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「組織論・運動論」討論欄

三重の原罪を背負った共産党の民主集中制(7)

2009/4/24 原 仙作

52、レーニンは党内外を問わず自分の意見をいえと言う(1)
 前回、レーニンの言う「MS」についての検討とその要約について”一次”点検 を行ったが、なお、前回のレーニンの「引用5」には述べられていないことで 「MS」に関連して今ひとつ、検討しておきたいことがある。それは「批判の自 由」のもつ”本源的な”意味についてである。この言葉は誰でもが知っている慣用 句のようなものであるが、その本源的な意味が閑却されてきたことを今回の連載 を通じて痛感するのである。レーニンの「批判の自由と行動の統一」(同10巻 439~440ページ、1906年5月20日)という題名がつけられた3ペー ジほどの小論が検討の素材を提供している。
 この小論は第4回統合大会で中央委員会を握ったメンシェヴィキが、自由な批 判、「自分の個人的な意見」は「党の新聞雑誌および党員集会」でやってもいい が、「大衆的な政治集会」では「大会の諸決定に反する扇動」、見解表明は禁止 だとする中央員会決議を出したことへレーニンが反論したものである。
 何やらメンシェヴィキの決定はjcp執行部の常識と瓜二つ、というより、メ ンシェヴィキの方がより自由な批判を認めているのだが、それでもレーニンに痛 烈に批判されている。しかし、一読して個々の文章をすべて読み解ける人は、ま ずいないであろう。例によって①、②・・は便宜的に私がつけたもの。

「引用6」
「①これが、いったい、どういうことになるか、考えてもみたまえ。党員集会で は、党員は、大会決定に矛盾する行動を呼びかける権利があり、大衆的な集会で は、『個人的意見をのべる』完全な自由が『あたえられ』ない、とは!! ②決 議の作成者たちは、党内の批判の自由と党の行動の統一との相互関係の理解を まったく誤ったのである。③党綱領の諸原則の範囲内での批判は、党の集会だけ ではなく、大衆的な集会においても、完全に自由でなければならない・・・。④ このような批判あるいはこのような『扇動』(というのは、批判と扇動とを区別 することはできないから)を禁止することは不可能である。⑤・・・中央委員会 が、批判の自由を不正確に、あまりにもせまく規定し、行動の統一を、不正確 に、あまりにも広く規定したことは明らかである。⑥一例をとってみよう。大会 は、国会選挙に参加することを決定した。選挙は完全に特定の行動である。選挙 のときに(たとえば、こんにちのバクーで)選挙に参加するなという呼びかけを することは、どんなものでもどこでも党には絶対に許されない。この時には、選 挙についての決定の『批判』も許されない。・・・反対に、選挙が、まだ公示さ れていないようなときには、選挙に参加するという決定を批判することは、どこ でも党員には許される。⑦もちろん、この原則の実践への適用は、これまたとき とすると、争論をひきおこすだろう、⑧だがほかならぬこの原則にもとづいての み、あらゆる争論とあらゆる疑惑が、党にとって名誉となるように解決されうる のである。⑨だがこの中央委員会決議はなにかゆるしがたい事態をつくりだして いる。中央委員会の決議は、本質的には誤っているし、党規約にも違反してい る。⑩民主主義的中央集権主義と地方機関の自治の原則は、特定の行動の統一が やぶられていないかぎり、まさにいたるところで完全に批判の自由があることを 意味しているし、──また党が決定した行動の統一を破壊したり、困難にしたりす るどのような批判もゆるされないことということを意味するのである。」(太字 はレーニンによる強調)

53、レーニンは党内外を問わず自分の意見をいえと言う(2)
  ここには、我々がすでに検討してきた「批判の自由と行動の統一」、「決定 への服従」ということが書かれているわけであるが、これまで検討してきたこと の細部に一歩踏み込んでいる。すなわち、「批判の自由」の範囲について、党は 見解を異にする党員個々人に、党外では異論の表明を禁じることができるのか、 という問題である。党員は持論ではない党の見解をつねに党外では表明しなけれ ばならないのか、という問題でもある。jcpの新規約にある5条の5「党の決 定に反する意見を、勝手に発表することはしない。」という条文の是非そのもの である。
 これは党員の日常活動で日々ぶつかる問題である。何度も強調してきたことで あるが、「完全な公開制」という「広範な民主主義的原則」のもとでは、レーニ ンの言うように、批判は党の内外を区別せず「特定の行動の統一がやぶられてい ないかぎり、まさにいたるところで完全に批判の自由がある」という結論になる のである。jcpの新規約5条の5は検討するまでもなく、論外中の論外、馬鹿 げた規定なのである。
 しかし、ここでは、「広範な民主主義的原則」と「完全な公開制」が保障する この「批判の自由」を、党員個人の内面との関わりで検討してみたいのである。 そうしなければ、この文章は読み解けないのである。少数派の権利保障として、 組織制度論から保障する「批判の自由」を党員個人の内面から、すなわち思想・ 信条の自由との関わりで検討してみるということである。
 この「批判の自由」の組織制度的保障があれば、大衆集会であるからといっ て、党の決定と異なる自分の見解を胸の内にしまいこんで党の決定を自分の見解 のように表明する必要はないということになる。つまり異論を持つ者でも内面に おける相克、党と個人の意見の分裂は起こらないのである。党の見解は自分の外 部にあり、内面には党の見解と異なる自説だけがある。異論を持つ個人として、 また党員として彼は党の内外で自分の意見を常に言うことができる。個人と党員 は常に、いつどこでも直接に一致する。

54、レーニンは党内外を問わず自分の意見をいえと言う(3)
 ところが、この「批判の自由」をjcpの規約5条の5のように禁止してしま うと、異論者は内面における分裂、相克を強制されることになる。すなわち、異 論を抱いているのに、党の見解を表明するようでは自分の本音の見解表明ではな い。党のスピーカーにすぎない。異論を持つ者は党員と個人を自分の内部で分割 し分裂させて、異論をもつ自分を殺して党員として党の見解を表明するという党 のスピーカーにならざるを得ない。個人は一面では企業に雇用された社員とし て、会社の職務として会社の宣伝をし企業のスピーカーとなる場合があるが、社 員と党員の場合とでは問題の次元が異なる。
 党員は生まれながらにして党員であるわけではなく、個人として成長しやがて 自ら党の綱領を承認して党員になる。党員となる個人の個人史からみれば明らか だが、党員の核心には個人が存在するのであり、自己の見解を殺して党の見解を 対外的に表明する場合にはそこには個人としての自己は存在していない。した がって、個人の見解を殺して党の見解を表明する場合のその党員は党員ではな く”党人”として区別して表現した方がよいだろう。
 この党人は資本家が資本の化身であるのと同様に、党の化身としての存在であ ると言うことができるであろう。個人と党人への内面における分裂が生まれる。 個人が党人に全的に吸収され党人としても個人としても自己同一性を確保できる 典型は党の独裁者に見いだすことができる。彼にあっては党の見解と個人として の見解は常に一致する。しかし、独裁者は一人であり、他の大多数は党員個人と 党人の内面的分裂を強制され自己同一性を確保することができない状態に置かれ るのである。
 この簡単な考察からわかるように、jcpの新規約5条の5は党員個人の内面 に干渉し、その精神を分裂させ統制しようとする規約なのであって、ヨーロッパ 中世におけるキリスト教支配の下で、無神論者がキリスト教徒としての信仰を強 制され、異端審問においてそのあらぬ信仰告白を強制させられることと同然の強 制を組織規約として日常的に行うものなのである。
 jcpの新規約5条の5は、近代ブルジョア法に結実した思想・信条の自由 (個人の尊厳)を根底から蹂躙するものになっているのである。規約5条の5は 近代における個人の内面における思想・信条の自由の否定であり、自己の政治思 想、政治見解を殺して党の見解を表明することを強制する。そのことによって個 人は内面における自己分裂を強制され、思想・信条の自由のもとではじめて可能 な個人の内面の自己同一性(主体性、アイデンティティ)が破壊される。
 一方、「特定の行動の統一がやぶられていないかぎり、まさにいたるところで 完全に批判の自由がある」と主張するレーニンの「批判の自由」は、党員個人の 思想・信条の自由を保障するものになっている。これは別の表現で言えば、近代 ブルジョア法に結実したところの個人の思想・信条の自由を保障することと同じ ことを意味している。 レーニンの「MS」の組織にあっては、基本的に近代ブ ルジョア法に結実した個人の思想・信条の自由は保障されており、「MS」と個 人の思想・信条の自由の間に矛盾はないのである(注33)。まず、この点を確 認しておこう。

<(注33)、 戦後の初期に「近代文学」に結集する文学者が言い始め、やが て哲学上の論争となった『主体性論争』の核心もここにあると言えるであろう。 すなわり、歴史の必然を理解し、その促進に身を投ずることと自己同一性をいか に確保するかという問題、その問題が一つの矛盾として把握されざるを得なかっ たのは、当時の思想的権威となっていたjcpが分派禁止の党組織論を採用して いたからに他ならない。
 唯一反戦平和の党としてjcpの思想的権威の高かった当時、歴史の必然に身 を投ずるにはjcp党員となるのが唯一の道であると考えられがちであったが、 他方ではjcpの戦前の実践はミゼラブルなものというのが実態で、反戦平和は 旗幟としてあるばかりで最後の中央委員会はスパイ狩りを党活動の本務とするよ うな状態であり、また党委員長を歴任したような大幹部を筆頭に大量転向も生ま れた戦前史を見れば、自己同一性を確保しつつ歴史の必然に身を投ずることへの 問題意識は今日では考えられないほど切実なものがあったのである。主体性論争 の旗頭というべき論客・梅本克己がその論争の中で漸次、組織論の問題へ関心を 移していった理由もここにあるといえよう。>

55、レーニンは党内外を問わず自分の意見をいえと言う(4)
 この内面における分裂、自己同一性の破壊は規約5条の5の下では、自主的で 自分の頭で物事を考察しようとする指向があればあるほど頻繁に起こってくるこ とは言うまでもない。そこで党員個人がこの自己分裂を回避するために自主的な 指向を回避し党の決定を単なる実務として取り扱う傾向が生まれることになる。 そうした傾向が党内に蔓延すれば、党の生命力と言うべき党員の自主性、自発的 思考と活動が殺されていくことになる。
 他方では党員個人の内面における自己同一性が破壊されると、個人としての責 任倫理も破壊されていくことになる。自己の納得しない見解にもとづく諸結果に ついて責任感は希薄化せざるを得ないのである。自己同一性が確保されている下 で責任倫理も十全に生きることができる。党の唯一者である独裁者が、多くの場 合、無責任であるのは責任倫理の源である個人が党人に全的に吸収され統一され ているからであろうと推測できるのであるが、唯一者が無責任であれば下々が無 責任となるのは組織の如何を問わず一つの法則をなしていると言ってよい。
 むろん、党の決定と自己の見解が同じという党員が多いというのが現実であろ う。彼らにあっては、言うまでもなく自己同一性が確保され、思想・信条の自由 の問題は発生しない。しかしながら、彼らにあっても、その自己同一性が永遠に 確保されているという保障はないのであって、自主的、自発的な思考と活動が活 発になれば党の決定への問題意識は発生してこざるを得ないのである。
 党が長年低迷しているjcpにあっては党の決定に対する問題意識、異なる意 見の発生こそが不可避だとさえいえるであろう。さらには、今日の歴史段階、社 会主義世界体制が崩壊したうえに、前人未踏の21世紀という歴史段階を迎えれ ば、党の実践も経験則ではフォローできない試行錯誤の時代を迎えるのであっ て、規約5条の5の下では自己同一性を確保することはさらに難しい時代に突入 しているのである。
 この「53、54項」で論じた党員と党人の区別はひとつの試論にすぎない が、組織制度論としてではなく、個人の内面との関わりで「批判の自由」を検討 すれば次のことがわかるのである。「批判の自由」は少数派の権利保障の側面か ら主に論じられてきたのであるが、それは”本源的”には個人の思想・信条の自由 を意味しているということである。そして「批判の自由」の本源が思想・信条の 自由であることが明確になってはじめて、レーニンがなぜ「まさにいたるところ で完全に批判の自由がある」と言うのか、「批判の自由」が「完全」なものであ ることの必要性、すなわち、党の内外、決定の前後を問わない「批判の自由」で あることが必要なのかも”原理的”に了解されるのである。
 「批判の自由」をどの範囲で認めるかという視点から問題を論ずること、すな わち、組織制度論の見地、組織政策の見地から便宜的に論ずることが多いのであ るが、公然活動が可能な社会の下では、本来は組織政策として論ずることが不可 能な、原理、原則の問題なのである。 別言すれば、レーニンのいう「批判の自 由」は近代ブルジョア法に結実した近代の偉大な達成物である『思想・信条の自 由』の党組織論上における直接の継承なのである。

56、レーニンは党内外を問わず自分の意見をいえと言う(5)
 なお、「批判の自由」の制限について、レーニンは次のように言っている。

③「党綱領の諸原則の範囲内での批判は、党の集会だけではなく、大衆的な集会 においても、完全に自由でなければならない」

 ここには「批判の自由」の範囲という表現で、党員個人の思想・信条の自由に かかわるその制限について述べている。党員の思想・信条の自由、「批判の自 由」は「党綱領の諸原則の範囲内」では自由なのだと言っており、まったく無制 限に完全な自由があるとは言っていない。ここに、これまで述べてきた思想・信 条の自由についての唯一の修正点がある。
 この修正点、制限こそが近代の最高の達成物たる思想・信条の自由と政党の自 律性の間に矛盾なく”折り合い”をつけるものなのである。政党が他党派と区別さ れるのはその一連の政治見解によるのであり、この政治見解こそが政党の自律性 の主要な一要素であり、本来無制限で、精神自体の内的規律である良心という制 限しか持たない思想・信条の自由にとっては狭すぎるものなのであるが、この制 限を設けることによって、両者を生かし政党に生命を吹き込むことができるので ある。
 レーニンの言う「党綱領の諸原則」というのは、綱領の個々の文章の全体のこ とではない。綱領に具体的に書かれていることは批判と議論の対象となる可変的 なものである。「党綱領の諸原則」とは、現在のjcp綱領に引き寄せていえ ば、共産主義の承認(これすら、今のjcpでは遠い未来の話であって曖昧模糊と したものである)、平和と民主主義、基本的人権の尊重、労働者と勤労諸階層の 生活擁護などの意味である。jcpの新綱領にある「全憲法条項の遵守」という ことなどは、この「党綱領の諸原則」には入らない。天皇条項は遵守する必要は ないという旧綱領の見地を党員個人が保持していても一向に問題ではないのであ る。
 このような「党綱領の諸原則の範囲内」という制限は、党員としてはその思 想・信条の自由の許容範囲内での制限と理解することができるであろう。jcp が入党の条件にしている綱領の承認ということも、便宜的な言い方なのであっ て、厳密には「綱領の諸原則」の承認と言うべきなのである。jcpの綱領はマ ルクス主義の基礎理論と言うべき史的唯物論等の知識なしには十分理解できない ものなのであって、簡単な説明で「ああ、わかった」と言えるような代物ではな く、実際にも、入党にあたっては「綱領の諸原則」程度の理解と承認で入党して いるのが実情であろう。
 「党綱領の諸原則の範囲」外となる場合は、一定の統制を受ける場合があるこ とになる。たとえば、入党後に平和と民主主義に反対する思想・信条、政治思 想、政治綱領に転換したような場合は、その思想・信条への転換を統制・禁止す ることはできない(個人の尊厳の絶対性)が、転換した思想・信条にもとづく実 際の政治行動・言論表明は例外的に統制の対象になるのである。というのは、こ のような思想転換は「党綱領の諸原則の範囲」外であるばかりか、もはや「党綱 領の諸原則」に反し、しかも、ここが大事なことなのだが、日々の実践行動で対 立するからである。
 政党の自律性からくる党員の思想・信条にかかわる統制は、このように非常に 限定的なものなのである。党の決定に反対する批判と批判行動が統制されるわけ ではない。jcpは規約5条の5が示すように、「党綱領の諸原則の範囲内」で あっても、党の決定への批判行動ばかりか批判それ自体を禁止し統制する。
 「党綱領の諸原則」に反する思想・信条への転換を遂げた場合は、現実的には 党にとどまる理由がないのであるから、その個人の思想・信条の自由の確保は離 党という形で解決されるほかない。離党の自由が完全に保障されるべき理由であ る。党にとどまり、「党綱領の諸原則」に反する政治行動への統制を破った場合 は、除名という党の自律性が発動されることになる(注34)。

<(注34)、 jcpにおける除名騒ぎの代表的事例は、旧綱領制定時の、半 世紀前の自立従属論争の場合であるが、革命戦略における独立の政治課題の比重 をどう評価するかという問題での意見の相違、二段階革命か一段階社会主義革命 かは「党綱領の諸原則の範囲内」の問題であって、分派だ除名だと騒ぐ性質の問 題ではなかったのである。その相違による政治実践が現実に根本的に対立した事 例は皆無であった。戦後最大の政治闘争となった安保闘争の場合を見ても、二段 階のjcpと一段階の社会党が共闘態勢をとり安保反対で基本的に一致してい た。
 また、jcpがめずらしく自己批判した1964年の春闘における4.17ゼ ネスト(250万人)の場合で見れば、反独占を全面に立てた4.17ストを誤 りだとして突如反対し、反帝闘争主軸の見地から「アメリカ帝国主義のたくらむ 挑発スト」とおかしな規定をして、jcpはスト準備中の労組に大混乱をもたら した。この場合も、党内に一段階派が残留しておれば、激論となりこの誤りを回 避できたかもしれないのである。少なくとも反帝を前面に立てないストは誤りだ という議論がすんなりと中央委員会で決定されることはなかったであろうし、処 分された聴濤だけに責任があったわけでもない。一段階か二段階かの路線論争 は、それこそ、レーニンの言うように、綱領決定前後の研究・理論問題として党 内外で論争を続けるべき問題であったにすぎないのである。>

57、レーニンは党内外を問わず自分の意見をいえと言う(6)
 さて、「54、55、56項」の予備的考察を踏まえて、いよいよ「引用6」 の逐条解釈に入ることにしよう。党員諸兄は何度も繰り返しこの「引用6」を読 み、納得いくまで考えてみるべきである。「引用6」の文章の一行一行を解読で きなければ、レーニンの「MS」論がわかっていないことになる。しかし、レー ニンの「MS」論についての理解がその内奥にまで達していれば理解できるはず である。これが最後である。
 ①の文章からわかることは、メンシェヴィキ中央委員会の決定にレーニンはあ きれかえっている。一見してそれほど馬鹿げた決定なのである。しかし、メン シェヴィキを弁護するわけではないが、メンシェヴィキの決定では党員集会や党 の新聞雑誌では自由に批判していいと言っているのだから、jcp執行部より は”まし”なのだ。が、それでもレーニンに呆れられている。jcpのウルトラ 「MS」に慣れた頭にはわかりにくいだろうが、レーニンにとってはメンシェ ヴィキの決定はよほど馬鹿げたことなのである。
 ②の「決議の作成者たちは、党内の批判の自由と党の行動の統一との相互関係 の理解をまったく誤ったのである。」というのは、こういう意味である。「批判 の自由」とは党員の言論表明の自由の領域の問題であり、「行動の統一」とは具 体的政治行動の領域における統一(=決定による拘束)である。決定が拘束でき るのは具体的政治行動だけ(連載(3)の「22項」参照)であるが、メンシェ ヴィキはこの拘束できるものの適用範囲を言論表明の自由の領域にまで拡げてし まった。これは党外でも批判は自由であるという「批判の自由」の領域を「行動 の統一」(=決定による拘束)の領域に組み込んでしまう混同=相互関係(すな わち相互区別)の無理解だ、とレーニンは言うのである。
 ④「このような批判あるいはこのような『扇動』(というのは、批判と扇動と を区別することはできないから)を禁止することは不可能である。」という文章 はどうであろうか? なぜ、「不可能」なのか? 党員諸兄にはよくよく考えて もらいたい。jcpの新綱領では規約5条の5で現実に禁止しているではない か! ここでレーニンの言う「批判の自由」についての理解の”質”が試されるの である。天才的人物の書く一字一句を曖昧な理解のまま読み飛ばすべきではな い。「引用6」の最難関はここにある。
 その意味はこうである。「このような批判あるいはこのような『扇動』」とい う言葉を党員個人の思想・信条とその言論表現の自由と読み替えれば、意味は いっぺんに通ずるであろう。「54、55、56項」は、実にこの一句を理解す るための予備的考察であったと言ってもいいのである。
 「引用6」の個々の文章を読み解く鍵は、党員個人の抱く思想、政治見解とそ の表明・表現は誰も拘束したり禁じたりすることはできない、という”思想・信 条の自由”、この個人の尊厳(ブルジョア社会の偉大なる達成)を念頭において はじめてわかることである(注35)。

<(注35)、レーニンが「このような批判・・・を禁止することは不可能であ る」ということを我々日本人が理解することは非常に困難である。jcpの不破 が新規約5条の5をいとも易々と導入した例をあげればわかることである。レー ニンから規約5条の5で「禁止することは不可能だ」と言われれば、不破は青天 の霹靂のように感じるであろう。  ここには1500年にも及ぶ一神教(キリスト教)の支配とそれに抗する血み どろの革命を経てきた西欧の近代的個人の精神と明治維新後の廃仏毀釈さえ易々 と受け入れてきた日本人(あるいは広くアジア人と言ってもいいかもしれない) の精神との大きな相違が横たわっている。個人の精神、その内面の自由の不可侵 性、絶対性ということが、革命の伝統が欠如する我々日本人には理解しにくいの である。jcp自慢の「理論家」・不破でさえ、何がなんだかさっぱりわかって いない。
 言論表現の自由(「批判の自由」!)もまた、国家の統制・干渉からの自由を 意味するばかりでなく個人の内面の自由に直接の根拠を置く内面の自由の発現形 態として、不可侵性、絶対性を持つものであることも見落とされがちなのであ る。レーニン以後のコミュニズムの絶対的権威となったスターリンがヨーロッパ の南東の辺境、アジアと境を接するグルジアの人間であったことも想起されてよ いであろう。
 jcpが新規約に5条の5を設けたことは、党外での意見表明では党中央の見 解に準拠せよと個々の党員に強制しているわけであるが、そのために党外の大衆 からすれば、どの党員も同じことを言う没個性の”党人”に見えることになる。こ うした党人たる言動の長年にわたる繰り返しは、個人の摩耗(その内面の不可侵 性の絶えざる浸食による)した党人をたえず再生産していくのであって、それは あたかも130年前に福沢諭吉が日本国民の弊風と嘆いた”お上”を偏重する個性 なき似たもの同士=「三角四角の結晶物」(福沢「文明論の概略」)を作り出し ているに等しいのである。
 党員を明治へと先祖返りさせる強制とjcp指導者の神格化はひとつの相関関 係にあると言うべきで、戦前社会の党内での再現とも言えるような事態となって おり、その意味ではjcpの「MS」の組織は、党員の人間革命を社会革命に先 行させるはずの革命政党にあるまじき組織だということにもなるわけである。>

58、レーニンは党内外を問わず自分の意見をいえと言う(7)
 ⑤「・・・中央委員会が、批判の自由を不正確に、あまりにもせまく規定し、 行動の統一を、不正確に、あまりにも広く規定したことは明らかである。」とい う文章は、②の文章の言い換えである。「行動の統一」の領域に党外での批判の 自由を組み込んだことで、後者を「あまりにせまく規定し」、前者を「あまりに 広く規定」することになったのであり、この不当な縮小と拡大の原因は両者の相 互関係・相互区別を「不正確」にとらえていることである。
 ⑥は党員が行動原則とするべき「批判の自由と行動の統一」の具体例。
 そして⑦では、この「批判の自由と行動の統一」という行動原則が相当の訓練 を要し、時と場合によってはゴタゴタを引き起こすだろうと予想している。しか し、この起こりうるゴタゴタは避けられない小悪事であって、それを回避するた めに決定による拘束・統制を不当に拡大すれば、党が失うものはさらに大きなも のになるとレーニンは見ているのである。⑧がそれである。
 ⑧「だがほかならぬこの原則にもとづいてのみ、あらゆる争論とあらゆる疑惑 が、党にとって名誉となるように解決されうるのである。」とある。 これはど ういうことであろうか? 「批判の自由と行動の統一」という行動原則は、時と して党内にゴタゴタを引き起こすことになる。党外に論争を持ち出すことで党内 の争いを外部の明るみに出し、党内の争いという醜態すら大衆にさらすことにな りかねない。「だが、ほかならぬこの原則」=「批判の自由と行動の統一」とい う行動原則を実践に移すことによって「のみ」、「あらゆる争論とあらゆる疑惑 が、党にとって名誉となるように解決されうるのである。」? この行動原則に よって、あらゆる争論とあらゆる疑惑が、要するに多数派と少数派の間にゴタゴ タが起こってくるのであるが、それがどうして「党にとって名誉となるように解 決される」ことになるのであろうか? 
 ここにはjcp執行部や党員の”常識”に反することが書かれているのである が、党員諸兄の解はどういうものであろうか?
 私の考えるところはこうである。第一は、この行動原則の下でのみ、党員はあ らゆる場所で本音で、本音と建て前を使い分けることなく、自分の信ずるところ を誰に対しても語ることができるということである。第二は、その結果として、 「完全な公開制」の下で、大衆は猜疑心をもつことなく、虚心に本音の論争を聞 くことができるばかりでなく、その論争に一国の主権者として参加し、その論争 の解決に大きな影響を及ぼすことができるからである。第三に、国民参加の下で のその論争は正解を出す可能性を高め、より良い決定を生み出せば、党は正しい 決定を得たことになるばかりか、その決定はすでに国民の共感と支持を得ている という普遍性を獲得しており、すでにその成功がほぼ約束されていることにな る。第四に、論争で得られたその決定が誤っていた場合はどうか。党は全会一致 で誤った決定を下したという不名誉を回避できるだけではなく、少数派の中の主 張に正論があったという事実がこの党の名誉を救うのである。一例を挙げよう。 宮本顕治が亡くなったとき、加藤周一が「宮本顕治さんは反戦によって日本人の 名誉を救った」と発言したことがそれである。

59、レーニンは党内外を問わず自分の意見をいえと言う(8)
 ⑨、「だがこの中央委員会決議はなにかゆるしがたい事態をつくりだしてい る。中央委員会の決議は、本質的には誤っているし、党規約にも違反してい る。」 レーニンは「なにかゆるしがたい事態をつくりだしている」と言ってい るが、これはどういう意味であろうか? レーニンは、うまい表現が見あたらな いが、直感的に言って許しがたいものを感じているのである(注36)。
 これはたぶん、党の内外を区別し、本音と建前の意見表明を党員に強制するこ との不合理性を感じているのである。あるいは、本音と建前の強制が党員個人の 精神の内面に党が思想闘争や説得によってではなく、決定の強制という形で干渉 し、その内面を拘束することの不合理性(本質的に中世的手法)を感じているの である。さらには党の内外で本音と建前を使い分けることが、労働者大衆の不信 を招く原因となること、「批判の自由」を不当に制限し「完全な公開制」を毀損 し、「党を秘密のヴェール」で覆い、党と労働者大衆との間に垣根をつくりだ し、そうして革命の事業を途方もなく困難にすることを直感的に感じているので ある。それだから、あらゆる意味で「本質的に誤っている」し、「党規約にも違 反している。」のである。
 不破は、インターネット対策と言われているが、jcp規約に5条の5を持ち 込んで、革命の大事業と、党発展の事業を極度な困難に陥れてしまったのである (注37)。
⑩「民主主義的中央集権主義と地方機関の自治の原則は、特定の行動の統一がや ぶられていないかぎり、まさにいたるところで完全に批判の自由があることを意 味しているし、──また党が決定した行動の統一を破壊したり、困難にしたりする どのような批判もゆるされないことということを意味するのである。」
 この文章については、もはや説明はいらないだろう。「民主主義的中央集権主 義」、すなわち民主集中制(「MS」)の下では「まさにいたるところで完全に 批判の自由」が保障されなければならないのである。
 以上で、レーニンの「MS」論の理解についての最終テストを終わるのである が、試金石は④の「このような批判あるいはこのような『扇動』・・・を禁止す ることは不可能である。」という文章を理解できるかどうかにあった。私は「こ のような批判あるいは『扇動』」という言葉を思想・信条の自由と翻訳すること で解決したのだが、読者諸賢の判断はどうであったろうか? 私の判断では、こ の理解だけが正解で、レーニンの「MS」論を根底から再把握するテストに合格 したと思うのである。

<(注36)、指導者の政治感覚の重要性
 レーニンのこの感覚に注目したい。「43項」の<注25>で引用したが、指 導者に必要な資質としてこの「感覚」があげられていた。

「複雑な政治問題をはやく正しく解決するうえに欠くことのできない知識、欠く ことのできない経験、欠くことのできない──知識や経験のほかの──政治感覚」

 レーニンは直感的に「ゆるしがたい」と感じているのである。つまり、不破が つくった新規約5条の5をレーニンは直感的に「ゆるしがたい」と言っているの であるが、この規約条文を設けた不破の政治感覚とレーニンのそれとでは根本的 な違いがあると言えるであろう。個々人を取り出せば個性の違いにすぎないが、 政治指導者ということになると、個性の違いという範囲に収まる違いではなく、 政党の運命を左右するものにさえなる。
 レーニンと不破の政治感覚は根本的に違うのである。その違いはレーニンが 「ゆるしがたい」と感じていることの中身を推定することでわかるのだが、レー ニンの場合は革命という大事業を遂行するのに必要とされる党員や大衆の創造性 (自由な思考が母体となる)を選好する感覚なのであって、党員や労働者大衆の 創造性を制約しようとするものへ本能的な反感を感じるのである。
 他方の不破の感覚の特徴は”管理”なのであって、党員や労働者大衆の創造性を 制約することに何の躊躇も感じていない。むしろ、放置しておけば放埒になると 感じる感覚なのである。不破の政治感覚の特徴からすれば、反体制のjcpでは なく国家官僚となる道を進むべきであったであろう。
 この感覚の違いは、理論活動の領域を始めとして政治方針、組織運営、党員” 指導”にいたるまで、あらゆる領域に影響する。だからこそ、指導者を適材適所 に配置する「適者生存」の原理が働く「完全な公開制」のもとでの選挙制が必要 なのである。
 一例を挙げておこう。トロッキーである。レーニンはその「最後の闘争」でス ターリン更迭の事業をトロッキーに託そうとしたことが知られているが、熱中し すぎるとか、トロッキーの様々な欠点を指摘しつつもレーニンがトロッキーを重 用したのは事実であった。そのトロッキーの発言を連載(1)の「7項」<注 5>で、分派禁止決議一時説の証言として引用してある。

「ボリシェヴィズムはフラクションを容認しないなどという今日の教義は衰退の 時代の神話にほかならない。実際にはボリシェヴィズムの歴史はフラクションの 闘争の歴史である。加えて、世界の転覆という目的をかかげて、その旗のもとに 果敢な否定者、反乱者、戦士を結集しようとする真に革命的な組織がいかにし て、思想的衝突なしに、グループ化や一時的なフラクション形成なしに生き、か つ発展しうるであろうか?」(トロッキー・同127ページ)

 私はこのトロッキーの文章がことのほか好きである。単にボルシェヴィキのた どってきた歴史の事実を語っているだけにすぎないが、その表現には実際に大革 命を経験し、また、その渦中にあった者だけが感じ取れる大革命のダイナミズム が反映している。ところが、不破の場合はずいぶんと違うのである。不破は、分 派禁止一時説の否定者だから、この引用文の一行目と二行目を否定するのはわか るのだが、彼は「加えて・・・」以下の三行目の文がことのほか”嫌い”なのであ る。不破はこのトロッキーの文章について次のように言っている。

「分派闘争にこそ革命党の生命力があるというトロッキーのこの分派礼賛 は、・・・トロッキーの分派主義のもっともむきだしの現れであって・・・」 (不破「多元主義か」58ページ)

 不破のこの文章に現れている不破の感覚をよく見てほしい。ことほど左様に感 覚の違いが解釈の違いを生み出すのである。トロッキーはこの文章で分派を礼賛 しているわけではない。革命期は動乱期であり、試行錯誤の思想的衝突なしには 党活動は進まないのであって、「グループ化や一時的なフラクション」は避けら れないことだと言っているにすぎない。しかし、”管理”と秩序を好む不破は、” 乱”を好むようなトロッキーのこの文章を憎悪しており、分派礼賛に感じるので ある。
 不破がトロッキーのこの程度の文章をさえ「分派主義のむきだしの現れ」とい う感覚からすれば、次のような文章を書くエンゲルスは分派主義の権化かウルト ラ分派主義者ということになろう。

「ひとつの党の内部に穏健派と過激派の傾向が生まれ、あい争うのは、その党が 生き、大きく成長するために必要なことです。・・・いったい私どもが、他人に たいして私どもの発言の自由を要求するのは、それをわが党の戦列でふたたび廃 止する、そのためだけなのでしょうか?」(エンゲルス「ゲルソン・トリエルへ の手紙、1889年12月18日付」マル・エン全集37巻284ページ)

 職業革命家としての政治感覚が狂っているのは、トロッキーでもエンゲルスで もなく、組織と党員を指導者の指揮棒に合わせて整然と行進させることが好きな 不破である。「党の力量がたりない」という”お馬鹿”な参議院選の敗因総括をも とに、もう2年にもなる全党を上げての党勢拡大運動の推進は不破好みの愚策で あることがやがて明らかになるであろう。>

<(注37)、「革命」政党jcpがインターネットを忌避する理由
 党員個々人が、党の出版物に頼らずに思想・信条の自由の権利行使をはじめる ことを不破らが恐れ忌避するようでは執行部の決定や発言に自信がないのであ る。革命政党ならば、新時代の言論表現の新兵器を歓迎し、党員個々人の活発な 言論を奨励するべきものである。そうしてこそ、国民諸階層と党員の意見交流が 進み、党への国民の理解も深まるのである。そしてまた、インターネットでの党 内討論はもちろんのこと、広く国民と議論するネット言論空間をjcpは作り、 活用するべきなのである。
 規約5条の5によって、党員が国民との言論交流のために新兵器を利用するこ とを事実上禁止しておいて、「党を語る」大運動を推進するjcp執行部は、バ イクがあるのに歩いて「赤旗」の配達をしろというような馬鹿なことをやってい る。
 この馬鹿さ加減の原因は、党員個々人の言論表現の管理を党の主張の普及より 優先する執行部の”思想”にあり、その”思想”の結晶が新規約5条の5なのであ る。ではネット上での党員の言論表現の管理とは何を意味するか? 管理のター ゲットはネット上での国民との対話ではなく、党員同士の対話に向けられている のである。党員同士がネット上で意見交流をしはじめると、jcp規約が禁じる 組織横断的言論交流がはじまり分派禁止規定が事実上破壊されるからである。不 破らがあわてふためいて熟慮もなく、レーニンがあきれかえる規約5条の5を新 設した真の理由がこれであろう。
 jcpのウルトラ分派禁止付きの「MS」が、国民との言論交流の新兵器を拒 否している図が浮かび上がってくる。ここにも革命政党の本質とは矛盾する jcp執行部の保守性、「MS」の時代不適合性が現れている。>

60、「良心にしたがって」ということ
 党員の思想・信条の自由と内面における自己同一性ということを書いたので、 それとのかかわりでもう一点、「良心」というマルクス主義が苦手とする精神の 問題についても触れておこう。
 第8回全ロシア・ソヴィエト大会(1920年12月、これまでの連載 (1)~(4)で検討してきた第10回党大会の3ヵ月前のことである)で、農 民経営に報償制度をもうけるべきかという問題で党中央とソヴィエト代議員(党 代議員団)の意見の相違が生じた。中央はロシアの遅れた農業生産を改善するに は報奨制度は必要だと言い、党代議員団は、報償制度は富農を育成することにな るので反対だという対立である。この意見の相違について、代議員は次のような 質問(メモ)を出ている。

「代議員団が中央委員会の決定を拒否するなら、われわれはロシア共産党にふさ わしい党員といえるだろうか、それともわれわれは、われわれの頑固さを示すこ とになるのだろうか?」

 つまり、大衆組織に所属する党員グループ(党外フラクション)は、反対論を 棄てて党中央の決定に従うべきなのか、それとも反対論を維持して自主的な決定 を下していいのかという問題である。この問題ではスターリンの悪名高き”伝導 ベルト”論があり、スターリンのベルト論では党中央の決定が無条件に優先す る。
 レーニンはこう言っている。

「引用7」
「このメモにたいして私は、『ロシア共産党規約』という文書でお答えしよう。 この文書の第62条には、つぎのように書いてある─『自分の内部生活や日常活 動の問題では、党グループは自主的である』と。つまり、代議員団のすべてのメ ンバーには、中央委員会の指示によってではなく、良心に従って投票する権利と 義務がある。諸君が良心に従って、中央委員会の提案に反対して、第二の決議案 を提出するなら、われわれは、正確に第62条にもとづいて、中央委員会を招集 しなければならず、実際にただちに招集するであろうし、その会議に諸君は自分 の代表を送るであろう。われわれのあいだにある意見の相違を取り除くために は、このような重大な問題は、二回、もしくは三回も討議するほうがよい。」 (「第8回ソヴィエト大会ロシア共産党(ボ)代議員団会議での質問にたいする 回答」 レーニン全集42巻347~348ページ、なお、この文献が公開され たのは1960年の「レーニン全集」第5版においてである。スターリン時代は 秘匿されていた。)

 レーニンの言う「完全な公開制」と「批判の自由」は党員個人の「思想・信条 の自由」をほぼ完全に保障するものになっており、また逆に「思想・信条の自 由」の保障は「完全な公開制」と「批判の自由」を論理必然的に要請するところ であって、さらにはまた、「思想・信条の自由」の保障は党員個々人にあっては その「良心に従って」行動することを権利とも義務ともしているわけである。
 党員は「自分の内部生活」では「自主的」なのであって、自己同一性が無条件 に保障されているのである。そして自己同一性の保障は、党員個々人が自分の思 想・信条にしたがって、良心にしたがって決定することを権利とも義務ともして いるのである。jcpの規約5条の5は党員の良心など眼中になく、肝心なこと は党のスピーカーになることなのである。

61、団結とは何か?
 ことのついでではあるが、ここでjcpのよく言う団結とはどういうことなの かについて、これまでのレーニンの主張を前提にその本来の意味を検討しておこ う。団結という用語は、たとえば、敵の攻撃に団結して立ち向かおうというよう に様々に用いられているのであるが、組織論上の意味は厳格に規定されていなけ ればならない。
 これまでの検討から明らかなように、団結とは組織論上では”統一”のことであ り、党を分裂させないことである。全党員が「決定へ服従」すること、すなわ ち、政治行動における統一のことであり、すでに検討してきた党員の行動原則= 「批判の自由と行動の統一」における「行動の統一」のことである。
 「党綱領の諸原則の範囲内」での「批判の自由」、自由な異論の保持とその異 論からする批判は、なんら団結(党の統一、党分裂の回避、すなわち「行動の統 一」)とは矛盾しないのである。
 jcp指導部にあっては、よく中央委員会の下に団結する、と言うが、その意 味するところは中央委員会の決定に従って言論表明と行動をせよということであ る。この主張は党外での批判を禁じたメンシェヴィキと同様に「批判の自由と行 動の統一」の相互関係を誤って理解しており、「行動の統一」を「批判の自由」 の領域に不当に拡大したばかりでなく、「行動の統一」が「批判の自由」を完全 に飲み込んでしまっている。
 連載(9)以降で見るが、団結(党分裂の回避)とは、jcp執行部が言うよ うな認識の統一、一致でもなければ、少数が多数に思想的にも行動でも全面的に 服従すること(jcpのウルトラ分派禁止つきの「MS」)でもない。組織論上 の団結とは党を分裂させないこと、すなわち、一つの綱領をもつ政党として統一 を保つことである。そして統一とは「行動の統一」のことである。だから団結と は「行動の統一」のことに他ならない。

62、レーニンの民主集中制論についての要約
 以上で、レーニンの「MS」論の検討を終わる。第二次(最終)の要約をつ くってみよう。まず「MS」の組織には「広範な民主主義的原則」が貫かれねば ならず、その原則の第一は「完全な公開制」である。この公開制は「MS」の組 織の土台となるべきもので、その上部に少数派の完全な権利保障や役員の選挙 制・報告義務・更迭、各級党組織の自治が制度化されなければならない。そして このような民主主義的組織における統一を保障するものが「決定への服従」(= 「行動の統一」)であり、党員の行動原則は「批判の自由と行動の統一」という ことになる。
 ここまでは、第一次の要約である。新たに加わるのは次のことである。党員の 行動原則である「批判の自由と行動の統一」における「批判の自由」はその核心 に近代ブルジョア法に結実した人類史の偉大な達成物=『思想・信条の自由』を 継承しているということ。したがって、この「批判の自由」は党員個々人の尊厳 に関わる原理的な「自由」なのであって、組織の実情によって制限することがで きないものなのである。
 このような組織とそこでの「批判の自由と行動の統一」という行動原則こそ が、党員個々人の思想・信条の自由(党の決定とは別の政治綱領を持つ自由)を 完全に保障し、また党員個々人が良心にしたがって意見表明をすることを保障す るのである。
 この要約は政党の最小構成単位というべき党員個々人の視点からみれば、次の ように言い換えることもできる。すなわち、政治思想の基本を同じくする者たち の結集体(政党)の「MS」の組織は、近代ブルジョア社会の成果たる『思想・ 信条の自由』の原理に則って構成されている、ということである。『思想・信条 の自由』は、党組織の「広範な民主主義的原則」を要求し、その原則は組織の 「完全な公開制」という土台を必要とし、その土台の上に少数派の完全な権利保 障や役員の選挙制、各級党組織の自治が適合的な制度として置かれているのであ る。
 このような諸原則・諸制度で構成される「MS」の組織にとって、分派禁止と いう制度は”原理的”に相容れないことがわかるであろう。分派禁止は少数派の権 利保障を極端に制限するし、「完全な公開制」を毀損し、そもそも「広範な民主 主義的原則」に違反する。さらには党員個々人の思想・信条の自由を否定し、良 心にしたがって行動することをも制限するものだからである。
 ロシア共産党(ボ)第10回党大会で決議された分派禁止決議が一時的な緊急 避難の非常措置であったことが、レーニンの「MS」論を再構成してみることで もわかるのである。少数派の権利保障とは、総括的な言い方をすれば、少数派が 多数派に転化する諸条件を組織制度として整備することを意味しており、した がって、少数派が多数派になるための党内における集団(グループ、潮流、分 派)活動を承認することにならざるをえないのである。その少数派の集団が、単 なる理論グループにとどまるか、分派にまで発展するかは対立する見解が持つ政 治的重要性の程度や少数派の権利保障の程度、多数派による少数派への対応の仕 方等々で決まるのである。(つづく)