ビキニ環礁でのアメリカの核実験により第五福竜丸が被曝してから今日で54年になります。
(実は当時アメリカの核実験で多くの漁船が被曝していました。もちろん、福竜丸の久保山愛吉さんが亡くなられたのは大変な衝撃でした。)
東京の主婦たちの運動から原水爆禁止運動は盛り上がりました。
最初は実に生活視点だったのです。
ただし、それまでは、広島や長崎の被爆者への援護施策も不十分だったのです。被爆者たちの苦しみは想像をぜっするものだった。
当時の日本人に「他者への共感」が欠けていたといえば、そうといわざるをえない。
さらに、不幸にもせっかく発展した原水爆禁止運動も左翼勢力の内ゲバに翻弄されてしまうのです。
「違いを認めつつ、一緒にやれることは一緒にやる」ができないものか。
いつも私もそう思いました。
また、外国在住の被爆者問題への取り組みが、強まるのも残念ながら遅れてしまった。
多くの被爆者が今なお十分な援護を受けられない実態がある。
これらを見て共通する課題を感じます。
やはり「他者への共感」の不足です。
自分たちの直面する問題を出発に立ち上がっていく。これはいいと思う。しかし、一方で自分が困らなかったら立ち上がらない、というのでは困ると思います。
ある被爆者の女性作家は、原爆のことを占領軍にも反抗して書いてきたが、世間は冷たい。ようやくビキニ事件で立ち上がってきた国民をみて「ざまあみろ」と発言してしまったのです。
社会の非合理に苦しんでいる他人の問題を自分に引きつけて考える想像力。最悪、自分に引きつけられなくてもいい。共感すること。
一方で、先に問題に気づいた人が遅れて気づいた人を叩くのも避けたい。気持ちはわかりますが、不毛です。
また、議論はいい。しかし、イデオロギーで相手を否定し、叩きあうことだけは避けたいものです。自分のイデオロギーを相手に押し付けいうことを聞かないと排除。これもいけない。
それを防ぐには実は個人がお互いをもっと知ることではないか、それが最大の薬ではないか、そう思います。
記2008年3月1日
さとうしゅういち
広島県原水禁会員、社会市民連合