植田様、綾瀬様、田貫様(←同じたぬきつながりですね)。
下からの民主主義なんて大変!と考えている不良共産主義者赤いたぬきです。
民主集中制についての議論に関して横ヤリですが意見させてください。
最近は労働時間も増えているので中堅的な党員におかれてはなかなか議論する
時間など作れないのが現状だと思います。それゆえこの忙しいご時世にいちいち
現場から方針決定していったら党全体の身動きが取れなくなるのではないかと危
惧しております。というのも恐らく共産党員の党に対する思い入れや思想に対す
る拘りは他党の比ではないと思います。また社会に対する考え方も。それらをま
ともに付き合わせていけば大混乱必至ではないでしょうか?個人的には混乱とか
は好きじゃありません。
私の意見は事なかれ主義的官僚主義的意見です。
しかし私のあまり豊かではない運動経験から察するに民主主義が良いシステム
とは思えないのです。
矛盾していますが民主主義とは何ら前提を共有していない人やお互いに無関心
な人々が多数存在する集団においては効率的なシステムだとは思うのですが(つ
まり投票で)一定の前提や方向性を共有している人々のなかにおいてはかえって
非効率的なシステムだと思うのです。というのも共産主義という壮大な思想にお
いては細かい部分の差異が実践において非常に重要になることがしばしばあるか
らです。細かいというのは思想の全体像との関係においてです。しかし現実にお
いてはとても重要です。私達は資本主義経済に対して少なくともそれを手離しで
「素晴らしい」と肯定する立場でもなく、また日本国家を愛国的に賛美すること
を奨励する立場でもありません。私たちの立場は基本的に今だ未確定だと思いま
す(現段階の立場はその未確定性と現実との妥協の産物だと思います)。それゆ
え現実の対応について一貫することが難しいのだと思います。それに輪をかけて
主義者の個性の強さを考えると尚更です。
それらをいちいち細かく討議決定していては時間も体力も持たないと思いま
す。
党を立て直すためにはやはり現実に対応した共産主義思想と運動の根本的開発
とその理解普及が必須だと思います。
問題はむしろ批判の不自由です。党の規則に「批判の自由はこれを認める。悪
質かつ確信犯的な誹謗中傷以外においては批判を理由とした活動制限はこれを
いっさい認めない」とあれば問題解決ではないでしょうか?
以前の投稿では民主集中制と批判の自由を一緒にして論じてしまいましたがそ
れは間違いであったと思います。分離して考えてみては如何でしょうか?また民
主集中制が共産主義思想の全体主義的性格から来ていることについての配慮は
もっとあってしかるべきではないかと考えるのですが如何でしょうか?
最後に植田様へ。「綾瀬はるきさんへ2010/7/31」の文章の趣旨に賛同しま
す。
私が今必要だと思うのは「建設的」野党に対する建設的な意見だと思います。
持てる材料を寄せ集めこのような場所で提案していきませんか?個人的に黙って
投稿するよりこのような形でお互いに呼びかけつつ出来れば心強いと思い書きま
した。批判から提案へ。批判の自由はそれとして保障されるべきですが共産主義
者がそれに甘んじていてはいけないと思います。私自身もこれから色々書いてみ
ようと思います。みなさんもこの機会にぜひお気軽にどうでしょうか?
早々