7月11日投票がほぼ決まった参議院議員選挙沖縄選挙区に、医師の伊集唯行氏が、「広範な県民共同の候補者として」立候補を表明した。13日付の「琉球新報」電子版サイトや「毎日.jp」サイトなどに記事が載っている(「赤旗」記事はもちろんだ。上記かっこ書内は、5月14日付「赤旗」記事を紹介する、沖縄県委員会HPから)。
日本共産党の市田忠義書記局長などは、「『革新共同』の候補の擁立を沖縄と日本の情勢が求めている」と意気軒昂らしいし(http://ojcp.jp/cn35/pg551.html)、我如古一郎共産党那覇市議のHPでも、
先頭に立って闘う候補を擁立できて、正直に嬉しいです。代表世話人や周辺の皆さんはもちろん、今回の日本共産党推薦で単独候補という状況に、迷いは一切ありません。
大変スッキリしたわかりやすい選挙に、おおいに勇気を得て、頑張る決意を固めています。10年前の、「革新共闘を分断する」という悪意に満ちた中傷も一切聞こえてきません。
当然です。基地を押し付けようとしている政権与党に汲み(ママ)しないということは、県民に対する最大の安心ですから。また、自公の現職の候補者は、県内移設を当然言いますが、中央では、相変わらず、県内移設の方針に変りはありません。
といっている。
これに先立って、11日付琉球新報記事では、
社民、民主、社大各党による参院選沖縄選挙区への統一候補擁立が白紙になった事態を受け、社民党県連は10日、緊急の執行委員会を招集し、米軍普天間飛行場の県内移設に反対する統一候補をあらためて模索するため、民主、共産、社大に共闘協議を呼び掛ける方針を決めた。
一方、民主党県連は同日の緊急役員会で、独自候補の擁立を目指す対応を確認。社民党県連の呼び掛けには応じず、党内で人選を進めていく構えを見せ、県政野党の共闘関係に不協和音が生じている。 社民党県連は、普天間の早期閉鎖・返還と県内移設の断念を政府に求める基本政策で野党の一致を図り、「無所属・無会派」の統一候補擁立を急ぐという対応を確認。新里米吉委員長は「党本部と絡めた議論はせず、県連レベルでまとまる。基地問題で、県民の民意を実行するための結束が求められる」と強調した。
だが民主党県連の喜納昌吉代表は取材に対し「共産党が候補者を擁立するのに、4党で協議するのは矛盾する」と主張。
とある。つまり、社民党県連執行委員会が共産党を含む「共闘協議を呼び掛ける方針」を決めた翌日には、「広範な県民共同の候補者」への正式出馬要請が共産党単独で行われているのだ。
革新共同候補擁立という事態は、糸数(慶子)選挙、狩俣(吉正)選挙に比べて、客観的には「後退している」という側面を、日本共産党はどのように評価しているのか。
伊集氏の選挙母体である「基地のない平和で豊かな沖縄をめざす県民の会」は、5月10日時点ではまだ「(仮称)」であった。その「結成と伊集候補との政策協定調印」は、15日のことである。急遽作られた組織であることは否めまい。日本共産党が、先行する社民・社大・民主3党の協議の行方を見守っていたのは分るが、政権与党内にいる社民党が連立与党である民主党県連に引き摺られることを見越していたのなら、なぜ、にわかづくりの組織などではなく、4.25集会に示された県民の意思を「そのまま反映する」選挙母体作りの方から始めなかったのか。政党間・有力労組間協議の動向を見守るというのでは、その点では民主党に引き摺られる社民党と同じ土俵に乗ってしまっているのではないか。その姿勢が、上記引用記事末尾にある「共産党が候補者を擁立するのに、4党で協議するのは矛盾する」という喜納昌吉民主党県連代表の発言を「もっともだ」とさせてしまう、格好の口実を与える隙となっているのではないだろうか。「残り時間がない」という予想される反論は、実は、反論者たちが、「4.25集会に示された県民の断乎たる意志も、いつしか消えてなくなりかねない儚いものだ」という不確信を懐いていることを、問わず語りに示しているとは言えないか。
「統一戦線で力を合せる」という仕事は、より「事態をよく理解している」者から見れば、「物分りの悪い人たちを説得しながら、なかなか改まらない逡巡にも配慮して、一致点を粘り強く探していく作業」だ。「物分りが悪い連中は、情勢の求めるところを理解していない」と揶揄し、見切り発車を正当化する態度とは、けっして相容れない。
伊集氏は、伊波洋一宜野湾市長とは高校の同級生だったらしいが、この事態を、伊波洋一氏や稲嶺進名護市長は、どう見ているのだろうか。
「今回の日本共産党推薦で単独候補という状況に、迷いは一切ありません。 大変スッキリしたわかりやすい選挙に、おおいに勇気を得て、頑張る決意を固めています。10年前の、『革新共闘を分断する』という悪意に満ちた中傷も一切聞こえてきません。」という勇ましい言葉の中に、何か尊大なものを感じるのは、おかしいのだろうか。
私の地元の学習サークルでは、「どうしてオバマ政権に対して、正面切って『沖縄に基地は要りません』と言えないのか。アメリカ建国の精神である『民主主義』によれば、地元県民の意思が『嫌だ』といっていることこそ、真っ先に尊重されるべきだと言えないはずがないではないか。」というところまで、一致点が広がっている。民主党政権に好意的な人たちの集まりである。その人たちに対して、どのような説得力のある説明をすればよいのだろうか。(5月22日)