民主集中制の私の疑問にお答えいただき、ありがとうございました。
植田さんへ
民主集中制は中央に対する異論を持たなければ存在に気づかず異常性を感じま せん。
異論を消化吸収する議論や交流がないので、異論を持った人あるいは異論は持 たずとも想像力でこれの異常性に気づく人は我慢するか遠ざかるかになります。 異論を持った人が減って、異論を持たない人の集団に純化し、善意はあれどカル ト的になる。
私も異論を感じてから、民主集中制に大きな疑問を持ちはじめました。
異常性というか、カルト的になっている具体例ですが、幹部会のだす方針は、
その内容が分かる前から「確信」を得るものになっています。いまなら党創立記
念講演を「展望を指し示す」ものとして、リアルタイムで聞くことを党員に押し
付けています。それを「真実を報道する」赤旗で書き立てているのですから、カ
ルト的になっているのは“真実”だと私は思います。
“遠ざかる”人をこれまで何人見てきたことか。その上に、ここ数十年、若い優 秀な人材が集まってきているでしょうか?
いいえ、集まっていませんね。もはや党の高齢化も危機的というか、末期的で す。ところが恐ろしいことに、この状況に全く目を向けようとはしません。むし ろ眼をそらしている状態です。今、党の支部が年々崩壊しています。高齢化に よってです。それは山間部とかではなく、都会の真ん中でそうなっています。赤 旗部数の減少の大きな要因は、義理をつくさなければならない党員が倒れ、それ を機に購読をやめる読者がいるからです。ですから、今後加速度的に党は弱体化 します。
田貫 喜一さんへ
政党とは自らがめざす社会を自らのうちに具現化していると思います。
共産党は主観的には、社会主義社会を目指してますから党内の運営方法は、共 産党が国家権力を掌握した場合の社会と二重写しとなります。
「よくよく考えれば恐ろしくもある」社会は、私もご免です。
この恐ろしい社会の実例がゴマンとあり、民主集中制という言葉を知らなくと も、異論を封殺する体制は日本人民の周知の事実です。
私は党名を変えるべきだと思っています。他国の共産党政権や、“社会主義”を
目指した国が、恐ろしい社会の実例をごまんと作っているからです。
政党が、自らがめざす社会を自らのうちに具現化しているとしたら、日本共産
党は党名でまずそれを示しているのではないかと思います。
「民主集中制」(異論封殺体制)は、(省略)百害あって一利無しの制度で す。
そのことに気づかず、幹部会崇拝を何の疑問も感ずることなく、党員としての 生涯を終える。そうならなくて良かったと、つくづく思います。
再び植田さんへ
善意はあれどカルト的になる。
カルト的な専従諸氏によって、悩める党員が疲弊しきっているのはご承知のこ
とと思います。しかし、もっとひどいのはカルト的であるが故に党の公式見解や
政策をただ丸飲みした党員が、候補者となり公衆の面前に立つことです。様々な
問題の背景や歴史、仕組みなどお構いなしで、「反対です」「即時廃止にしま
す」と声高らかに演説します。この方たちは、他党の方とは違い、なるほどよく
勉強しています。しかし学ぶのは党の文献のみです。それをひたすら頭にたたき
込むのです。自分で資料を探し出す必要などありません。彼等は中央委員会の見
解が絶対の真理なのです。そんな彼等は、立っているだけでカルト的な雰囲気を
醸し出します。たいてい県に一人や二人はそんな専従諸氏がいるはずです。こん
な人は、実は党と国民の間に壁を作る役割を果たしていることはもとより、悩め
る党員から見れば異様な存在で、何やら修行僧のようにも見えるのです。悩める
党員はしかたなく“修行”に付き合うのですから、得票は党の本来の力より低くな
ります。
逆にカルト的ではない専従諸氏もいます。もちろんこちらの方が多いでしょ
う。ですがこのような専従は病気になりやすいのです。「自立神経失調症」
「鬱」などなどです。たいていの県党が病気になった専従を抱えています。
ちなみに、カルト的な専従諸氏はいたって元気です。
ご返答を書いている間に、党創立記念講演がありました。
タイトルは、
「探求の時代――綱領を手に展望を語り、未来を語り合おう」ですが、高齢者が多
くなった党組織の中で、未来を語り合えるのでしょうか?
今や支部組織の党員は、50代なら若手も若手、60代でも若手、一番若いの
が70代という支部がごまんとあります。未来を語り合いたいのなら、まず、ど
うして若い方が入党しないか考えるべきですが、今の党幹部団はそれもしない
で、党組織が朽ち果てるまで「未来」を語れと言うのでしょうね。