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「組織論・運動論」討論欄

いまこそスターリン主義の悪弊一掃を! 山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し

2006/06/15 音重子 30代 給与生活者(連合系組合役員、社会市民連合代表幹事)

 護憲運動、そして暮らしを守ろうという運動、労働運動。我々は連携していかねばならない。しかし、そんなとき、上 から自分の考えを押し付けようとする勢力、自党派の利益を図ろうとする勢力が出たとき、我々は小泉総理らに分断統治され てしまうのです。

 山中の賊(自民党、公明党など)を破るのは実はそう難しくない。しかし、その前に心中の賊(スターリン主義=唯一前衛 党論、民主集中制・・)こそが、我々の前に立ちはだかっているのです。

◇日本共産党の「平和共同候補」運動への批判と選挙無策

 日本共産党は、先月20日、憲法改悪阻止のために、参院選で勝利するため、共同の候補者を立てようという、「平和への結 集・市民の風」に対して、「しんぶん赤旗」紙上で攻撃を開始しました。
http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/dc01/situation/s06062.html
(さざなみ通信、原仙作さんの記事)。
我らが「市民の風」は http://kaze.fm/です。

 いわく、「選挙に問題を矮小化している」、「憲法改悪阻止の運動に障害を持ち込む」、「新社会党の事実上の応援団」な どの批判を行っています。

 また、これに参加している党員を除籍するという暴挙に出ました。民主集中制を盾に、異分子を排除するという、保守政党 でさえも、郵政民営化問題まではしなかった、現代政党としては異常な行動に出たのです。

 憲法改悪のために「草の根」の世論の盛り上がりが必要なのは当然です。「市民の風」メンバーだってそんなことはアプリオリに分っています。

 しかし、世の中、何が起きるか分らない。政府による改憲に対する障害物をいくつでもつくっておくことは、天下分け目の戦いを勝つ上で、当然のことです。

 「国会では少数だが、国民では多数派」という九条護憲派、ということを共産党は過信しすぎています。だから、選挙での共同よりも、草の根を、ということです。

◇草の根も選挙も両方大事

 しかし、一旦国民投票が発議されてしまったらどうか?政府は、周辺諸国との緊張を意図的に生み出したり、あるいは 特殊工作をアメリカにしてもらうなどして不測の事態を起こすかもしれない。そのとき「国防のために改憲を」が一挙に多数になる危険もある。草の根の護憲世論が圧殺される危険もあります。

 だから、やはり参院選はある程度議席を取っておかねばなるまい。共産でも社民でも無所属でも、民主党護憲派でも良い。それにより、民主党の日和見的グループにも「これは改憲を言うとまずいぞ」と思わせる。あわせて、自民党を惨敗させることも当然の目標です。これにより、とりあえず、自民党の改憲策動を頓挫させつつ、民主党の中にも動揺を呼び起こし、護憲よりに口先だけでもスタンスを修正する議員を増やすことが必要です。

 もちろん、草の根と選挙両方の勝利のためには、きちんとしたビジョンを出していくことが市民にとって必要である。ただただ護憲を叫ぶだけでは駄目で庶民の目線での具体的な政策を出していかねばなるまい。そこを基底に草の根でのオルグと、そして、政策軸による政党の結集を図っていくことの車の両輪を進めていく。これが我が社会市民連合の目指す方向であります。

 選挙である程度勝たないと、護憲派少数の選挙結果がモメンタムとなって世論はまた改憲に傾きます。自分をマイノリティーとみなしたくない人々は次々護憲から改憲に寝返りかねない。

 一方で、護憲派が主張を薄めれば支持されるかというとそうではなく、先ほど申し上げた政策軸の提示で自らの理念を具現 化することこそ必要です。「左」であることが悪いのではなく、ビジョンがないのがいけないのである。

◇「ためにする批判」に固執する共産党執行部

 さて、共産党は、「草の根」と一見まともなことを言っている。そして、我々の仲間に対しては「お前は『偉い人』の視点だ。我々は弱者の視点だ」と一見まともそうな論理で非難しています。

 しかし、名古屋の九条の会では、講師が護憲とは関係ない不破さんの本を紹介しだしたりした。呼びかけ人から「反共分子」を排除するよう、専従役員が九条の会の会議の場で主張したこともありました。草の根、草の根といいながら実際は、党利党略を図っているわけです。選挙協力をしないことのアリバイ作りに言っているだけと、見られても仕方がありません。

 また、「政党間の共闘ができる政党は国政レベルではない」というのが共産党の立場ですが、護憲で候補を立てる際は、候補者と各政党ごとで政策協定という手もある。糸数参院議員を当選させた2004年沖縄選挙区が良い例です。ですから、仮に共闘できる政党がなくても、平和共同候補に賛成しない理由にはならないのです。

◇現代民主主義社会と相容れない共産党執行部の姿勢

 そもそも、共産党執行部の姿勢は、全く時代錯誤な唯一前衛党論、そして、革命軍の規律である民主集中制に立脚したもので、到底、高度に発達した現代民主主義社会とは真っ向から対立するものです。

 俺たち(党幹部)だけが正しい、国民(一般党員さえも)は馬鹿である、だから指導しなければならない。これが唯一前衛党論です。自分主導の統一戦線なら良いが、他人のやっている、統一戦線活動は怪しからんという按配です。そして、党員は一糸乱れぬ行動を取らなければ除名する。これが民主集中制です。

 「お前らいつの時代の積りや?」と突っ込みたくなります。大学進学率は5割を超え、多くの人がインターネットで情報を得る。別に赤旗を取ってなくても共産党のホームページで赤旗は読めます。そんな時代に、お前のやり方は違う、お前は党と違ったことを言った、だから除籍だ。そんなやり方をしていて、選挙で伸びるか?支持が集まるか?まともにそう考えているとすれば抱腹絶倒の限りです。

 複数の党員が共同でで異論を述べれば「分派」とみなされ除名という伝統は残っています。共謀罪が問題となっているが、共謀罪とは、分派を禁止する共産党規約こそが、その先駆けです。

 ずばり、指摘しましょう。不破・志位・市田執行部は自分たちの覇権がひっくり返るのを恐れているのです。党勢が衰退しようが構わない。自分たちが議員バッジをつけてそこそこの飯が食えていればそれで良いのです。憲法を守ることなども毛頭頭にはない。護憲運動も、実際は、改悪後は「共産党だけが正しかった」と宣伝するためのアリバイ工作ではないのか?私は、「うちは憲法を守るのが目的ではない。党員と赤旗を増やすことが目的だ」という党幹部の発言があったことを確認しています。これが本音です。中間幹部は下手なことをして職を失うのを恐れています。系列の労働組合幹部も、やはり出世に響くので、党中央への異論をいざとなったら控えてしまうのです。

 今の日本国は、「人権」の上に「国家(統治機構)」を優先させようとしています。不破・志位・市田執行部は、「幹部の覇権」を「人権」否「党利」にすら優先させているのです。

 このような政党への支持が広がらないし、社民党やそのバックの自治労、日教組が共闘を嫌うのも当然なのです。最低レベ ルとしてかつての自民党や民主党が持っている民主主義を身につけることが、事態打開への道です。逆にいえば、共産党のスターリン主義こそが、今の共闘が進まないガンなのです。

◇スターリン主義批判を控えてはならない

 共産党のこのような非民主的な対応、体質に対して良識ある市民、そして、共産党の支持者も含めた護憲派はどうすればよいのか?

 「共闘にひびが入るから、批判はしない」という選択肢に流れる気持ちは分ります。しかしそれではいけないのです。

 非民主的なものは非民主的であると指摘し続けていくことは大事です。自民党政府の非民主制を批判するなら、共産党のそれに盲目であってはならない。そうでなければダブル・スタンダードであり、右派に突っ込まれる原因にもなります。中国に対しても左派が的確な批判をしなければならないのと同じ理屈です。

 唯一前衛党論、民主集中制を引きずったままの共産党を甘やかしてはいけない。良識ある護憲派は、あらゆる政党・政派に対して、是々非々で臨むべきです。従って、例えば、殺戮を繰り返し、テロを肯定するカクマル・中核などの内ゲバ暴力集団についても否定せねばならない。逆に、民主党、社民党、国民新党などの分権的体制については評価すべきところは評価すべきです。「ブルジョワ民主主義」などと馬鹿にする資格は左翼にはない。共産党のスターリン主義を許して きた以上、気安く、自民や民主を一方的に批判することはできない。

 世論の力で共産党を変えていかねばならない。民主集中制は時代遅れだ。唯一前衛党論もナンセンスだ。選挙で共闘しないと未来はない。こう説得していかねばならない。

 良識ある党員は、腐敗した執行部打倒に立ち上がっていただ きたいと思います。逆鱗に触れて除籍されても良い。それだけの元気のある人なら共産党籍なんてなくても、平和運動、労働運動などで大いに頑張れるでしょう。「謀反人だらけ」になって、一々そのひとたちを執行部が除名していけば、逆にそういう人たちで民主的な新党をつくり、我々の運動と連携していっても良い。アレルギーのない新党は大躍進するかもしれません。

 これからの左派政党は、統制委員会ではなく調整委員会を持つような横に連携する組織であるべきでしょう。それが現代民主主義に適った形態なのです。

 それができるまで、左派の政党そのものが一時的に衰退状況になっても仕方がないと私は読み切っています。過渡期の苦しみです。その中でも、運動相互の横の連携、そして、明確なビジョンの提示。こうした作業を社会市民連合は追求していきたい。

 苦言になろうが、批判はしていかねばならない。過去のようなためにする批判ではない。現代民主主義社会にフィットした左派の連合を創り出すための生産的な批判はせねばならないのです。

◇共産党は“歌”を忘れよ

 かつて、私が共産党に在籍した時代、私は、統一戦線の追求にまい進してきたつもりでした。2003年の広島市長選での共闘実現、そしてイラク戦争阻止、劣化ウラン兵器反対のため多くの人が心を一つにした人文字集会。

 このまま、統一戦線が進んでくれれば良いと私は期待に胸を膨らませていました。

 しかし、共産党はそれを裏切った。一部幹部は、古い観念に凝り固まり、他の左派勢力への悪罵を投げつづけた。

 私は、イラクから来られた医師のお話と、被害状況の映像を拝見し、これはなんとしても戦争を止めねばならない。憲法を守りつつの政権交代が必要と判断し、秋の総選挙では、広島3区では社民党の金子哲夫さんの支援に踏み切りました。

 しかし、共産党は相変わらず、候補者を機械的に全区に立てた。呆れてしまった。

 翌年3月、私のある公式の場での演説を気に入った旧知の民主党幹部から電話が入りました。「お前の才能は共産党では活かせない。民主党へ来い。そして国会に出てそこでお前の理想を生かせ。」と勧められました。

 その日は、奇しくも江田三郎先生が社会党を離党した3月16日と同じ日付でした。私は、しばらく思い悩みました。

 「共産党は変わらねばならない。」といつも言いつづけてきた私ですが、「そんなこと言ってもあなたの言うとおりにいつまで経ってもならないじゃないか」といわれてしまうとぐうの音も出ないのです。

 結局、江田先生の命日である、5月22日、離党届を提出。その2年後の同じ日に江田先生の遺志を継ぐため市民の連合体「社会市民連合」を結成し、活動に乗り出したのです。

 社会市民連合は政党ではなく、当面、新しい「日本型社会主義」実践する市民の連合体として、市民運動と労働運動、そして経済活性化と平和を願う地域の保守層も含めた運動の連携。そうした草の根と車の両輪で左派政党の結集、そして打倒従米自公政府のための大連合を当面求めていく。しかし、ベースにあるのは、市民の立場でのビジョンの提示なのです。こうした方向でまい進したい。

 共産党よ、歌を忘れよ。唯一前衛党論、全般的危機論(危機待望論)は放棄したはずが今も息づいている。唯一前衛党論は「たしかな野党」に形を変えている。「危機待望論」も健在で、自民党政権が続いてくれたほうが共産党にとって有利だ、みたいな発言も良く聞きます。しかし、国民はそんなに愚かではない。自民党も対応能力は優れている。高度な現代社会で、独り善がりな指導をしようとしても無駄です。

 「われわれの目指すのは国民の幸福である。だから、いま直面している危機は速かに乗り切り、国民の不安を解消しなければならない。危機が深まり、田中が倒れ、革新がとって代るという危機待望論は許されない。これは国民の不幸であるばかりか、結果において田中から福田への政権たらい回しに手をかすだけに終るであろう。いまわれわれのとるべき道は何か。たんに政府の対策に修正案を提出するだけでなく、いま政権の座にあったならこうするという、積極的な包括的な解決案を、天下に明らかにすることである。」(http://www.eda-jp.com/saburou/seiji/22.html

 むしろ横の連携を広げることを考えたい。方針を押し付けるのではなくお互い、ビジョンを示しつつ、弁証法を図っていくことである。それは、擦り寄りとも違う。擦り寄りは唯一前衛党論の裏返しだからです。

 60年代は新しく見えた共産党もいまや干からびた歌手に成り下がってしまった。

 「固定した、狭いイデオロギーにたって、革命だ、反独占だと叫んで、抵抗だけに終始していることこそ、いきいきとした歌を忘れ、誰も耳を傾けようとしない、ひからびた歌手になり下っているのではないのか。」(諸君、1973年9月号、http://www.eda-jp.com/saburou/seiji/21.html)

 共産党よ、歌を忘れよ。良識のある護憲派よ、共産党への批判を避けてはならない。新しい民主主義政党として立ち直っていただかねばならない。すぐ人を排除する政党が、愛国心押し付け反対、共謀罪反対というのはブラックジョークに見えてしまうからです。

 いろいろあってそれでよい。大事なときに連携できれば良いのです。

 かつて、統一戦線の急先鋒を自任していた私ですが、今や、どちらかといえば、ゴリゴリの民主党左派・社民党系(あるいは協会派)の反共のようにとらえる人もいる。そう思われても仕方がないかもしれない。社民党・市民派と共産党の橋渡し役が出来ていた時代が懐かしい。

 あの6000人の広島中央公園でのNOWAR NODUの人文字から、却って分岐点が出来てしまったのかもしれない。

 「これなら共闘が進む。ヒロシマの心活かす政権交代も夢ではない」と思った私と、「右傾化」と「たしかな野党」路線のジグザグへとダッチロールを繰り返す党指導部についていかざるを得なかった、大半の元同志との決定的分岐点だったのかもしれません。

 しかし、もう共産党支持者の24%が造反して民主党候補に入れる時代です。このままでは消滅の危機です。

 しかし、私のかつての提案を受け入れ、江田先生の遺訓に学び、「今までの誤りを総括し、民主化すれば、また、蘇ることでしょう。