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「組織論・運動論」討論欄

人文学徒さんへ──やがて共産党と社民党の合同が国民の声になってくるでしょう──

2009/2/20 原 仙作

 人文学徒さん、おひさしぶりです。いつも私の投稿を読んでいただきありがとうございます。私も人文学徒さんのところのブログを時々読みに行っています。”バトル”ばかりしてないで、たまにはこちらのサイトにも・・・、という冗談はさておき、時間の合間を縫って乏しい知恵をしぼり、投稿していることを理解していただき感謝しております。

 人文学徒さんは「人生の集大成」という言葉を使われていますが、私のものはそこまではいきませんが、このサイトへ出てくる投稿にはそれぞれに思い入れの深いものがたくさんあります。長年、考え続けてきたことが投稿されているように思います。最近投稿しておられる”福祉国家を”さんの投稿もそうしたものの一つでしょう。その問題意識は私も共感するものが多く、レスしたいところですが、残念ながら私にはその準備がなく、なさけなく思っているところです。そしてまた、老舗とも言うべきこのサイトの主催者が10年の歳月を維持し、ネット上の個人情報(IPアドレス等)を消し投稿を掲載しつづける努力も、なみなみならぬ決意に支えられているのだと思っております。

 私の深く確信するところでは、今は捨て去られているマルクスやレーニンの言論が見直され復活してくる日は必ずやってくるのであって、その日のために、意図的に作られた誤った権威、あからさまなウソで塗り固められた「理論」を批判しておくことは、その昔、マルクス主義の洗礼を受けて学生時代を送った者の義務だと考えているのです。”あの時は、本当は反対だった”と言って、どこかの宰相のように醜態をさらすわけにはいきません。

 とりわけ、レーニンの『民主集中制』という党組織論をその本来の姿で再生させておくことは、日本共産党の組織実態が人文学徒さんが告発されるように、党発展の害悪となっているばかりでなく、心ある若い有能な人材を無為に蕩尽する機構と化しているだけに非常に重要なことだと思っているのです。「綱領する?」というような表現を、クールな若者言葉であるかのように報ずる「赤旗」の紙面を見ると、背筋に冷たいものが走るような感覚を覚えます。

 一見してわかるウソでマルクスを援用しレーニンをけなす不破の「理論」を見ると、彼が口先では共産主義の必然を言うものの、本当にそう信じているとはとても考えられないことです。自分でわかっていて羊頭を狗肉だと言いふらして売る商人の”善意”なるものを誰が真に受けることができるでしょうか? 党の名称を変える問題で、彼は共産主義の理想を理由にあげて変更を否定していますが、とうてい、額面どおりに信用するわけにはいきません。
 私は文字どおりの思想の変化としての”転向”を非難する気は毛頭ありませんが、不破の場合は、若きマルクス学徒が党の幹部になるにつれて、どこかで”変節”してしまっています。変節の芽は彼の若き頃から生まれていて、どういう結論にでも議論を組み替える彼の才覚がそれです。企業人であれば、その才覚は有能さとして実証されたかもしれませんが、科学的社会主義という社会科学の領域ではその才覚は最大の欠点になります。

 ご承知のように、不破は先だって亡くなった上田耕一郎の弟で、この兄弟は手をたずさえて党内での出世の階段を登っていきます。出世の第一歩は、上田の有名な「戦後革命論争史」(1957年、絶版)ですが、その内容の一部を上田が弟に書かせることで兄弟で左翼論壇に登場します。上田は「はしがき」で、不破と全編にわたって討論を繰り返し、この著作は「両人の共著」だと書いています。ともに当時にあっては党内の傍流、民族独立を革命の主要課題とする二段階革命論ではなく、反独占社会主義革命の副次的一政治課題と把握する「構造改革派」に属しており、その見地から論争史を整理した著作がこの「戦後革命論争史」でしたが、ご承知かと思いますが、実はこの論文は上田兄弟のオリジナルではなかったようです。

 当時の「構造改革派」の主要なメンバーであった内野壮児、勝部元、山崎春成、小野義彦、石堂清倫の5名が討論した内容を筆記係として参加した上田がまとめたもので、その間の出版事情が石堂清倫の手紙(1997年10月9日付)で明らかにされていることを宮地健一サイトで知ることができます(石堂清倫の手紙「『戦後革命論争史』出版の経緯について」)。上田が「はしがき」の最後でそのことをぼかして次のように書いています。「最後に、十数回にわたる『戦後日本の分析』研究会において貴重なご教示をたまわった先輩諸氏」という具合です。
 石堂によれば、上田は弟を引き立てるよい機会だから不破の名前も掲載してよいかと申し出てメンバーの了解を取り付けています。私はこの手紙を読んではじめて、以前からの疑問(彼らの論文の質が、「論争史」以後は定型化したばかりか劣化してしまったという疑問)が氷解しました。

 こうして上田兄弟は、その党内出世の出発点から彼らのオリジナルではないものをオリジナルとして、”看板に偽りあり”の「理論家」として、あってはならない致命的な欠陥をかかえて左翼論壇に登場したのです。
 宮本顕治の戦後への登場が例のリンチ事件という闇をかかえていたことと共通しており、この欠陥、この闇とこの党のウルトラ分派禁止付きのウルトラ「(民主)集中制」の維持とは深い相関があると考えています。とりわけインターネット時代に入った2000年の規約全面改定で、一般党員にまで箝口令を強制する条項(5条の5)を増設した不破の感覚は、このような左翼論壇への出自、その後の三百代言「理論」のばらまきぬきには考えられず、インターネットを党内の論壇、議論の場として活用できない元凶ともなっているように思います。

 今回の連載を書いているうちに確信するようになったことは、共産党は社民党と統合しなければ再生できないだろうということです。それはあたかも半ば軍事的中央集権主義であったレーニンの党組織論が、党公然化の時代を迎えて、民主集中制論に転換するにはメンシェヴィキとの統合が必要であったのと同じです。理屈としての組織論を組み替えることは簡単ですが、実践的にはボルシェヴィキ派だけで、単独で、これから書こうとするレーニンの民主集中制論に転換することはできなかったでしょう。
 カニは、どこまでも自分の甲羅に合わせて穴を掘るもので、メンシェヴィキとの”すりあわせ”や抗争の中ではじめて実践的に転換できるのです。言わば異文化との”すりあわせ”が自己変革の触媒なのです。とりわけ共産党は宮本、不破支配の半世紀という長い時間が重くのしかかっていますから、なおさらのことです。
 この統合は、遅かれ早かれ、国民の声となっていくはずです。というのは、この統合は共産党の組織実態が必要としているだけでなく、日本では日本国憲法が革命の綱領となるという歴史事情からも必要となってくると思われるからです。まずはお礼までに。