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「組織論・運動論」討論欄

三重の原罪を背負った共産党の民主集中制(6)

2009/4/23 原仙作

44、あらゆる少数派、反対派の権利保障
 以上のような予備的考察で、jcpの分派禁止規定に慣れた頭をすっかり清掃 したうえで改めてレーニンの言う「MS」の諸項目を検討してみることにしよ う。
 その第一は「あらゆる少数派と[党に]忠誠なあらゆる反対派の権利の保障」で ある。この権利保障とは中心的には執行部批判をどの程度自由にできるかという 問題であり、jcpがそうであるように、苦情処理の上申システムがあるとか、 異なる意見を留保できるとか、支部のなかでは自由に執行部に批判的な意見を言 うことができるというような非常に狭い範囲の権利保障ではありえない。
 同じ批判的見解を持つ少数派が党内でグループをつくり、相互に意見を交流 し、多数派や執行部の決定をその決定の前後を問わず党内外で自由に批判できる 権利であり、要するに少数派が多数派に転化するための最小限の保障である自由 な言論とその活動を行うことへの完全な権利保障のことである。「完全な公開 制」のもとでは、少数派、反対派の権利保障は、原理的にこのようなものとなる のである。
 むろん、党大会で少数派がその見解を表明する機会が保障されるべきであり、 そのためには政治見解の異なるグループの出席権(政綱にもとづく選挙、比例代 表制など)も保障されていなければならないわけである。当然、分派禁止など全 くの論外である。
 第4回統合大会が終了した直後、レーニンは少数派となったボルシェヴィキ分 派の見解として党全体へ向けて次のよなアピールを発する。以下、論述の都合で レーニンの引用文に「引用1」「引用2」・・の番号を付けておくことにしよ う。

「引用1」
「われわれは、われわれが誤っていると考える大会諸決定とは思想的にたたかわ なければならないし、またたたかうであろう。しかし、そのさいにわれわれは全 党にたいして、われわれがあらゆる分裂に反対であることを宣言する。われわれ は大会の諸決定への服従に賛成する。われわれは中央委員会をボイコットするこ とを否定し、共同行動を重んじて、われわれの同意見者たちが中央委員会に入る ことに賛成した──そこでわらわれがとるにたらない少数派になるだろうとはい え、われわれの深い信念によれば、社会民主主義組織の労働者は単一でなければ ならないが、しかし、この単一の組織の中では党の諸問題の自由な討議、党生活 の諸現象の自由な同志的批判と評価が広範におこなわれなければならない。」 (「旧『ボルシェヴィキ』分派に属していた統一大会代議員の、党へのアピー ル」レーニン全集10巻300ページ、1906年4月25日)

 「党の諸問題の自由な討議、党生活の諸現象の自由な同志的批判と評価が広範 におこなわれなければならない」のである。この引用文のなかでは、「この単一 の組織の中では」と言っているが、「自由な討議」が「完全な公開制」のもとで は、組織の中だけでなく、党の内外を問わないことは後に出てくる「引用5」、 「引用6」で明らかになる。
 このような少数派の権利が十全に保障され、またその権利行使が行われた場 合、問題となるのは全体の決定がなされた後でその決定を実行する際、少数派の 批判が続けば党内の足並みがそろわず、実行が困難になるという問題が生ずる。 「引用1」の文章に即して言えば、「自由な討議」、「自由な同志的批判」と 「大会の諸決定への服従」をどう矛盾なく解決するかが問題となる。
 この点は後でレーニンの言う「批判の自由と行動の統一」を検討する際に説明 する。あらかじめその内容を述べておけば、決定前の批判の自由はもちろんであ るが決定の実行が開始されれば少数派は批判を中止し、行動の統一に参加して決 定を実行し、実行期間が終了すれば改めて実行の結果の検討を含めて批判を開始 することができるということである。

45、各級党組織の自治
 レーニンの「MS」の第二は「各党組織の自治」である。jcpを見るかぎり では、21世紀に入ってからの国政選挙における6連敗があったにもかかわら ず、その総括をめぐる執行部声明、XX中総決定に都道府県委員会から何の異論 も提起されていないようであり、党外から見ればまことに異常な組織に見えるの である。jcpが常々批判する自民党でさえ、就任数ヵ月で麻生の言動にあちこ ちから公然たる批判の声があがっているのである。
 jcpのこうした組織の音無しの反応ぶりは各級地方組織が、執行部の決定を 実行に移すだけの、党の単なる下部”行政組織”になっているからである。すなわ ち、本質的に中央集権だけの組織(専制)という実態だからであり、その機関構 成員(地方組織役員、彼らはほとんどが専従職員である)が当該組織所属党員に よる真の選挙によって選出されているのでなく上部機関の指名であり、執行部批 判は即地方役員解任=失業を意味するというように、下部組織役員・専従職員が まったくの無権利状態に置かれているからである。専従職員のこの無権利な実態 は元党員にして地方組織役員であった宮地健一サイトで詳細に見ることができる (注27)。レーニンにあっては次のようになる。

「引用2」
「中央委員会は、カデット内閣についての要求を支持せよという、同委員会の決 議をうけいれるように党諸組織に要求する権利は絶対にもっていない。全党員 は、完全に自主的で批判的な態度をこの問題でとり、彼らの見解から見て、統一 大会の決定の範囲内でより正しく任務を解決しているとおもわれる決議に賛成意 見を表明する義務をもっている。ペテルブルクの社会民主主義的労働者は、党組 織全体がいま民主的に建設されつつあることを知っている。それは、党員が役 員、委員会のメンバーなどを選挙し、党員がプロレタリアートの政治カンパニ アの問題を討議し、決定し、党員が党諸組織の戦術の方向を決定するというこ とを意味する。・・・どんな規律も、中央委員会のつくったすべての決議案に盲 従する義務を党員におわせるものではない。党諸組織は自分の判断する権利を棄 てて、中央委員会の決議の署名者(賛成者)に転化するべきであるというような 規則は、どこにも、一度もこの世のなかにあったことはない。」(レーニン全集 10巻「労働者に決定させよ」505~506ページ、1906年6月1日、太 字はレーニンによる強調)

 「全党員」の「全」が三度も強調されていることに注意したいが、中央委員会 による決定やjcpにいうXX中総決定などは、それに無条件に従うという義務 はなく、反対に、党員や各級党組織はその決定に自主的な検討を加え、大会決定 の「範囲内」でより正しいとおもわれる意見を言うか、その意見に賛意を表明す るかするのが党員と党諸組織の義務だとレーニンは言うのである。
 jcpにあっては、地方の問題については地方組織に一定の自主的決定権を与 えて、それを地方組織の自治のように扱っているようであるが、レーニンの場合 は「統一大会の決定の範囲内」という限定があるだけで、あらゆる問題について 自治権が認められているのである。党員個人に自由な言論を保障しておいて、地 方諸組織に自治の範囲を限定するという議論は成立のしようがないのである。 jcpの執行部が、地方組織の自治を極度に制限するのは、地方組織を党員諸個 人の組織的地方結集体とみるのではなく、党の下部行政組織と把握しているから である(注28)。

<(注27)、宮地サイトによれば、裁判で争われた専従職員の法的地位は「有 償委任契約」、わかりやすく言えば業務請負契約のようなものであって、労働者 としての雇用関係はなく、したがって労働基準法の適用はない、ということに なっている。これでは執行部に批判的な見解を述べれば即座に業務請負契約を解 除されるという、まったく隷属的で不安定な地位に専従職員はおかれることにな る。jcpの数千人にのぼる職員はこうした不安定な地位におかれており、これ では自主的な思考は危険が伴うことになり、「ヒラメ」ばかりが育つ組織風土が 形成されるのであって、前人未踏の21世紀革命を担う有能な人材を育てられる わけはない。
 執行部に批判的な言辞を弄してもその専従としての地位が保障されてこそ、自 由な発想が芽吹き、有能な人材も育ち、党の方針にも妙案が生まれてくるのであ る。jcpにあっては、常々批判している大企業ほどにも”社員”の権利保障が行 われていないことになる。その場所でもないが、専従職員の労働者としての権利 保障、労働基本権を認めることが組織活性化の重要な条件であることをここで指 摘しておこう。>

<(注28)、エンゲルスは、ドイツ社会民主党の中央が、党諸組織発行の全新 聞を統制下に置くことに反対して次のように言っている。

「・・・党が君たちの新聞雑誌全部を占有するということは、僕にはなんとして もおかしなことに思えてならない。君たちが、自分の仲間内に社会主義者取締法 を導入するのだったら、なにによって君たちとプットカーマー(プロイセンの反 動政治家・内相─引用者注)とを区別するのか?・・・どんな国のどんな党も、 僕がものを言おうと決心したら、僕に箝口令をしくことはできない。・・・君た ち─党─は社会主義科学を必要とするが、この科学は動きの自由なしには生きてい かれない。そこでいろいろの不愉快はがまんしなければならない。」(「エンゲ ルスからべーベルへの手紙」1891年5月1日、マル・エン全集38巻72 ページ、太字はエンゲルスの強調)
「君たちのいう新聞の『国有化』は、やりすぎると、とんでもない ことになる。君たちがどうしても党内にもたなければならない新聞は、執行部 に、また党大会にも直接従属していない新聞、つまり、綱領と、採決された戦術 の範囲内で個々の党の措置にたいしておかまいなしに反対することができ、また 党の節度を越えない範囲で綱領と戦術をも自由に批判に付することができるよう な新聞なのだ。」(「エンゲルスからべーベルへの手紙」1892年11月19 日、同38巻453ページ、太字はエンゲルスの強調)
 

 jcpにあっては、エンゲルスの主張とは対極にあり、新聞その他の出版物は 党中央の独占か、その点検・検閲、統制下にあると言っていいだろう。ここでは 党諸組織の発行する新聞を事例にしているが、それらの新聞の自治を承認するこ とはとりもなおさず、党諸組織の自治の承認の問題なのである。不破らはマルク スだエンゲルスだと言いながら、都合の悪い”師匠”の主張はまったく無視である から、「とんでもない」不肖の「弟子」なのであって、新聞は中央機関紙が一つ あるだけで、その新聞「赤旗」の拡大を「大運道」と称して、地方諸組織の実情 を無視して全党組織をあげて何年も続けることの異常性がわからないのである。
 ここにも選挙制によらない幹部抜擢の弊害が現れており、その弊害は全国の党 諸組織を一律に行動させることを理想の組織実践と”勘違い”する抜擢された幹部 =不破・志位らの”紋切り型”の頭脳から生まれているのである。そして、この紋 切り型の頭脳は、便利なことにレーニンの分派禁止決議をくっつけた「MS」組 織を最高の組織的到達と理屈づけ、それ以前のエンゲルスやレーニンの主張を古 い組織の古い言い草だと退ける悪知恵だけは回るのである。>

46、党役員の選挙制、報告義務、更迭
 第三は「党のあらゆる役員の選挙制と報告義務と更迭可能性の承認」である。 選挙制についてはすでに「42項」で述べたように「完全な公開制」のもとでの それである。これこそ真の選挙制であり、全党員と全国民の「全般的監督」のも とで真に有能な人材が適材適所に配置されていくのである。jcpにあっては、 不破を頂点とする実質的な役員の指名制であり、形式的な選挙制はあっても党の 民主制を保障する真の選挙制はない(注29)。
 したがって、党の「完全な公開制」を保障する役員の言動、活動の「報告義 務」なるものはなく、XX中総決定などが「報告義務」に代替されており、しか もそのXX中総は”決定”としての下部への”指令”が中心的内容をなしている。つ まり、全党員が役員の活動を点検する素材としての「報告」は実質的にはjcp にはない、ということになる(注30)。したがってまた、役員の「更迭」を一 般党員から云々する可能性も機会も存在しない。
 jcpに見られる「更迭」の近年の事例は、世間一般が言う不祥事を党役員が 起こした時、党執行部の判断で更迭する場合だけである。例外は、東京都委員長 の若林義春などの場合で、彼は常任幹部会員からヒラの幹部会員に降格されてい る。2003年の都知事選で、不破の強力な”推薦”があったにもかかわらず jcpの基礎票の半分しか得票できずに惨敗したせいか、あるいは、2005年 の総選挙で東京ブロック比例順位一位でありながら重複立候補した東京22区で 10%以下の得票しか得られず比例区での復活当選資格を失うという醜態をみせ たせいか、その後の党大会(24回大会、2006年)で降格されているのであ る。この降格人事も大会の情報公開である「前衛」臨時増刊No803号にその説 明が掲載されているわけではない。増刊号の表紙には「全記録」とあるにもかか わらずである。したがって、この常任幹部会員更迭事例も一般党員のあずかり知 らぬところで行われている幹部”人事”なのである。

<(注29)、2006年の24回大会の「役員選考委員会の報告」は次のよう に言っている。

「役員選考委員会の報告をおこないます。・・・代議員のみなさんからの推薦 は、13日午後4時まで受け付けましたが、推薦はありませんでした。したがっ て、選考対象は、中央委員会が推薦した百三十名の中央委員候補、十四名の准中 央委員候補、合計百四十四名であります。選考委員会は・・・審議しました。そ の結果、全員が・・・適格であることを確認しました。」(「前衛」No803 号、128ページ)

 ごらんのように、前大会の中央委員会が、新しい中央委員会の候補者を推薦 し、そのメンバーが選挙ではなく、”一括信任”されるというのが実情である。前 大会の中央委員会といっても具体的には当時の中央委員会議長・不破がとりまと めをすることは言うまでもなかろうし、前大会の中央委員会が新中央委員を”塊” で推薦するというのだから、選挙ならざる”お手盛り人事”が行われていることは 明瞭であるといえよう。
 個々の中央委員候補者について大会代議員は何も知ることなく”一括信任”を強 要される。中央委員でさえこの有様であるから、中央委員から選出される幹部 会、さらにその上の常任幹部会、さらにその上の委員長となっていくにつれてど のような選ばれ方をしているかは想像に難くないのである。これではまだしも自 民党の総裁選挙の方が数段民主主義的である。>

<(注30)、jcpにあってはXX中総”決定”を党諸組織と個々の党員が批判 的に検討するという”習慣”が消え失せている。むろん、XX中総決定に賛成なら ばそれにこしたことはないが、jcpにあってはほぼ10年近く国政選挙や統一 地方選で負け続けてもXX中総決定に”賛成”ばかりというのは途方もなく異常な ことで、下部諸組織の役員がXX中総決定を”大命降下”とばかりに受け取ってい るからである。また執行部もXX中総決定に反対するということを「反革命」な みにとらえていることは、連載(3)の「24項」の<注18>で査問の実態を 例に示してきたところである。
 「赤旗」の学習・党活動版や都道府県地区委員長会議等の公開された議論をみ ると、XX中総のどこそこを批判という意見は絶無であり、XX中総に”学ぶ”と か”目からウロコ”とかいう「ヒラメ」発言ばかりで党外から見れば”カルト”組織 の相貌を帯びてみえるほどである。それだけ、jcpの長年の組織の実情が作り 上げてきた問題の根は深いことがわかるのである。幹部の言動を点検する報告制 がないのであるから、自分の頭で考える有能な幹部は育たず、一般党員はロボッ ト化の危機にたえずさらされている。>

47、党員の行動原則としての「批判の自由と行動の統一」
 レーニンの言う「MS」の第四は「大会のすべての決定にたいする服従」であ る。第一から第三までは組織の民主主義の側面に属するものであったが、ここで はじめて組織の集中制の側面が登場する。レーニンの言う「決定に対する服従」 とは、言論における服従、批判の取り下げ・撤回ではなく、決定が要求する具体 的政治行動における服従、すなわち、決定が要求する具体的政治行動へ多数派と ともに参加し、統一的な具体的行動を行うということである。そのことをわかり やすく言ったレーニンの文章を引用しよう。

「引用3」
「単一の党のなかでは、党の直接的行動を規定する戦術はひとつでなければなら ない。そういう単一の戦術となるのは党員の多数者の戦術でなければならない。 すなわち、多数者が完全に明らかになった場合、少数者は批判の権利ならびにつ ぎの大会での問題解決をめざしてのアジテーションの権利を確保しつつ、その政 治的行動においては多数者にしたがわなければならない。」(同10巻、「国会 と社会民主党の戦術」95ページ、1906年2月)

 「党の直接的行動を規定する戦術はひとつ」であり、その戦術は「多数者の戦 術」、したがって少数派は「批判の権利」「アジテーションの権利」を確保しつ つ、「政治行動では多数者にしたがわなければならない」というわけである。こ こに有名な「批判の自由と行動の統一」という党員の行動原則が登場することに なる。この文書の発表時期である1906年2月に注意されたい。第4回統一大 会の2ヵ月まえのことで、ボルシェヴィキが少数派に転落することが判明する前 のものである。後の不破・榊の主張を検討する際の論点のひとつになるが、レー ニンは少数派に転落したから自由な批判を確保する目的でこの「批判の自由と行 動の統一」という行動原則を創案したわけではない。党の統合に向けて、レーニ ンは分裂した3回党大会当時から研究と実践上の試行錯誤を続けてきたのであ る。
 では、「批判の権利」「アジテーションの権利」が自由に行えるとすれば、 「多数者の戦術」に従うとはどういうことを意味するか? 自由な批判と服従を どう統一するのであろうか? レーニンの言う具体的事例で見てみよう。国会選 挙ボイコット派のレーニンは次のように言う。

「引用4」
「選挙のさいには、かならず、行動を完全に統一しなければならない。大会は、 選挙がこれからあるところではつねに選挙に参加しよう、と決定した。選挙のさ いには、選挙への参加をけっして批判してはならない。プロレタリアートの行動 は、統一されなければならない。」(「ロシア社会民主労働党統一大会について の報告」全集10巻、369ページ、太字はレーニンの強調)

 選挙にあたっては行動は「完全に統一」しなければならず、ボイコット派の レーニンらも「選挙のさいには」選挙への参加を「けっして批判してはならな い。」のであり、選挙戦を戦うというわけである。当然の事ながら選挙への参加 が決定する前はレーニンらはボイコット論を展開していたのであり、選挙後は再 び、選挙戦の総括を含めて参加したことの是非について論戦が始まるのである。
 このことからわかるように「決定への服従」とは全党で決められた決定にもと づく具体的政治行動への服従のことである。その政治行動の実行期間以外はその 前後を問わず、党の内外を問わず、自由な批判と論戦ができるし、やらなければ ならないということである。

48、レーンの言う「MS」論の理解を点検する(1)
 以上の検討でレーニンの言う「MS」と、そこにおける行動原則=「批判の自 由と行動の統一」についてその基本的な内容を知ることができた。主要な点を列 挙して、これまでの検討をまとめれば、一次案(その意味は後に明らかになる) としては、次のようになる。
 公然たる党活動が可能となった時代には、党組織には「広範な民主主義的原 則」が貫かれねばならず、その原則の基本は「完全な公開制」ということであ る。この「完全な公開制」を土台にして、政党の組織形態としては「民主主義的 中央集権制」として具体的形態をとることになり、そこでは「少数派、反対派の 権利保障」、「各党組織の自治」、「役員の選挙制、報告義務、更迭」、ならび に「決定への服従」ということが実現されなければならない。そしてこの組織に おける行動原則は「批判の自由と行動の統一」として実行し、党員の自由な批判 と「決定への服従」を両立させ、民主と集中の相互矛盾を実践的に解決していく のである。
 そこで、このような要約が正しいのかどうかをレーニンの別の文章で点検して おくとしよう。レーニンは1906年5月に、すなわち大会終了後に、ボルシェ ヴィキが少数派になったことが判明した後に、この第4回統一大会についての報 告書を書いており、大会の結果をふまえて今後どのような形で党内活動を進める べきかということの構想を述べているので、それを紹介し、ここでの要約とつき あわせることにしよう。①、②・・は便宜的に引用者がつけたもの。

「引用5」
「①わが社会民主主義者の右翼のこれらの傾向にたいして、われわれはもっとも 断固たる、公然たる、また容赦ない思想闘争を行わなければならない。②大会の 諸決定のもっとも広範な討議を目標とすることが必要であり、あらゆる党員に、 これらの決定にたいする完全な意識的で、批判的な態度を要求することが必要で ある。③すべての労働者諸組織が、事がらを完全に知ったうえで、あれこれの諸 決定にたいする賛否の意志を表明させるように努力しなければならない。④も し、われわれが、わが党内に民主主義的中央集権主義を実現することを実際真剣 に決意したのならば、もしわれわれが労働者大衆を党の諸問題の意識的解決に引 き入れようと決意したのならば、出版物のなかで、集会で、サークルで、グルー プで、この討議が行われなければならない。⑤しかし、単一の党内でのこの思想 闘争が、組織を分裂させるようであってはならないし、プロレタリアートの行動 の統一を破壊してもならない。それは、わが党の実践ではまだ新しい原則であっ て、この原則を正しく実行にうつすためには、すくなからぬ努力が必要であろ う。⑥討議の自由、行動の統一──これがわれわれのかちとらなければならないも のである。・・・・⑦選挙のさいには、かならず、行動を完全に統一しなければ ならない。大会は、選挙がこれからあるところではつねに選挙に参加しよう、と 決定した。選挙のさいには、選挙への参加をけっして批判してはならない。プロ レタリアートの行動は、統一されなければならない。・・・⑧だが、行動の統一 という範囲以外では──われわれが有害とみなす行動、諸決定、諸傾向にたいし て、もっとも広範に、自由に、討議し、論難するべきである。⑨このような討 議、決議、抗議のなかではじめて、わが党の真の世論ができあがることができ る。⑩このような条件のもとではじめて、それは、自分の意見をいつでも表明す ることのできる、また明確になった意見を、新しい大会の決定に変える正しい道 を発見できる、真の党になるであろう。⑪意見の相違をひきおこした第三の決 議、─蜂起についての決議をとってみよう。ここでは、闘争の瞬間における行動 の統一は、絶対に必要である。このような激烈な闘争のさいには、自己の全力を 緊張させている、プロレタリアートの軍隊の内部での批判は、いかなるものも、 ゆるされない。⑫、まだ、行動への呼びかけがないうちは─決議、その趣旨、およ びその個々の命題にたいしてもっとも広範に、自由に、討議し評価を下すべきで ある。」(同10巻、370~371ページ、1906年5月、太字はレーニン の強調)

49、レーンの言う「MS」論の理解を点検する(2)
 ①は言うまでもなく、多数派となったメンシェヴィキとの思想闘争の必要性を 述べたもので、具体的には②にある「大会の諸決定のもっとも広範な討議」を通 じて思想闘争を行い、メンシェヴィキも含めて「あらゆる党員」が大会の諸決定 について自覚的に賛否を表明できるようにすることである。大会の諸決定さえも が、決定された後も「広範な討議」の対象になっていることに注意したい。
 特別に注目するべき点は、③「すべての労働者諸組織が、事がらを完全に知っ たうえで、あれこれの諸決定にたいする賛否の意志を表明させるように努力しな ければならない。」とあることである。何で大会の諸決定の討議・思想闘争に 「すべての労働者諸組織」が登場し、彼らを論争に巻き込む必要があるのか?  この「すべての労働者諸組織」は党員の組織ばかりでなく党外の一般の労働者諸 組織を含んでいることは言うまでもない。党員に限定されない表現であり、その ことは④に「労働者大衆を党の諸問題の意識的解決に引き入れようと決意した」 とあることでも明らかである。
 レーニンは、なぜ「労働者大衆を党の諸問題の意識的解決に引き入れようと決 意」するのであろうか? jcpのように党内問題は党外に持ち出さず党内で解 決し、党外に持ち出せば規約違反で除名しようとは、なぜしないのか? レーニ ンはjcpの規約によれば除名されることを奨励している。党員諸兄の解答はど ういうものであろうか? 
 この「引用5」には直接には書かれていないが、そもそも、「党の諸問題」と は何かということを考えてみるべきであろう。それは主要にはロシアの政治問 題、情勢分析、戦略、戦術、政策等であり、それらは党の問題である以上にロシ アの人民の政治問題にほかならない。だから、「党の諸問題」をめぐる論争を党 内にとどめなければならないとする理由が、そもそもないということになる。
 そこから次のことが出てくる。そもそもが人民の政治課題・政治問題なのだか ら、党内での論争は人民全体の賛否・討論との相互交流の中で決定するべきだと いうことになる。jcpの「50年問題」の実例を見ればわかるが、人民の関与 せぬところでの党内闘争・論争は泥沼化しやすいのであり、問題を人民内部の討 論に付し、党内と党外の相互交流のうちに決することが最善の解決策なのであ る。”労働者階級の党”とは、本来、このような姿を持つべきではないのか(注 31)?
 この解決策が最善なのは、第一に党内外の相互交流で諸問題の論争に決着をつ けることは認識論からみても最善であること、すなわち衆知を集めることがより 良い解答を得る最善の方法だからである。第二は「党の諸問題」を決定して実行 する政策なり政治実践は人民の支持があってはじめて有効なものになるのだか ら、「党の諸問題」の論争にはじめから人民の参加を求め、人民多数の支持する 方向で決着をつけることが実践における成功を保障するものになるということで ある。第三は、党の内外を問わない公然たる論争こそ、党組織の「広範な民主主 義的原則」、「完全な公開制」の実現形態だということである。ここで「41 項」で検討した「完全な公開制」、「その組織の成員だけにかぎられない公開 制」ということを思い出してもらいたいのである(注32)。

<(注31)、「引用2」として紹介したが、レーニンの新聞論説に「労働者に 決定させよ」という題名のものがある。jcpの執行部に欠けているのは、実に このような基本姿勢なのである。日本国民の世界的責務とも言うべき原水禁運動 が政治的に分裂した原因も、直接的にはjcpの「社会主義国のきれいな核兵 器」論にあるのだが、根本的には人類史的課題である原水禁運動を広く国民的平 和運動として維持発展させることが最重要課題であり、そのためには国民にその 課題から運動方針にいたるまで決定のイニシアティヴを委ねる必要があるという ことをjcp執行部が理解しなかったことである。
 そうした基本姿勢をとれば、社会党に運動のイニシアティヴをとられるとかと いうことは、運動が政治的に分裂するということと比較すれば末節の問題であ り、原水禁運動が統一を維持し広く国民的なものとして発展していきさえすれば jcpの見解もそれが真に正しいものであればやがて受け入れられるという”大 展望”、大戦略、大局観がjcp執行部には欠けているのである。
 (注26)で、レーニンがイギリス労働党を政権に付ける選挙戦術を採用せよ と述べたことを紹介したが、その戦術を貫く思想もこの”大展望”である。人民が その実践の経験によって政治意識を発展させ、順次、諸政党を試し、政治改革や 革命の”大本命”を探し出していくのである。この”大展望”は唯物史観に直接立脚 しており、各国の歴史や広く人類史は畢竟するところ人民の政治・社会運動の歴 史に他ならないという理解に基づいていると言えるであろう。平明な言い方をす れば、人民の運動とその発展に信頼を置くところにマルクス主義党の”戦術”の神 髄があるのであって、わからなければ人民に聞けということであり、「労働者に 決定させよ」ということなのである。
 19世紀に激動の革命運動史をもつロシアはマルクス主義が輸入思想でありな がらこの神髄をレーニンを介して理解したのであり、他方の日本は革命の伝統欠 如の国であり、同じ輸入思想のマルクス主義でありながら、レーニンとは理解が 逆転してしまうのである。この逆転はjcpの戦前の経験にひとつの原因があ る。すなわち、戦前のjcpは非国民の党という評価を脱却できないまま、他方 ではその主張である反戦平和、民主主義が戦後に正しさを証明されたという経験 をもつ政党である。
 この経験によれば、反戦平和や民主主義という問題でさえ人民は誤った方向へ 行ってしまうのであるから、人民の運動や政治意識に信頼を置くことは到底でき ないのであって、あらゆる人民運動をjcpの指揮下に置こうとすることにな る。jcpの主張と一線を画す運動は反対派を含めて”すべて”猜疑心と警戒の対 象になるのである。jcp執行部の骨がらみのセクト主義の源泉には、その教条 主義の他にこの経験がある。ここにも戦前の日本の特異性(20世紀半ばまで神 =天皇が支配した国)が負の遺産としてjcpに刻印されていることを見ること ができる。>

<(注32)、私が常々言ってきた国民に”溶け込む”ための組織的前提がここに ある。jcpの党史を振り返ると、「60年綱領」の制定にあたって行われた党 内論争は、例外的に「前衛」の臨時増刊号(「団結と前進」)で公開するだけで なく広く国民に参加を呼びかけるべきであった。そうすれば、jcpの綱領は国 民にもっと身近な”国民のもの”になっていたはずであり、文字どおり、国民参加 のもとで党の綱領を作るという大事業ができあがる。2004年の新綱領の場合 で見れば、綱領検討委員会なるものがあったようであるが、そのメンバーが誰 で、どのようないきさつで選ばれたかも皆目わからない。要するに”不破”委員会 で綱領が作られたことと対照されるべきであろう。
 jcpが党内の意見の相違を党外に持ち出すことを規約違反だとして処分する ことは天地が逆転しているのである。意見の相違を党外に持ち出すことが党の亀 裂を世間に曝すことでありマイナスだと考え党内に封印・隠蔽するjcp執行部 の半世紀来の”常識”が誤りであることを事実をあげて指摘しておくとしよう。
 それは2005年の小泉による郵政解散の総選挙である。小泉は党内の意見の 分裂を党外に持ち出し自説の是非を国民に問うということをやって、国民をその 論戦に参加させ国民に是非の判定をゆだねている。マスコミの影響もあり劇場政 治に国民の”B層”がだまされたと見るのは一面的であり、それではあの熱狂ぶり は説明できないであろう。言わば、魔法で瓶に封印されていた主権者国民の眠れ る主権意識(デーモン)の片鱗が呼び起こされたのである。この国の不幸は、保 守が”革命のヒドラ”を呼び起こすすべを知っており、jcpはお経を唱えるほか 能がないことである。>

50、レーンの言う「MS」論の理解を点検する(3)
 こうして、今ではレーニンの言うところの④の文章を十分理解できることにな る。「もし、われわれが、わが党内に民主主義的中央集権主義を実現することを 実際真剣に決意したのならば、もしわれわれが労働者大衆を党の諸問題の意識的 解決に引き入れようと決意したのならば、出版物のなかで、集会で、サークル で、グループで、この討議が行われなければならない。」
 「民主主義的中央集権主義の実現」と「労働者大衆を党の諸問題の意識的解決 に引き入れよう」とすることとが等置されていることに注意したいところであ る。すなわち、「完全な公開制」を実行に移すこと、党の決定すべき主要な諸問 題は国民的政治課題なのだから、その討論・論争を党内だけでなく広く国民の間 で行うべきで、「出版物のなかで、集会で、サークルで、グループ」で行い、国 民をその論議に参加させる。そうして、国民の賛否を党の決定に反映させ、全党 の納得のいく決定を打ち立て「行動の統一」をもって決定の実践へと向かうとこ ろに「民主主義的中央集権主義の実現」がある、ということになる。
 ⑤~⑦は「批判の自由と行動の統一」についての説明であり、後述する。
 ⑧「だが、行動の統一という範囲以外では──われわれが有害とみなす行動、諸 決定、諸傾向にたいして、もっとも広範に、自由に、討議し、論難するべきであ る。」という文章ももはやわかりやすくなっており、ここにいう「もっとも広範 に」という意味も党内にとどまらない広範さを意味するし、「自由に」というこ とも「行動の統一という範囲以外では」、文字どおり党の内外を問わず、また諸 決定が採決される前後を問わず「自由に」なのである。
 こうして今では⑨「このような討議、決議、抗議のなかではじめて、わが党の 真の世論ができあがることができる。」という文の意味も明確である。党内の論 争を公開し、その論争に国民の賛否が反映するようになって、はじめて「わが党 の真の世論」もできあがるとレーニンはいうのである。反面教師として、すでに 触れたが、国民不在の党内論争にとどまるだけでは泥沼の論争になる事例を jcpの「50年問題」にみることができる。

51、レーンの言う「MS」論の理解を点検する(4)
 ⑩「このような条件のもとではじめて、それは、自分の意見をいつでも表明す ることのできる、また明確になった意見を、新しい大会の決定に変える正しい道 を発見できる、真の党になるであろう。」ということも、明瞭である。論争を自 由に行い、国民に公開し、「わが党の真の世論」ができあがれば、たとえ当初は 少数派の意見であっても「新しい大会の決定に変える正しい道を発見できる」と いうのである。⑪は⑤~⑦と同じ事例。
 ⑫の「まだ、行動への呼びかけがないうちは─決議、その趣旨、およびその個々 の命題にたいしてもっとも広範に、自由に、討議し評価を下すべきである。」と いうのは⑧の言い換えであり、党員の行動原則である「批判の自由と行動の統 一」のことである。
  ⑤~⑦、および⑪は、すでに説明した「批判の自由と行動の統一」の説明であ る。注意点をあげれば「それは、わが党の実践ではまだ新しい原則であって、こ の原則を正しく実行にうつすためには、すくなからぬ努力が必要であろう。」と 述べていることである。一方では自由に批判をしながら、行動にあたっては批判 をピタリとやめて「行動の統一」を実行するというのは、なかなか難しいこと で、「それは、わが党の実践ではまだ新しい原則」だとレーニンは言うのであ る。この「新しい原則」を党員が身につけるには、相当の訓練・修練を必要とす るであろう。論争は、問題によっては熱を帯び、気分・感情がエキサイトし、理 のある主張に粛々として従うという具合にはなかなかいかないものだからであ る。しかし、その難しさがあるからといって、jcpのようにすべての論争、異 論をたこつぼのような狭い支部だけに封印していては本末が転倒する。
 まことに「完全な公開制」こそがレーニンの「MS」における組織原則、組織 運営の”キー概念”であることがわかるのである。この「完全な公開制」こそが党 を大衆に結びつけ、また、「根本問題についての意見の相違」が発生した場合で も、泥沼の抗争、分裂劇を回避させ、「わが党の真の世論」を作り上げる”特効 薬”なのである。
 jcpの指導者はそのウルトラ分派禁止の「MS」によって、この特効薬をみ ずから捨て去っており、それゆえに、いかに何とか「大運道」を通年で実行して も国民の支持の広がりを作り出せないのである。完全な公開制をぬきに、規約5 条の5に縛られて「党を語る」大運動を進めても、それは単なる党の宣伝以上に は出ることができないからである。 (つづく)