9、あるコントラスト
4月末の衆議院補選で自民は3戦全勝であったが、注目したいのは埼玉8区の補選である。この補選は公選法違反で辞職した自民議員の選挙区であり、自民にとっては逆風の選挙であった。都市部に強い民主に勝ちの芽があった選挙区である。自民党のとった対策は公募候補擁立という手法であり、候補者の新鮮さ、クリーン性をアピールしたのである。幹事長の安倍は「この若者を選んで良かった。密室で親分が選ぶのではなく、公募で選んだんです。」(日経、5月2日付)と演説した。応援にやってきた小泉は「何となくぎこちない演説でしょ。・・無理もない。一ヵ月前まで政治家になるとは夢にも思わなかった人ですから」と、候補者の素人ぶりをアピールしたという。なかなかの演出である。知恵を絞った成果である。候補者を自転車で遊説させたコーチ役・自民議員は「透明な選考方法と候補者のイメージ作り」の勝利であり、無党派層の中核を30代主婦と割り出し対策も練ったという。
政権党が民意にアピールするために、これだけ知恵を絞っているのと比べ、jcpの実行した「緊急な意思統一」により、現職3名をバッサリ解任した事態はどう形容すべきであろうか? 最初から「勝負あり」である。jcp中央の手法は、幹部防衛論の見地から個々の議員や後援会等の事情をあっさり踏みつぶしており、党中央の親分が密室で決めたものであり、こうした手法を国民は最も嫌悪するからである。
jcpの後退は敵にしてやられたから後退しただけではなく、後退せざるを得ない欠点を抱えているから、後退しているのである。
「経済」(新日本出版)の6月号に、副委員長の上田が学者・研究者の後援会で講演した内容が掲載されているが、1998年以降の後退について、「98年の参議院選比例から見ると150万票も削られた」とか、前回参議院選では「さらに票を削られて」(39頁)とか、全て受け身の表現である。つまり、98年までは前進してきたが、敵の攻撃が強まり「削られた」というのである。敗北したときは敵に「削られ」、前進したときは、わが党の正しさの証明ということでは、敗北の原因を探る必要もなければ反省をする暇もないであろう。「削られる」という言葉に表現された、無意識のうちに出てくる責任転嫁の発想が党中央の頭脳を占領しているうちは、まともな総括=再生へのステップは期待すべくもない。
10、市田の説明は意味不明
当の市田は、このような変更について記者の質問にこたえて「リアリズム(現実主義)に徹すると同時に、志を高くということをアウフヘーベン(統合的に発展)すると5議席になる」(朝日、2003/11/26)と発言している。このような国民を煙に巻く答えしかできないところにjcp中央の問題が端的に露呈されている。この答弁は説明不能であることを証明しているのであって、国民に説明不能な選挙対策を実施したということである。政党としてのアカウンタビリティー欠如も甚だしく、政党失格、党員、国民を愚弄するものである。
だが、しかし、市田のこの弁は、事態を検討してきた後では、わりと正直な告白であることも解読できるのである。「リアリズムに徹すると」3議席=3現職解任であり、「志を高く」すると、ほぼ不可能な5議席(得票30%以上増)が希望であるというわけである。
11、市田防衛シフトは選挙戦を弱体化させる
選挙戦は、最強の布陣でたたかうべきものであり、惨敗が予想されるjcpにあってはなおさらのことである。jcpにおける最強の布陣とは他でもない当初の比例区現職6名を先頭とする選挙戦である。不祥事を起こしたわけでもない現職3名を更迭し新人にさしかえるより、はるかに強力な選挙戦を展開できることは自明の理である。党員や国民を二重に愚弄する市田シフトをとるよりも、はるかに国民の理解と票を得られるはずなのである。現職6名を先頭にたたかえば、市田陣営も引き締まり、背水の陣の選挙戦を展開できるであろうし、解任された現職も更迭される必要もなく存分に選挙戦で活躍できるであろう。この投稿で指摘されたような疑問や批判が生じる余地もなく、党員は選挙活動ができるであろうし、彼らの運動員も元気が出ること請け合いである。市田防衛シフトは党員と国民を愚弄する選挙対策であるばかりか、jcpの選挙運動そのものを弱体化させる原因となっている。
12、「お家大事」では思想のかけらもない
jcpの選挙戦を弱体化させてまで市田防衛シフトをとることが、それほど重要な問題なのであろうか? 確かに、市田防衛シフトが最も重要だとjcp中央は実際の行動で示しているわけだが、そこには共産主義政党の本領であるはずの思想性のかけらもみられない。
昨年の総選挙に続いて参院選の惨敗(当選時15議席から半減以下へ)ということになれば、21世紀初頭の民主連合政府はおろか、ミニ政党化し、改憲に対する防波堤がさらに吹き飛ぶということのほうがはるかに国民にとっては重大事である。しかも、参議院議員の任期は6年であるから、来る参議院選の議席数をもって改憲国会を迎える可能性が高いのである。少なくとも6年という射程で来たる参議院選挙を構想するならば(構想しなければならないのだ!)、市田の落選などは党にとっても国民にとっても小事であり、大事なことはjcpを含めて護憲派を一人でも多く国会に送り込むことである。
改憲国会が始まり、国論を二分し、国民の政治運動が高揚することになれば、民主党などの党議拘束は吹っ飛んでしまい、議員個々人の政治信条が問われる事態が必ずやってくるのである。だから、政党の所属になど拘泥することなく、護憲派議員を一人でも多く誕生させることが重要なのであり、そのために、今こそ新たな選挙戦術を編み出さなければならないのである。いざ、その時になって、国民から嫌悪され、一方的な現職解任をやって不評を買うjcp幹部が陣頭指揮したところでいったい何の役に立つか、そういう幹部が国民の共感を呼ぶ政治活動ができるのか、そういう幹部を戴いて、jcpが護憲論を広く国民に広げることができるのか、考えなければならないことは、そういうことである。
惨敗しても書記局長は落とせないというのは、jcp中央にのみ通用する理屈であり、国民にとっては彼の当落など大した関心事ではないのである。市田が当選して惨敗するにしろ、落選して惨敗するにしろ、国民にとっても、政治情勢全般にとってもjcpの惨敗という事実に変わりはない。
13、市田防衛シフトは過剰な党幹部防衛策である
jcp中央が採用した市田防衛シフトは他党と比較するとその異常性がひときわ明瞭になる。自民党では前幹事長・副総裁の山崎拓が危ないといわれながら、比例区の保険もかけずに選挙区で落選しているし、公明党にあっては、幹事長の冬柴も比例区の保険もかけずにたたかい当選している。冬柴の選挙区・兵庫8区における昨年の総選挙での得票は、冬柴94406票、民主・室井79492票、共産・庄本22328票、社民・北川17850票であり、共産、社民票が自主的に動いてその半分が民主に集まれば、冬柴とて安泰の選挙であったわけではない。事実、冬柴の当確報道はなかなかでなかったのである。このように見てくると、jcp中央による市田防衛シフトは過剰なまでの幹部防衛シフトであることがわかるのである
14、幹部の過剰防衛論が発動される組織的根拠
(a)、さて、こうした異常にして過剰、拙速にして貧困、党員、国民無視にして選挙戦を弱体化させる市田防衛シフト、他の政党にはみられない過剰な幹部防衛の原因についてである。
現在の議会制民主主義の下では、党の委員長、党首、幹事長、書記局長らが国会内では重要な役割を果たしていることはみてわかることである。党首討論があり、また、重要なテレビ政党討論会では、彼らが指定席である。このような現状の下では、jcpの委員長、書記局長も国会議員となる必要が出てくるのであるが、仮に市田が落選し、他の当選した議員が書記局長をやるということになると、有権者の意思で党中央の重要な人事が左右されるという問題が発生するわけである。このような事態は自民党でも民主党でも同じであり、落選すれば党の役職を去っているのであるが、jcpにかぎり、党幹部の過剰防衛という形で拒絶反応が現われているわけである。
jcpと他の有力政党とでは、非議員政党と議員政党という違いがあるが、国政選挙等を通じて、国民の干渉を受ける点では同じである。議会制民主主義の下では、国民が選挙を通じて政党をコントロールする。政党はその政策とその政策に基づく運動を通じて国民に働きかけて国民の支持を争い、国民はその政党が適任とする候補者の当否を投票で選別することを通じて、その政党の候補者人事に干渉し、また、その政策の是非、党の消長に干渉するのである。議会制民主主義にあってはこの相互作用は必然的である。
(b)、そこで、国民による政党への干渉が、ここでは政党の人事に焦点を当てた干渉・影響がどの程度まで及ぶのかが簡単に検討されなければならない。その場合、国民による政党への人事上の干渉がどのレベルにまで達するかは、ひとえに、その政党の組織構造に依存している。
自民党や民主党の場合を取り上げると、これらの政党は議員政党であり、議員が一定の組織内特権を持ち、党の主要な部署の責任者はことごとく議員によって構成されている。したがって、これらの政党の場合、国民による選挙を通ずる干渉は、深く組織の内部にまで及び、党首選すら、サポーター制度を導入するなど、国民による干渉の度合いは深い。こうした政党にあっては、国民の選挙を通ずる干渉により党内ポストの去就が変化しやすいために、ポスト自体の職務が非属人的に明確化されている。あるポストが余人をもっては替えがたしという状況がすくないのである。つまり、国民による干渉を深く受ける組織構成を取っている結果、党首をはじめとする幹部らの更迭、復活は日常的であり、引き継ぎは簡単にできるようになっている。党首が党の「シャッポ」となる由縁である。そのような結果として、選挙戦における幹部防衛シフトが、それほど必要なものとはなっていないのであり、また、そのようなことをすると、党内からも批判が出るのであって、jcpの過剰防衛シフトが際だつものとなるのである。
(c)、jcpの場合、国民による干渉と結社の自由(政党の自立性)をどのように組織構成上調和させているかといえば、ここに民主集中性の組織構成と国民による選挙を通じての干渉という問題が浮上するわけである。jcpの規約によれば、党の最高意思決定機関は党大会であり、大会代議員は末端からピラミッド型に選出され、議員特権は基本的にない。党大会と次期党大会までの期間は、中央委員会が指導機関であり、「党大会決定の実行に責任をおい」(規約第21条)とある。また、中央委員会は幹部会と幹部会委員長を選出し、幹部会は常任幹部会を選出し、また、書記局長を責任者とする書記局を設ける(規約第24条)となっている。
このような組織では党員大会とそこで選出される中央委員会が党組織の中枢であるから、ここには直接選挙を通ずる国民の干渉は及び得ない。中央委員会が日常活動では党の中枢であり、そこに国民による選挙という干渉が直接的には及ばないことによって、この政党の自立性が保障されているわけである。国民による直接的な干渉が及ぶのは国政選挙の候補者までである。
したがって、この政党の本来の組織構成からすれば、国民による干渉と政党の自立性の相互関係は組織構成上非常に明瞭である。jcpの組織においては、候補者の当落はもともと深く党内への国民による干渉を許さない構成になっているのであって、特定の幹部党員候補者の当落のために、党員や国民を愚弄するような選挙対策をする必要がない組織なのである。
15、実態としての官僚集中性の弊害
ところが、実際には既に見たような姑息で国民を愚弄する選挙対策がとられることになっているのである。それはなぜかというと、党規約にあるような中央委員会中心の組織活動が実際には行われておらず、委員長や書記局長などの党幹部が中央委員会の上に君臨し、組織の実権を握っているという組織の実態があるからである。その一端はすでに指摘してきた。その結果、国民による選挙を通ずる干渉が直接、実態としての組織の中核人事に干渉する構造が生まれているのである。
この実態としての組織構造があるからこそ、党組織の中核人事を「国民から守る」(!)ために、なりふり構わず幹部防衛シフトが発動されるのであり、その市田シフトのために現職3名を更迭するという馬鹿げた選挙対策が実行されるのである。
新人より、更迭される現職3名の選挙運動の方がはるかに集票力があることは自明である。ましてや、惨敗が既定事実のように予想されている時期に現職3名の集票力はまことに貴重なものであるはずである。にもかかわらず、市田シフトを実施に移し3割の読者増を呼号しているわけであるが、これではアクセルとブレーキを同時に踏んでいることになる。
党中央は民主集中性の優位性を宣伝するが、そのような実態はない。組織運営における実態としての党中央支配、その官僚制・独裁制(現職3名の解任)が、こうした選挙戦の分野でも悪しき影響を及ぼしていること知るべきである。
16、おわりに
いまからでも遅くない。あたふたと取り決め解任した現職3名を復活させるべきである。
他の現職を犠牲にしておいて、自分だけが当選しようという姿勢は、それがいかに党中央に必要だとしても、それは党内事情であり、国民が求める政治家はそうした政治家ではない。市田にも傷がつく。国民は党中央の意向によって、簡単に国会議員が解任されるような政党を求めてはいない。これではjcpの戦略である無党派との連携など夢のまた夢である。
議員は党の瞳、数十年来の党員と支持者の血と汗の結晶であろう。幹部防衛のために、国民に選ばれた現職3名の首を切ることは、党史上、有数の大罪であり、党の自殺行為であると知るべきである。