否定形で語ることは、実践、現実を思う方向に向けて変えていくことには、何の役にも立たないですよね。ごく小さい勢力なら、現実を変えるためには目標を下げ、当面の具体的目標を設定して誰かと手を組まねばならないのに、「敵」ばかり作って、誰にも組んでもらえない。いや、過去の実践を見れば、めったにそういうことをしないと自ら開き直っている。これでは、ほんの小さな事さえ主体的には何も実現できないですよ。要は、現実を変えるということでは全く無力な理論しかないのだと見るに至りました。原仙作さんが言われることも、結局そこなのだと思います。結局、左翼小児病の現代版。
参院選総括でもそう。「党綱領と大会決定にたちかえり」と語り、(ご自分らの骨子は正しいとした上でその範囲で)「党内外の方々のご意見・ご批判に真摯に耳を傾け」と言われても、失礼なことだとも気付かない。結局のところ『米国いいなり、財界いいなり』の現状に対するに『国民が主人公』と、ただ唱えてきただけだ。米国も財界も全面真っ黒な犯罪者じゃあるまいし、誰が全否定できるものですか。そのどこをどう変えてみせたのか、これからどう変えてみせるのか、それが何もなくて「正しい私たち」にご意見をなんて、書生のお喋りだ。そんな綱領、大会決定だから、何も現実は変えられない。みんなに見抜かれて、離れられる。哲学が誤っているのです。