私の連載への感想を寄せていただきありがとうございます。この一ヵ月ほど、手元の資料もないところへ行っていたものですから、返事が遅くなったことをお詫び申し上げます。
櫻井さんの感想を読んだ私の感じるところからすれば、過分な評価であるように思うのです。共産党史研究の専門家でもない一介の市井人でさえ、今日ではこの程度の論考を書けるものだということを共産党の幹部連が認識し、彼らによる国民や党員への対応がもう少し”まとも”なものに変化するならば望外の成果ということになりましょうか。
さて、櫻井さんの指摘に関してひとつだけお返事をさせていただくことにします。それは多喜二の未熟な党活動についての私の指摘を「現場からの指摘ではない」、「後から足りない点を」指摘したもので「後知恵」であるという批判についてです。言わば、当時の過酷な現実とそれに立ち向かった多喜二らの真摯さへの評価が忘れられているという批判になるのでしょう。
この批判への反論の第一は、マルクスらの共産主義の思想と運動は初発からインターナショナルなものであったということです。簡単に言えば、各国の共産主義運動の理論と実践、その経験は各国の共産党が研究し自分らの実践に応用することを必須条件としていたということです。
言うまでもなく、第2インターであれ第3インターであれ、その設立はそうした目的の実現を一つの柱にしていたものです。そこで日本の共産党の実践も世界史的なレベルでみることが必要であり、すでに19世紀末のドイツ社会民主党による社会主義者取締法の粉砕、20世紀初頭におけるツアーリズムを打倒したロシア革命の経験があるわけです。決して戦前の日本共産党がひとり前人未踏の領域を歩んでいたわけではありません。
第二は、日本においても『日本資本主義発達史講座』の刊行があり、その中心に座る非党員マルクス学者・山田盛太郎の『日本資本主義分析』が発表されており、日本の特異な戦前資本主義の命運を見通すべくマルクスの再生産表式を応用した軍需品生産表式を考案するという成果も現れているわけです。
戦前日本の共産党だけが世界史的なレベルの経験を学ばなくていいという理由はなく、戦前特高の苛烈な弾圧や国民の根強い天皇崇拝が未熟な党活動や党壊滅の原因にできるわけがありません。
工事現場の話にたとえれば、一定の工事ルールと順序があるものですが、しかし、どんな工事現場でもそのルールと順序を変更せざるを得ない応用問題にぶつかるのが通常です。その応用問題を解決できず建造物がつぶれたり未完に終わったということになれば、どのように工事責任者を評価すべきなのか? という問題になるでしょう。
前人未踏の領域ならいざ知らず、一定の経験がすでにあり、一般的なルールが形成されてきた後の応用問題を解けなければ、工事責任者の未熟さや研究不足は責められこそすれ、工事に取り組む姿勢が真摯だからといって評価するわけにはいかないでしょう。そんなことをすれば、”内輪”の馴れ合いのようなものになってしまいます。
多喜二の党活動の未熟さは、戦前党の実践の未熟さの反映なのであって、党歴2年程度の党員には当たり前の多喜二の未熟さを私が批判しているわけではありません。わたしのやったことは、多喜二の文学作品『党生活者』を素材に戦前共産党の党活動の実態を洗い出し、多喜二の描き出した「党生活者」が労働者生活を送る一般党員と職業革命家の中間形態に過ぎず、範疇として成立するほどの職業革命家(群)を生み出し得なかったことを指摘し、その指摘を根拠に、戦前共産党の政党にあらざる思想運動団体という実態を析出したということです。