レーニンによる分派の定義
「決議」の中でレーニンは分派を定義しています。レーニンは「別の政綱を持ち、ある程度門戸を閉ざし、自己のグループ的な規律」(決議)〔252頁〕をあげています。
私は寡聞にして、不破委員長が分派の定義をしたものをみたことがありません。もし、日本共産党独自の「分派の定義」がなくて、党の文献が分派禁止の根拠としてこの「決議」を援用しているならば、日本共産党の分派の定義はこの「決議」に準ずるものと理解するよりありません。
私の個人的な責任において言いますが、げじげじさんが非党員であるとは考えられません。それにもかかわらず、げじげじさんが党員であることを明らかにできないのは、「さざ波」に投稿することが党員として許されないことだという重い認識がげじげじさんにあるからでしょう。彼の立場が党中央を擁護するものであることは誰の目にも明らかです。彼が多少ともオリジナリティを出しているのは、さざ波の姿勢を真摯なものと評価したり、「私は全党討論を否定しているわけではなく」とか「十分だとはいえないかもしれませんが」ぐらいでしょう。たったこれだけのことを言うことさえ、彼には「分派的」と思えるのかもしれません。分派の定義をはっきりしておく必要があります。
当時の分派の実態
「さざ波」の反論にもありましたが、レーニン生前の最終規約(1922年制定)には分派禁止の規定はありませんから、この「決議」は優れて時代性の強いものであるといわねばなりません。レーニンは「結語」で、この「決議」を提案するに至った事情を、情勢と分派の実態とその政綱について詳しく明らかにしています。レーニンが名指しで特に厳しく批判している分派は「労働者反対派」と言われる分派でした。レーニンによれば、この分派はサンディカリズム的偏向が強いもので、そのメンバーであるコロンタイ(かつて人民委員であった)は小冊子を発行し、労働者反対派とは何であるかを説明し、その政綱を示しています。レーニンはこの政綱のうちの「国民経済の管理を組織することは、産業別労働組合に統合された生産者の全ロシア大会の権限である。これらの組合は、全国民経済を管理する中央機関を選出する」という部分をとくに厳しく攻撃しています。独自の政綱を持つということは、日本共産党におき換えれば、党の綱領とは別個のあるいは異なる政治方針を持つということになります。
この分派のメンバーは10回大会で発言するときにも、「労働者反対派」と名乗っていました。「11月のモスクワ県会議は二つの部屋でおわった。すなわち、ある部屋にはある人々が、他の部屋には別の人々が、集まったのである。分裂の直前であった」(結語)〔211頁〕とレーニンは述べています。レーニンが分派禁止の決議を求めるに至った経緯は、単に意見の相違があってこれを公表したとかしないとかいうような「はんぱな」次元のものではないことがわかります。
レーニンは意見の相違にかかわらず団結することを求めた
「鉱山労働者の第2回大会で、同志トロツキーや同志キセリョフと論争するはめに私がなったとき、二つの見地がはっきりと現れた。『労働者反対派』は『レーニンとトロツキーは団結するであろう』と言った。トロツキーは登壇して言った、『団結しなければならないことを理解しない人間は、党にそむくものである。もちろん、われわれは団結する。なぜなら、われわれは――党員だからである』と。私は彼を支持した」(結語)〔214頁〕とレーニンは述べています。
鉱山労働者の第2回大会が労働組合の大会であるか、党の会議であるかはわかりませんが、いずれにしても、党の最高幹部の間に意見の相違があり、公然と論争しながら、その両者の間に団結が存在するという事態が可能だということであり、論争は党内で隠密にやられなけらばならないなどという雰囲気はここにはありません。
また、決議の中で「討論用リーフレット」や特別の論集をもっと規則的に発行することを大会の名において指令しています。討論の機会を制度的に保障することが分派禁止の前提になっています。
おわりに
引用ばかりで恐縮ですが、原典にあたってみました。げじげじさんの問題提起に始まる論争に「決議」が引用されたのでやむをえませんでした。
この問題には区別して考えるべきものがあると思います。1つは、レーニン主導のもとで分派の存在を禁止する決議が、当時の情勢の特徴と関連づけた上で行なわれていることは事実だということです。そのさい、レーニンは異なる見解の存在を否定したり、意見の相違を公表することを禁止しているわけではない、ということは明らかなことです。この点からいえば、げじげじさんの思考は本当にコチコチになっているとしか思えません。しかも、げじげじさんの思考は(かつての私自身も含めて)多くの党員の共通した認識でもあり、いわば規約・規律に関する通俗的な理解となっています。
もう1点は、この大会の報告、結語、決議のなかで「分派を禁止する」ことと民主主義的中央集権制とがまったく関連づけられていないことです。この報告、結語、決議の中には「民主主義的中央集権制」という言葉は1回も出てきません。「分派の禁止」が党の一般的な存在様式にまで高められてはいないということです。
「分派の禁止」について、スターリン時代の党規約(1934年制定)では「党の統一の保持、フラクション的なたたかいや分裂のいかにささやかな試みとも容赦なくたたかうこと……は(党組織と党員の)義務である。」としています。「フラクション的」、「いかにささやかな試みとも」という部分に注目すれば、10回大会の分派を禁止する決議とは明らかに質的に異なるものであることがわかります。この規約の立場からいえば、党の方針について批判的な意見を公表することは「ささやかな試み」と見なされることがあるかもしれません。「分派の禁止」なるものが党活動の一般的な基準として認められるべきであるとする論拠としては、10回大会の決議は適当ではなく、スターリン時代の規約に求められるべきでしょう。
じっさい、党中央に批判的な意見を公表することは反党的であるとか、分派を正確に定義することもなく、いとも簡単にレッテル貼りをするなどの「規約・規律に関する通俗的な理解」はこのスターリン時代の規約との間に共通性が認められ、10回大会の文献とは質的に異なるというのが妥当な理解でしょう。
スターリンの指導下でおびただしい数の党幹部、党員が「血の粛清」の犠牲者となったことはいまでは誰も否定するところではありませんが、スターリンによるこのような暴虐な粛清を合理化する理論的な根拠としてスターリン時代の規約が有力な武器となったこと、そして、この「フラクションの禁止」条項がその核心となるものであったことは明白ですが、このことに関しては、ソ連共産党と「生死をかけた闘い」をしたとする日本共産党の公式な文献として指摘されないのはなぜでしょう。私は現行の日本共産党規約について論じているのではありません。スターリンの時代の規約について述べているのですが、この「フラクション禁止」条項は共産主義者として断じて許しておけるものではありません。スターリンによる党内支配がおそらくはその後のソ連崩壊とは無縁のものではなかったでしょうから、その意味でも、これを厳しく批判することが必要です。
「新日和見主義」のときに、日本共産党中央幹部は「星雲状態」、「双葉のうちにつみとった」という表現がありました。これは上記の10回大会の「決議」にてらしてみれば正当なものであったとは言えませんが、スターリン時代の規約にてらせばまことに妥当なものであったと言えるでしょう。日本共産党の現行規約についての論議を別としても、少なくともその運用はきわめてスターリン的であったと言わねばならないでしょう。
ただ、私は、このことを文献学的に論争してもあまり意味がないように思います。現代日本とこのころのロシアとでは時代も違うし、とりまく情勢も違います。現代日本の革命運動の立場から主体的に考えて結論を出すべき問題でしょう。
げじげじさんにしても、かつてのKさんにしても、討論されている内容よりも、党外の人も自由に見たり、参加したりすることができるHP上で討論することを、「党内問題を党外に持ち出す」として批判します。その理由としては一口で言ってしまえば「共産党のイメージダウン」ていどのことしか挙げらていません。お二人には現在の具体的な状況を考えてもらいたいと思います。
私は、現行綱領を自らの政綱とする党員であり、党規約を守る意思を持っています。その私がときおり「さざ波」に投稿するのは、現在の日本共産党指導部が綱領路線から逸脱しているのではないかという疑問が払拭できないからです。そのように私が考える根拠はあえてここで述べるまでもないと思います。「さざ波」の投稿のすべてに同意できるわけではありませんが、かなり私の考えと共通するものがたくさんあります。
国旗・国歌の法制化要求、不破政権論など、どう見ても「おかしい」と思いませんか? その傾向は特に昨今著しいものがあります。先日も不破委員長が朝日新聞紙上のインタビューで「綱領は変えない」と言明しています。私はこの言葉を信じているから今日でも日本共産党の一員であるのです。「自衛隊と憲法」の関係において自民党がしたように「解釈改憲」のようなことはしてほしくありません。
げじげじさんは党員だと私は確信しています。あなたの立場はそれはそれで結構です。あなたの主張はけっして現在の党指導部からみても批判すべきものではないでしょう。時間ができたらはばかることなく投稿されればいいでしょう。
もし、党員でなければ、あなたほどの方なら立派に日本共産党の一員として受け入れてもらえるでしょう。ぜひ入党なさいますようにおすすめします。党の内部で活動しないとわからない部分もないわけではありません。
(注)ロシア共産党の規約(レーニン時代、スターリン時代とも)は『民主集中制と党内民主主義』(藤井一行著 青木書店刊)の巻末付録資料によった。年表は『レーニン』(M・C・モーガン著 菅原崇光訳、番町書房刊)の巻末資料によった。