1、はじめに
日本共産党(以下、jcpと略記)は本年7月の参議院選に向けて、昨年5月、8名の比例区候補者を発表したが、総選挙直後の同年11月22日の全国都道府県委員長会議において、8名の候補者のうち3名の現職と新人1名を解任し、新たに1名の新人を加え5名を「絶対確保議席」(志位)とする選挙対策の変更を行った。惨敗が予想される参議院選を前に、現職を3名も更迭することは異常な選挙対策であるとしか言いようがない。
この変更は、昨年の総選挙の惨敗に驚愕した党中央による市田防衛シフトであり、党員と国民を愚弄し、党の選挙運動全体を弱体化させているのである。こうした「自滅の戦術」を採用することになった原因を明らかにすることより、jcp改革の一助となることを願うとともに、解任された現職3名の復活を求めるものである。なお、jcpによる現職3名の解任が書記局長・市田の議席防衛策であるという指摘が、すでに宮地健一氏のサイトや「阿修羅」で行われていることを付記しておく。
2、当初の決定はつぎのとおり
事情を簡明にするために、いささか長い引用になるが、昨年11月の都道府県委員長会議における志位委員長(以下敬称略)の説明をみてみよう。
「非拘束名簿式に改悪された参議院選挙の比例代表選挙の闘争方針について、・・(前)参院選の教訓をふまえて、同年十月の三中総決定で『政党選択を土台にという基本方針をつらぬきつつ、国会活動にとって欠かせない重要な候補者の再選を保障するという見地にたって、方針の見直しと発展を検討する』と確認しました。そして、今年五月の六中総決定でその具体化として『衆院比例ブロック区域を基本に全国を地域割りにして、個人名での投票をお願いすることを基本にしてたたかう』ことを決定し、この方針のもとに全国を八つの地域にわけてとりくんできました。」
この説明をわかりやすく言うと次のようになる。つまり、非拘束名簿式では25名も名簿に搭載すると、各候補者の得票順に当選が決まっていくので、誰が当選してくるのかわからない。前回の参議院選挙で現職が落選し新人が当選した結果などの「教訓をふまえて」、党中央がどうしても当選してほしいと考える「重要な候補者の再選を保障するという見地にたって」、各候補者に対し地域を割りあて、「個人名での投票をお願いすることを基本」に8名の重要な候補者を当初擁立したわけである。したがって、この8名は党中央が考える「重要な候補者」であり、後に付け加える17名のいわば泡沫候補者とは格段に区別された存在だったわけである。
3、意味不明な予定変更の説明
ところが、昨年の総選挙をさかいに事情が一変したという。
それは、第1に2大政党化の流れが強まり、「政党選択選挙という様相がこれまでになく強まりました。」ということで、新方針の第1点は「政党名または候補者名の投票をお願いする」ことに変更した。事情が一変した第2は昨年の総選挙の得票である。「今回の総選挙の比例代表で、わが党がえた得票は四百五十八万票、得票率は7・8%でした。・・・この得票率で来年の参院比例選挙を試算(ドント方式)すると、わが党の獲得議席は三議席(四人目は定数四十八のうち五十位)となります。」
ということで、新方針の第2は「区割り地域をもつ候補者を5人にしぼり、・・『絶対確保議席』として、・・当選をかちとる」という方針に転換した。具体的には全国を5つに区割りし、先に擁立した8名のうち、現職3名を含む4名の「任務を解」き、新人を1名加える案となるわけである。
さて、この変更についてであるが、問題は第2の事情である。昨年の総選挙での得票からすれば3議席であるから、8議席の当選は難しいということは理解できるが、5名の絶対確保議席候補者を決定したからといって、3名の現職を解任する理由が不明である。というのも、8議席の確保も難しいなかで、「最終的には25人の比例候補者の擁立を行う方針であります。」というのであるから、3名の現職を解任する理由はそもそもないはずである。もちろん、現職3名の「任務を解」くのであるから、これら3名の現職は残り20名のうちにはいっているはずもない。
4、市田防衛シフトであることは明らか
参議院選挙において、より多くの得票をめざすのであれば、解任された現職3名を含めた比例区現職6名が候補者として選挙戦の先頭に立つべきであることは自明の理である。自明の理が覆されて、この現職3名を除いた無名の20名を擁立する変則的な選挙戦をあえて展開する理由は何か、それが問題である。
これまでの検討からすれば、少なくとも言えることは、5名の絶対確保議席の中に、解任された現職3名が上位得票で割り込んできてもらっては困るという党中央の意向があることは明らかである。最終的には25名も比例区候補者を擁立するのに、現職3名を解任する理由は他に考えられないからである。非拘束名簿式の場合、これら3名の現職は実績も知名度もあり、候補者に残しておけば、地域割りの配分がなくとも得票順で上位5名の中に入ってくる可能性が十分あるからである。そういうことが現に起きた場合、いや、起きる可能性が高いことは前回の参議院選における新人の例が示しているのであるが、その場合、候補者として残った5名、なかんずく、ほぼ確実とみられる3名の当選枠に喰いこんできて、党中央によって再選を保障しようとする候補者の一角がはじき飛ばされる事態が起こりうるわけである。
そこで、党中央は最終的には25名の比例区候補者を擁立するものの、昨年総選挙並の得票を前提に、安定確保議席は3議席と予想し、3名の現職を解任して、彼らが上位当選する可能性を断ち、こうして現在の候補者である3名の現職の再選を保障し、そのうえで、3割増の機関紙拡大運動を通じて5議席をねらうという構想に変更したわけである。
当初、再選を保障されるべき重要な候補者であったはずの現職3名を解任するという異常な手法まで用いて党中央が確保すべきだと考えている候補者は市田(書記局長)その人であることは論を待たない。現在の候補者5名のうち、新人は1名、前議員1名、残りの現職3名を党の役職と照らし合わせると、1名はさきの党大会で初めて中央委員に選出されたばかりであり、もう1名は中央委員ですらない。この2名の現職は議員としては若手に属し、解任された3名の現職の誰かと入れ替わったところで、特別に不都合が生ずるわけではない。残るは市田で、党の書記局長であり、志位の衆議院と並んで、党参議院議員の中心人物であり、党中央にとって、落選してもらっては困る最重要人物である。
ところが、彼は個人としての選挙戦の実力は未知数なのである。彼は前回参議院で初当選した当選歴1回の議員であるばかりか、前回の場合、拘束名簿式で立木洋についで、第2位順位に名簿搭載されていることにより当選したのであって、非拘束名簿式での議員個人としての集票力は実績がなく未知数なのである。彼の個人としての集票力が未知数であることも現職3名の解任という異常な対策の一要因となっているのである。
4、「緊急な意思統一」が示すもの
現職3名の解任は総選挙の敗北を受けて、急遽、決定されたものである。総選挙後の都道府県委員長会議で委員長・志位は冒頭で次のように述べている。
「この会議を持ったのは、来年の参議院選挙の比例代表選挙の闘争方針について、緊急に意思統一しておくべき問題が生まれたからです。」
昨年の総選挙の惨敗に直面して、緊急に意思統一すべきことは、選挙運動を含めた党活動全体の抜本的改革・強化等ではなく、候補者数を5名にしぼり、現職3名を更迭し市田防衛シフトをしくことだったわけである。
昨年5月の8名擁立(6中総で決定、2003.5.24、25)の時期は、すでに統一地方選が終わり、jcpの退潮が国政から地方政治に及び始めたことが明確になった時期である。都道府県議選では152議席から110議席へ、政令市議選では120議席から104議席へ後退していたのであるから、当然、そうした政治情勢、jcpの後退という現実を考慮して8人の「重要な候補者」を擁立したはずなのである。それなのに、総選挙の敗北の結果を受けて、「緊急に意思統一」する必要が生じたということは、総選挙の敗北が党中央の想定を越えて、予想外の惨敗であったことを言外に物語っているのである。
党中央にとって予想外の惨敗となった理由は、政治情勢をリアルに把握していなかったということになるのであるが、指摘しておきたいことは、直近の地方選の敗北すら、真摯に総括していなかったということ、きわめて政治的にしか総括してこなかったということである。
統一地方選前半戦の結果を受けて出された常任幹部会声明(2003・4・14)は次のように述べている。
「これらの結果は、・・・『反転攻勢』への貴重な足がかりをえたことを、しめしています。」
こうした総括は全般に現れた後退には目をつぶり、わずかばかりの積極面を針小棒大に評価するという主観的なものであり、党中央には都合が良かろうが、事態をまともに認識する能力を持ち合わせていないことを示しているのである。地方選後半戦も後退傾向は変わらなかったが、その後、出された6中総(2003.5.24、25。ここで8名擁立が決定した)でも総括は同様であった。「(2)獲得した得票-『反転攻勢』にむけた足がかりになる結果をえた」という具合である。
このような総括は、戦前の大本営が海外における戦闘で被った敗退を「転進」と国民向けに説明していたのと同じである。
5、総選挙の総括前に解任は決定された
今一つ、その間の流れを一瞥してわかることがある。昨年の総選挙は11月9日である。総選挙の結果についての常任幹部会声明が出されたのは11月10日である。この声明では『総選挙の総括は、党内外の方々の意見に広く耳を傾け、近く開く中央委員会総会(10中総のこと)でおこないます。」と述べていた。3名の現職を解任する方針は、11月22日の全国都道府県委員長会議においてであり、会議の内容が「赤旗」紙上で発表されたのが11月26日である。総選挙の総括が行われた10中総が開かれたのは12月3、4日である。
この日程を見て明らかなことは、3名の現職の解任という方針変更は、総選挙の総括が確定する前に決定されたということである。そのうえ、比例区8名擁立は6中総による決定なのであって、この決定が中央委員会総会を開くことなく覆されているわけである。その点を意識して志位は「一刻も早く全党に徹底すべき方針であったので、常任幹部会の責任で」(10中総)と弁明しているが、どんな責任をとるにしろ、問題の性質からいって、総選挙の総括を行う前に変更できるものではないはずである。
本来の手順からすれば、中央委員会総会(10中総)で総選挙の総括について議論をし、内容を確定してから、さて参議院選挙の従来の方針を再検討するという順序になるべきところなのである。この通常の手順、それは党内民主主義の観点からしても、候補者再検討の内実を保障するという観点からみても重要なことなのであるが、全ては中央委員会を置き去りにして、常任幹部会レベルで決定され、総選挙の総括も定まらないうちに、市田防衛シフトと現職3名の解任が決定されたということである。党中央の驚愕、狼狽ぶりがよくわかる日程であり、また、中央委員会がまったく機能しておらず、党中央の単なる事後承認機関となっていることもよくわかるのである。
6、裏付けなき「絶対確保議席」の提唱
さらに、この5議席の「絶対獲得議席」についてであるが、この議席数を確保するには「得票率を7.8%から10.3%以上にのばし、得票を6百10万票以上にのばす前進・躍進が必要となります。」(都道府県委員長会議)というものなのであるが、後退傾向の中で増勢へ転ずる具体策は都道府県委員長会議では提起されていない。1998年の参議院選挙をピークに連続して国政選挙に敗北してきており、その敗北が地方選にまで及び、ダメを押すかのように総選挙で惨敗した直後でありながら、ただ次のように言うだけである。
「これを全党の一致結束した力でやりぬこうということが、今日の問題提起の中心であります。」
いわば、大いなる決意をもって頑張ろうという精神論だけなのである。そういうことになると、5議席という数字すら、「絶対確保議席」という冠を与えられているものの、提案当初、党中央が本気で獲得しようとしていたのかという疑惑が浮上してくるのである。というのは、5議席獲得とは、総選挙比で30%以上の得票増が必要であり、その困難な課題をやりきるためには、単に頑張ろうでは不十分であることは素人目にも明らかだからである。実践的裏付けが必要なのである。
このように考えると、現職3名の解任時には、党中央は本気で5議席をめざす決意を持っていなかったと断ぜざるを得ないのである。
この5議席を「絶対確保議席」とする裏付けとなる実践活動(機関紙の3割増運動)は、総選挙の総括を行い、参議院選の新たな方針を確認した12月3、4日の10中総でも提起されておらず、2004年1月の23回党大会決議において初めて提起され、大会代議員に驚き(悲鳴)をもって迎えられたのである。その間の事情を志位は次のように言う。
「実はこの提起は緊急の提起でした。・・・大会にぶっつけ本番で提起したものでありました。」(志位・結語)
つまり、大会直前の10中総でも提起していない提案を、中央委員会総会にもはからず、常任幹部会あたりで提案してそのまま大会決議に盛り込んだということなのである。ことほど左様に、十分な検討もなく実践的裏付けもなく、急遽出された提案が11月の都道府県委員長会議における市田防衛シフト=3現職解任提案なのである。
実践活動の裏付けを伴わない5議席の「絶対確保議席」提案は、党中央にあっては、本音では3議席の安定確保議席、党員の頑張り如何で4議席と当初、皮算用していたのではないかと思われるのである。これならば、実践活動の裏付けなき5議席の絶対確保議席提案も無理なく了解できるのである。そしてまた、このように理解してくると3名の現職解任の理由もより明確になって来るのである。5議席枠となったとはいえ、それだけで現職3名の解任理由となるわけではなく、五名枠のなかに解任された3名のうち2名を入れる選択肢もあったわけであるが、既に見たように、市田防衛シフトおよび総選挙の得票を前提とした安定獲得議席3名という条件が現職3名解任の隠された基準なのである。5名の現職を擁立すれば、市田当選が不確定要素になってしまうのである。事態の真相が見えにくくなっているのは、5名枠の設定と同時に新人の差し替えも行ったことによる。
7、3議席という喉に刺さったトゲ
だが、何もそう慌てて決定することはなかったのである。当時から見れば、参議院選挙はまだ、7カ月後のことである。しかも、小泉内閣は自衛隊のイラク派兵を決定し、いわば、政局は『一寸先は闇』という状態に突入することは明白だったからである。予想される政治情勢、政局の流動化を前にして、党中央は、中央委員会総会で総選挙の総括と参議院選対策の再検討を十分検討すべきであった。
たとえば、市田落選を回避するのが至上命題であるならば、地元の近畿を地盤に彼の地域割りを他の候補者より厚くし、当初の予定通り、8名の候補者を堅持することも可能であったはずである。現職3名を解任するよりベターであることは明らかである。候補者解任に伴う議員個人や議員の後援会、各議員の個人ファン層などとの摩擦も回避できたはずであり、本投稿のような国民の側からの批判も回避できたはずである。しかし、党中央は、すでに見たように十分な議論をせぬまま、あたふたと現職3人を解任したのであるから、やはり、安定確保議席は3議席ということに呪縛されているのである。党中央が叱咤し下部党員の頑張りがあったところで、安定議席は3議席と党中央はトラウマのように信じ込んでいるのである。そうでなければ、3現職の解任は説明がつかない。
総選挙前のマスコミのシミュレーションではjcpの議席は半減と予想されており、それが的中したことが、ここで想起されるべきである。党中央は新綱領案も出し、地方選の総括では「反転攻勢の足がかりを得た」と総括していたのであるから、おそらくは、後退にある程度歯止めをかけられると予想していたのであるが、ふたを開けてみれば党中央の予想に反し、マスコミ予想どおりの結果が出て、衝撃を受けたばかりであった。この事実が党中央の喉に突き刺さっているのである。参議院選についてのマスコミ予想は比例代表の3議席のみである。
衆知を集めれば知恵も力も涌いてくるというのが、jcp中央の常套文句であったように記憶するが、どうも、ここには政治情勢の展開を見通す見識がなく、衆知を集める度量もなく、マスコミ予想のトラウマと党幹部防衛意識と上意下達があるばかりである。
8、空虚な不破議長の危機感
党中央の危機意識は、総選挙の総括を行った10中総において、不破の異例の問題提起となって表明されたのであるが、問題の掘り下げが浅い結果、党員の「やる気」が衰えていることが問題だというばかりである。
要旨は次のとおりである。
中選挙区時代には、総選挙は組織活動の中心になっており、議席に遠く及ばない選挙区でも、ねばり強く票の積み上げを行ってきたものであるが、しかし、比例代表-小選挙区制になって、「国政選挙というものが、党活動の中で薄くなってきている」実情がある。そこで、「選挙戦と党活動の抜本的な立て直しを図る必要がある、私は、そういう感じを非常に強くしています。」
では抜本的な立て直しとは何か?この選挙制度で2大政党以外で成功しているのは公明党である、公明党の作戦は小選挙区から撤退して比例中心の選挙にし、「中選挙区時代以上の迫力と執念をもって追求するというやり方」であり、それを「私たちも『他山の石』とする必要がある」 これだけである。
さきの地方選の総括で「反転攻勢の足がかりを得た」という大本営まがいの総括が出たかと思えば、今度は大日本帝国陸軍の大和魂にも似た精神論である。不破お得意の「科学の目」はいったいどこへ行ってしまったのであろうか?
危機意識はあるが、抜本的立て直しを図るということになると、具体策がなく、その結果として、参議院選についてのマスコミ予想(3議席)を受け入れざるを得ず、市田防衛シフトしか打ち出せなかったわけである。その貧困ぶりもここに極まれりと言うほかない。
そこで、場違いな場所ではあるが、ひとつ提案をさせてもらおう。公明党に見習って、当選する見込みのない小選挙区の立候補を取りやめ、民意にゆだねることである。選挙区によって、有力な護憲派がいる場合は特にそうである。他党派に有力な護憲派がいる場合、それを支持することが望ましい。そうすれば、シジフォスの神話ではないが、党員は反自民の民意に逆らう消耗な票集め(民主、社民票等の蚕食という野党内闘争-沖縄選挙区典型)から解放され、あるいは、事実上の護憲共闘の活動ができ、あるいは比例票獲得に集中できるであろう。比例も小選挙区もjcpへなどという無理なお願いを党員に強制すべきではない。当選のあてがまったくない小選挙区に独自候補を立て、選挙力学上、自民の別働隊になっている事実(中選挙区時代との根本的相違)が、反(あるいは非)自民有権者の反発を買い、末端党員の活動を疲弊させているのである。