沖縄の知事選挙について、このサイトに集う皆さんの多くは
、結果が出なかったのは残念だが、革新共闘が復活したのはよ
かった。とお考えではないかと思います。こうした野党共闘の
流れを強化したい、と。
しかし、私が意見を聴いた多くの関係者の意見は、「『そう
ぞう』には振りまわされた。共産党にはこりごり、二度と一緒
にやりたくない」というものでした。革新共闘復活と再出発ど
ころか、いよいよ本当の最後になるだろうというのです。もち
ろん選挙を担った全員にインタビューしたわけではありません
が、共産党以外の党が一様に、共産党との共闘の難しさを再確
認したということは確かなようです。
この最大の理由が共産党の共闘手法にあると思うのです。「
一致・合意したうえですすめる」という主張は、一見正しいよ
うに見えるのですが、「一致できないことはしてはいけない・
共産党が合意しないことはしてはならない」という意味となり
、すべての構成員に拒否権を与えることを意味するのです。こ
の原則が持ち込まれると共通できる部分だけの運動に矮小化し
てしまい、多様性で補い合うような運動にならないわけです。
最大公約数の運動になってしまうのです。
例えば、共産党は「I候補は訴えを基地問題に絞って反基地
で闘え」と考えているとします。他の党は温度差があるものの
「基地問題は重要だが、それだけでは勝てない。景気や雇用問
題についても訴えるべきだ」と考えるとします。共産党がいな
ければ「じゃあ基地問題を中心に、雇用とかの訴えももう少し
増やそうや。それぞれの党が訴えるのは好きずきにやろうじゃ
ないか」ってことになるんだけど、共産党系の人々は「一致で
きる部分は基地問題だ。みなが一致できる基地でやるべきだ」
って発想になるわけです。現実に「このビラはまけない」、「
この文書は認めない」と拒否権を乱発する。その結果、みんな
足を取られて活動力が十分に発揮できなくなるわけです。確か
に共産党の力は欲しいけど、こんなに足を引っ張られるんじゃ
、いない方が全体の活動力は大きくなるかもしれない。共産党
の言うことに耳を貸して足を引っ張られるべきじゃない、って
声が出てくるわけです。
共闘というのは違いがあってその違いを生かしあっていく、
共通する部分はなるだけ広げていく努力をする、そういうなか
で全体の力量が最大に発揮できるようにする。あわよくば刺激
しあって1+1が3にも4にもなるようなことを期待するのだ
と思います。共産党流の共闘だと、共産党の1と、他の政党の
1のうち一致できる部分0・5位を足したものから、摩擦によ
る消耗分を引いた1・3とかになっちゃうわけですね。
みなさんどう思われますか?