民主集中制について、菅井の意見を書いておきます。
この問題については、原仙作さんが昨年、長期の連載投稿をされていて、民主集中制について、およびその日本共産党における特殊な形態に対する検討をされていて、必読文献です。この文章をあらためて通読しましたが、実は「読了」するにかなりの時間を要しました。さざ波に関心をもって見ている人でも通読が大変、というのは菅井だけではないのではないのではないでしょうか。決して読みにくい文章ではないんですが、大作です。でも必読文献です。
今回の通読は、菅井個人ににとっては、引用されている文を通して、レーニンには各人の「思想信条の自由」は保証されなければならないという信念がしっかりあったのだ、と感じ得たことが最大の収穫でした。
以下の文章は、原さんの論文とは独立に書いたもので、特に理論組織と実践組織をまとめて扱っているので行動における統一の面にはふれていないのですが、そのままのせます。
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評判の悪い、共産党の民主集中制だが、菅井は、以前も今も、その理念については 民主主義のしくみとしては、唯一とは主張しないが、ましなものだと思っている。
日本共産党の民主集中制の問題は、
日本には、普通選挙のしくみがあるのに、ちゃんと機能しているとはいえないのと同じ種類の問題だと思っている。それには、仕組みの問題と、それを活かす人間の問題と、両方ある。
民主集中制とは、リーダーシップの強い民主主義のことと理解する菅井は、
1 リーダーは、構成員全員によって、選挙によって、数年ごとに選ばれる
2 リーダーは、構成員の意見が、本質的な問題で割れてきた局面では、積極的にリーダーシップをとって、対立点を整理提示して、討論を組織する。充分に議論がすすんだ上で、採決などの決定をして、一年間か二年間、その方向で組織全体として実践し、結果を総括する。
実践により、まちがっていたと判明したら、退けられた意見を実行する。場合によってはリーダーが交代する。
選挙、大会に向けての意見の集約とは、本来そのように機能すべきものだったと思う。
だが、実際には、リーダーの案を理解させたりするための学習になってしまっていること、こまかい手直しだけを求める傾向が問題だ。
仕組みのよくない点はいくつもあるとおもうが、ここでは、リーダーが積極的に討論を組織しようとしないという問題の方をとりあげる。
情勢が急変する時には、必ず、方針上での大きな意見対立が生じるものである。 質問や異論が出たら、答える、そんな程度ではだめなのだ。
だから、リーダーの案と違う案をあらかじめ、排除するような流れをつくってしまうのはいけない。むしろ、対立見解をはっきりさせるようなしかたで意見を積極的に出させ、論争を全党的に組織しなければならない。そうしなければ各人が自分の見解をつくりあげることはできない。
リーダーは、そういう問題意識と、そして、ちゃんと議論を組織できる能力が必要なのだ。そして、能力というのは、現状、どんな人にもあるとはいえない。
ブログでの討論を扱う扱い方を見ていると、この人がリーダーだったら、もっとましかな、と思ったりする。能力のあるリーダーが必要なしくみ、というのは、民主集中制の問題点かもしれない。
仕組みの問題としては、今のリーダーに有利なしくみをなくすこと、柔軟に議論できるようにすること、いろいろな情報を全員に開かれたものにするような仕組みが必要だ。理論の学習もその一つだが、それだけでは足りない。普通のメンバーの判断力を高められるよう、リーダーに集まってくるさまざまな情報は誰にも見られるようにしなければならない。
運動団体と、学会のようなものの違いもあろうが、こうした点ではちがいはない。
企業にも、ぜひ民主集中制を入れてほしいものだ。資本主義の、所有者だけの民主主義(賃労働者抜きの)では、本当の民主主義ではないのである。