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「組織論・運動論」討論欄

全選挙区立候補方針の転換に関わって

2007/9/18 人文学徒

 日本共産党が、いまになってやっと、全選挙区立候補方針を 取りやめた。ここは僕としてもどうしても一言言わないわけに はいかない。

 このさざ波でも、「全選挙区立候補は供託金没収もあって、 党財政の無駄遣いだ。専従職員の給料遅配もあるのに不見識で ある」という批判が、多く出続けてきたはずだ。
 また、「全選挙区立候補は自民以外の足を引っ張るから、自 民を利するだけ」、「この方針は、客観的には『共産党=自民 別働隊』と変わらない方針だ」、こういう意見もこれまでずっ と無数に出ていた。
 これらの意見に対して、党中央は「これは正しい」と言い張 り続けてきたはずである。

 これを今になってやっと大転換するならば、従来の方針の総 括が不可欠なはずだ。どういう性格の間違いであったのかとか 、この間違った方針の集団責任、指導部個人責任はどうだった のかとかの、総括である。莫大な党財政浪費があっても貫いて きた方針であるから、特に重大な自己批判が必要なはずなので ある。

 さて、そういう自己批判がなにもないのは、なし崩し方針転 換と言う。なし崩し方針転換とは、とりわけ指導部の自己批判 を回避するという性格のものであり、断じて許せない。これだ けの重大な間違いを、指導部の自己批判抜きで済んでいく政党 が他にあるだろうか。日本共産党は、指導部に対して実に甘す ぎる政党であると言わねばならない。その本質とは何なのだろ うか?

①党員が、「『自分ら自身』にそれらしい哲学もない」のに、 指導部は正しい認識があるはずだと信じ込んでいる。因みに、 党員である政治学者、経済学者、哲学者、文学者などが無数に 党を離れたのに、党員にはそのことはほとんど知らされないよ うになっている。
②では、戦後60年たって政治的力量としては何の前進もない のに、まだ①のように信じ込める背景とはなんなのか。
 今のままでいつか、党が急に伸びる時が来るはずだと信じ込 んでいるということだろう。これを哲学では「客観主義」と言 う。「客観情勢が近く我々を有利にするはずだ」という「理論 」だけが頼りなので、今までと同質の「主体的」努力しか思い つかないという理論と言うこともできるだろう。
③加えて、民主集中制というものが、党の基本方針への反対意 見を見えなくしてきたという歴史的事実にも触れておきたい。
 今度のような方針の大転換があったとき、そうすべきだと言 い続けてきた党員が多くいたという事実は、民主集中制の故に こそ党員にはほとんど見えなくなっている。これへの批判者が 正しくて、中央が間違っていたわけだが、この論争の経緯は党 員には知らされず、中央が自ら気づいたという形だけが党史に 残るというわけだ。
 そういった背景からこそ、中央がこの大転換に頑強に反対し てきたという事実は党史には何も残らず、かくして中央は何の 自己批判も不必要ということになるのだろう。この論争史が全 党員に明らかになっていれば、この大転換に際して中央は自己 批判せざるを得ないはずだからだ。

 今回のことでの問題提起は以上にとどめておく。ただ最後に 、僕がこういう事を、諦めもせず、愛想も尽かさず、熱心に語 り続けている理由だけを記しておきたい。その意識、哲学はと もかくとして、党員には「人間として」立派な方が多いという ことは、40年の党生活で痛感してきた。人間、意識や哲学よ りも人間そのものこそ、重要と考える。政党も同じ事。党員の 人間の質こそ最重要の党財産だ。ただ指導部は別だ。「理論的 ななし崩し大転換」を一つでも行った指導部は自己批判せねば ならぬ。そして、その自己批判が受け入れられなければ、退陣 しなければならない。 そういう思想が微塵もない政党幹部は、その党員に甘えてその 無能を通す以外の存在ではないのだと思う。この指導部は、こ の党員たちにはもったいないと、近年の僕は痛感してきた次第 である。