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「科学的社会主義」討論欄

資料(2)――『フランスにおける内乱』の一節より

1999/12/10 吉野傍、30代、アルバイター

 コミューンがさまざまな解釈を受けたこと、また、さまざまな利害集団がコミューンを自分の都合のいいように解釈したこと、このことは、従来のすべての政府形態がきわめて抑圧的な(repressive)ものであったのに対し、コミューンが徹底的に開かれた(expansive)政治形態であったことを示している。コミューンの本当の秘密はこうであった。それは、本質的に労働者階級の政府であり、取得階級(appropriating class)に対する生産階級(producing class)の闘争の所産であり、労働の経済的解放を成し遂げるための、ついに発見された政治形態であった。
 この最後に挙げた条件がなければ、コミューン制度(Communal Constitution)は不可能であったろうし、虚妄であったろう。生産者の政治的支配は、生産者の社会的奴隷制の永久化と両立することはできない。それゆえコミューンは、諸階級の存在を、したがってまた階級支配の存在を支えている経済的基礎(economical foundations)を根絶する梃子とならなければならなかった。労働が解放されれば、人はみな労働者となり、生産的労働は階級的属性ではなくなる。
 奇妙なことがある。この60年間、「労働の解放」についていろいろな大ぼらが吹かれ、山のような文献が書かれたにもかかわらず、労働者がどこかでこの問題を本気に取り上げるやいなや、資本と賃金奴隷制という両極(地主は今では資本家の匿名社員にすぎない)をもつ現在の社会の代弁者たちは、たちまちあらゆる弁護論的な決まり文句を叫びたてる。あたかも、資本主義社会がまだ純粋無垢な状態にあり、その対立がまだ発展しておらず、その幻想がまだ吹き飛んでおらず、その汚れた現実がまだ暴露されていないかのようである。彼らは叫ぶ。コミューンは、あらゆる文明の基礎である所有を廃止しようとしている、と! いかにも諸君、コミューンは、多数の人間の労働を少数の人間の富と化する、あの階級的所有(class-property)を廃止しようとした。それは収奪者の収奪を目標とした。それは、現在おもに労働を奴隷化し搾取する手段となっている生産手段、すなわち土地と資本を、自由な協同労働(free and associated labor)の純然たる道具に変えることによって、個人的所有(individual property)を真実たらしめようと望んだ。――だがそれは共産主義だ、「不可能な」共産主義だ! と彼らは言う。だが、支配階級の中にも、現在の制度が維持できないことを悟るだけの聡明さを持っている者(そしてそういう連中はたくさんいる)は、協同組合的生産(co-operative production)の押しつけがましい声高の使徒になっている。もし協同組合的生産が欺瞞や罠にとどまるべきでないとするならば、もし連合した諸協同組合(united co-operative societies)が、一つの共同計画(a common plan )にもとづいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自らの統制のもとに置き、資本主義的生産の宿命である不断の無政府状態と周期的痙攣とを終わらせるべきものだとすれば、諸君、それこそは共産主義、「可能な」共産主義でなくてなんであろうか!
 労働者階級はコミューンに奇跡を期待しなかった。彼らは、人民の命令によって導入されるような、出来合いのユートピアを何も持っていない。自分自身の解放を成し遂げ、それとともに、現在の社会がそれ自身の経済的諸力(economical agencies)によって逆らいがたく指向している、あのより高度な形態を作り出すためには、労働者階級が長期の闘争を経過し、環境と人間を作りかえる一連の歴史的過程を経過しなければならないことを、彼らは知っている。彼らのなすべきことは、何らかの理想を実現することではなく、崩壊しつつある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解き放つことである。

 *これは、国民文庫版『フランスにおける内乱』の訳文(85~87頁)をもとに、新メガに収録されているマルクスの英語原文を参照にしながら翻訳したもの。

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