かって命令し ようとする。しかし、人間の持っている力は大して変わらない 。組織の主役はリーダーではなく、組織の運動・活動を担って いる下方だ。従って、下方は己の力を回復しようとして、民主 的な要求を上方に向けていく。組織における意識的な計画性は 命令系統とは逆に、民主的な過程を通じて獲得できる。集団の 自己意識は自由で民主的な公開の討論を通じて獲得できる。集 団の自己意識に基づかない計画性は官僚的な独善となり、盲目 的な集団行動となって破綻する。
 官僚主義と民主主義の相克は、近代社会になって産まれたわ けではない。古代社会から続いてきたこの相克は、近代社会に なって自己意識の俎上に上り詰め、自覚的に捉えられ始めたに 過ぎない。世界や日本の歴史を見れば、腐敗・堕落した官僚機 構は下方からの不満・変革要求に押されるようにして倒れてき た。農業社会においては、富が土地所有と深く結びついている 。社会の民主化は同時に土地所有をめぐる争いを惹起し、官僚 機構の解体を加速する力となって現れ易い事は、今日の世界に おいても変わらない。下方の力の表出は、軍事的な群雄の割拠 となって現れる。しかし、軍事力は民主的な合意による意思決 定の否定である。農業社会においては、社会の民主化が有機的 な意思決定システムを破壊する。逆に、民主主義を否認する封 建的な身分制は、社会を安定させ、結果的に集団の有機的な関 係を再構築する役割を果たした。農業社会の時代においては、 平和と民主主義は両立しない。平和と両立できない民主主義は 破綻する。このために前近代社会においては、民衆は自己意識 に目覚めることが出来なかった。民衆は官僚主義を肯定的に捉 え、民主主義と己自身の力(自己意識)を恐れた。
 近代市民社会においては、投資家(株主・債権者)は官僚を 代表し、民主主義の担い手は労働者階級となる。ブルジョワジ ーは、当初は農民を味方につけて封建的な身分階級に対抗し、 近代民主主義の担い手として歴史の舞台に登場した。ブルジョ ワジーと農民の同盟は近代国家と国民軍を創造し、一国的には 平和と民主主義を両立させた。だが、この同盟は土地所有と深 く結びついている。この同盟に基づく「民主主義」は帝国主義 となって世界中を戦争に巻き込んだ。戦争は民主主義の破綻だ 。近代民主主義の自己意識は国境の内側に閉じ込められている 。土地所有と結びついた自己意識は常に戦争の危険性を孕んで いる。戦争と結びついた自己意識は盲目的な自己意識となって 、己自身に襲いかかる。しかし、産業の発展と共に大量の労働 者階級が歴史の舞台に登場すると、民主主義の中心的な担い手 は労働者階級となる。平和と民主主義の両立は、ブルジョワジ ーと農民の同盟によっては獲得できない。土地所有から開放さ れた労働者階級と農民の同盟によってのみ、平和と民主主義は 両立する。平和と両立できる民主主義同盟は土地所有から開放 された同盟だ。従って、この同盟は労働者階級のヘゲモニー化 にある同盟である。
 集団の自己意識・意識的な計画性は民主主義的な過程で獲得 できるが、この計画は官僚的な組織機構を通じて遂行される。 民主主義は官僚を追放・打倒する事によって実現できるのでは なく、官僚を民主主義に服属させることによって実現できる。 社会主義は資本家を追放することによってではなく、民主主義 的な決定に従属させることによって実現できる。投資家を追放 しても、別の官僚を置きかえるだけにすぎない。市場の解体は 官僚の独裁を惹起するだけだ。自由な市場は官僚の独裁に対す る抵抗の空間として機能する。社会主義は市場の解体によって ではなく、市場を民主主義的な決定によって規制・誘導する事 によって実現できる。人間の自由な経済生活のためには、市場 は不可欠な空間である。

3、市場経済と民主主義

 資本主義経済のもとでは、経営権は資本家が握っている。し かし、商品は売れなければ利益を産まないし、労働力を再生産 することもできない。現代の経営では「顧客第一主義」が流行 する。生産のために消費があるのではなく、消費のために生産 がある。「利益第一主義・株主第一主義」はこの生産と消費の 関係を倒錯させる。資本主義的な生産様式では、利益のために 生産があり、この利益の現実化のために消費がある。利益第一 主義の市場経済は、公害・環境破壊・弱肉強食を惹起する。資 本主義的な市場経済は盲目的な市場経済となって己自身を破壊 する。外部からの民主的な圧力によって身に付けたビルド・イ ン・スタピライザーは、この市場の自動安定化装置である。ま た、株式市場が大衆化すれば、公正で公開な株式市場への要求 は高まる。経営への社会的な責任の要求は株式市場と株主総会 からも高まる。それ自体としては、資本主義市場経済は盲目的 で自己破壊的な生産様式だが、外部から民主的な圧力と誘導が あれば、合目的で意識的な市場経済に転化する。資本は自己増 殖する価値であり、実に盲目的な力だ。資本は「戦艦ポチョム キン」でろうと「資本論」であろうと儲かればいい。社会的な 責任と義務を強制し、その進むべき進路を指し示せば、その方 向に向かって自己増殖する性向を持っている。市場の本当の主 人は、利益でもなければ生産者でもなく消費者だ。消費者こそ 市場の主人である。消費者中心の市場は資本主義的な生産様式 からは、自動的に産まれない。「利益第一主義」を克服する民 主的な外圧なしでは産まれない。この外圧には政治的社会関係 の民主化が不可欠だ。
 労働者は生産過程においては、資本に対して従属的な立場に あるが、消費者としては資本に対して対等な立場に立つ。市場 においては、消費行動は選挙と同じような役割を果たす。消費 者にとって役立たない経営者は市場から淘汰される。近代経営 学の祖と言われるバーナードの「受容圏」論は興味深い。この 理論では、経営者は労働者が受容できる命令でなければ、命令 として成立しないと言う。「権威」は受容されて初めて正当化 される。制度的には様々だが、労働者は間接的に経営に参加し ている。資本の利益代表である経営者は、労働者からの民主的 な圧力を受ける。しかし、何よりも、消費者からの民主的で直 接的な圧力を受け、淘汰される立場に立つ。トロツキーは政治闘争を「政治の市場」と呼ぶ『われわれの政 治的課題』(政治的代行はやめよ!)。政治の市場は社会の政治的な緊張を高め 、社会の民主化を加速する。この政治の市場は経済の市場を民 主化する役割を果たす。また経済市場の民主的な発展は、消費 者の力を高め、政治関係の民主化を加速する。市場経済と民主 主義は不可欠な関係にある。

4、人為淘汰と自己意識

 市場経済と民主主義は人為淘汰の世界である。人為淘汰は自 然淘汰の過程を合目的に調整する。民主主義は、盲目的な市場 経済に合目的に介入し、市場そのものの論理によって、市場を 合目的に変革する。社会主義と資本主義は敵対的な関係になっ ていない。社会主義の思想は資本主義経済の盲目性に介入し、 この経済を合目的に導く意志だ。資本主義的な生産様式として の市場経済は盲目的な市場であり、自然淘汰の経済である。盲 目的な市場は「失敗」を繰り返す。「市場の失敗」は政治的な 圧力となって政治の市場に激変を起こす。民主的な政治関係の 下では、自然淘汰の世界は政治圧力によって、人為陶汰の世界 に転化する。人為陶汰の世界は、自然淘汰の「失敗」から学ん だ学習の結果である。自然淘汰の結果は人為陶汰の世界におい ては、原因となる。人為陶汰は自然淘汰による系統発生過程の 個体発生的な展開だ。社会主義経済は資本主義の彼岸にあるの ではなく、資本主義経済に合目的に介入し、目的意識的な生産 様式の契機に転化する。社会主義経済とは資本主義の盲目性を 乗り越えた目的意識的な生産様式だ。長い間、この目的意識的 な計画経済は、市場を解体した官僚統制経済と勘違いされてき た。実の所、この官僚統制経済は資本主義経済以上に盲目的な 経済となった。集団の意識的な合目的性は官僚の頭脳の中から 産まれるのではなく、自由で民主的な公開の討論の中から産ま れる。目的意識的な生産様式は、市場の彼岸にあるのではなく 、「市場の失敗」を防ぐことによって、更に一段と市場の拡大 再生産を促進する。社会主義経済とは、人類の自己意識によっ て統制された市場経済だ。資本主義を発展の一契機として利用 する意識的計画的な市場経済である。
 動物の神経組織は、多様な細胞組織の情報伝達回路の中継点 として発生してきた。この単なる情報回路の中継点は他の組織 から自立し、他の組織の上に立ち君臨する組織として進化した 。各種の器官は神経組織の情報によって統制され、神経器官は これらの各種器官によって保護される。神経組織には誕生後の 学習の結果として、多くの情報が蓄積されている。そのため再 生が困難な器官だ。神経細胞の老化は、否応無しに生体全体の 老化となる。個々の細胞を主体に見た生体全体の有機的な関係 は、弱肉強食の世界となっている。神経細胞以外は、老化する と殺され捨てられる。そして新しい新鮮な細胞にとって替えら れる。個々の細胞から見れば、実に残酷な自然淘汰の世界だ。 人間社会に例えるなら、神経細胞はこの残酷な弱肉強食の世界 で生き長らえ、他の諸々の細胞を己の意のままに操る官僚に似 ている。人類の有機的な市場経済は、こうした弱肉強食の有機 的な関係とは全く異なった構造となる。人間社会においては、 各人が意思決定主体であり、自己意識を持った主体だ。細胞社 会においては、生まれでた瞬間に役割が決まり、余程の変化が 無い限り、役割は変わらない。人間社会においては、各人が自 己意識を持ち、己の役割と進路を自由に決める権利を保持して いる。従って、人間社会においてはすべての人間が神経細胞と なる。民主的で有機的な人間社会においては、官僚組織の上方 に上り詰めるにしたがって、淘汰の圧力が高まる。「万人は一 人のために、一人は万人のために」という共生的な社会構造で なければ、有機的な社会構造を作り得ない。動物の神経細胞は 自然淘汰の世界で生き長らえはするが、己自身の設計図で生体 全体の構造を決定しない。人間社会の民主的な意思決定は、己 自身に対する自己意識であり、己自身に対する自己変革的な意 識である。進化は外的に強制された盲目的な過程ではなく、己 自身の意志によって統制された合目的な過程だ。集団の有機的 な関係は集団自身の自己意識によって獲得できる。