投稿する トップページ ヘルプ

「現状分析と対抗戦略」討論欄

「左翼的高揚の新しい時代」のために―回答への応答―(3)

2004/07/15 丸 楠夫 20代 医療関係

3.「何のための」再生か 「何のための」新党か
 『さざ波通信』第2号掲載のインタビュー『不破政権論 半年目の総括(下)』の『4.今後の課題』(以下『課題』)では、

 「現在の情勢のもとで、共産党が崩壊したり、完全に変質してしまったりしたなら、日本の階級闘争においてこれ以上にない打撃が与えられるでしょう。」
 「…現状のもとで共産党が崩壊したり完全に変質したりしたら…残ったのは、ごくわずかな、ばらばらの左翼的個人だけとなるでしょう。それは、日本の階級闘争に、回復に数十年かかるような大きな打撃を与えるでしょう。」

 という認識が、強い危機感を持って強調されていました。
 ちなみに、そこで言う「現在の情勢」「現状」とは、「全般的な反動化と下からの運動の後退と停滞、共産党に変わって人民の運動を指導する大衆的左翼勢力の不在」(『課題』)です。
 たとえば、現在の情勢は、共産「党内で指導部に対して公然と反抗する有力な勢力が、数千ないし数万の単位ですでに存在している」わけでもなく、したがって共産党が完全に変質・崩壊したからといって、「この党内左派を中心に新しい共産党(あるいは、党外左翼と協力して新しい大衆的左翼政党)を再建」できるわけでもなく、かといって「党外に共産党に代わりうる社会主義的左翼勢力が、議会でも一定の地歩を築けるほど大衆的基盤を有している」わけでもなく、「あるいはまた、社会全体が急進化し、人民の嵐のような運動が巻き起こる中で、右傾化した共産党が下からの運動によって投げ捨てられる」ような事態からも程遠いものです(『課題』参照)。
 ですから、「共産党が崩壊したり完全に変質したり」する事態を阻止するべく『課題』において提起されている「不破指導部に対する批判を集中し、彼らの暴走を食い止め」ること、「党の改革」を進めること、あるいは「共産党の本当の再生のために」「指導部の交代と、右に切っている舵を左に切りなおす作業」の必要、といった課題は、何よりも“日本の階級闘争を擁護するための”課題として述べられているのです。ですから、共産党の崩壊や完全変質を阻止し、「党の改革」「本当の再生」を図るのは、日本の階級闘争を擁護するための一つの手段、一つの戦術に過ぎないのです(もっとも『課題』においてはあらかじめ、他に選択肢はない、と言った上で、この手段、戦術は提起されているのですが)。
 だからこそ、共産党の改革それ自体が「結果的に可能なのか、不可能なのかということは、この基本路線とは無関係」(『課題』)なのです。なぜなら「もし結果的に不可能であったとしても、党内部の左翼的世論を結集し、それを組織化し、党内部の議論を活性化させ、党員の政治的力量を高める」という「党の改革」「本当の再生」へ向けた活動それ自体が“日本の階級闘争を擁護する上で”「無駄にはならない」からです。そしてその点こそが何よりも重要だからです。
 ですから、共産党の革命的再生を目指そうと、新しい左派政党の結成を目指そうと、そのこと自体に何か重大な意味があるのではありません。問題は“日本の階級闘争を擁護するために”どのような手段、どのような戦術を採用するか、であり、その基準となるのは(「革命的再生」や「新しい左派新党」それ自体の実現可能性ではなく)日本の階級闘争を擁護する上でもっとも効果的でもっとも有効な行動たり得るのは何か、ということなのです。
 考えてみれば、日本共産党という存在自体が、日本の階級闘争を擁護し、発展させる上での一つの手段、一つの戦術的形態(あるいは日本の階級闘争の一つの表現)に過ぎなかったはずなのですから(もっとも、歴史上の反体制・反政府活動家、時の政治権力への反逆者たちが、往々にして、同時に自ら「愛国者」を持って任じていた例もあるように、「私たちはみな、若くして入党し、今日にいたるまで20年近く党員でありつづけ、喜びの日も悲しみの日も党とともに人生を歩んできました。」(『さざ波通信』第20号『大手新聞記者からの質問への回答』)というような多くの真面目な党活動家が、現在の党指導部とその路線への闘いに立ち上がることがもしあるとすれば、それは、自分が信じ、愛着と誇りを持ってきた党、自分にとっての「あるべき姿」としての党と、現在の現実の党との乖離に対する「戸惑い」や「憤り」といった「愛党者」としての気持ちが、その最初の動機付けとなるのではないか、とかすかに期待せずにはいられませんが)。

 本題からは少しそれますが、ぜひとも書き留めておきたいことがあります。
 S・T氏は一連の論文で、第23回党大会で決定された改定綱領の内容と、それが党内でなんらの抵抗も受けることなく承認された過程から、共産党は完全変質したと結論づけられました。
 一方『課題』には、共産党の完全変質は日本の階級闘争に「回復に数十年かかる」「これ以上にない打撃」を与えるとだけあって、何を持って共産党の完全変質というかまでは触れられていません。
 しかし、それを逆に、共産党の変質の判断基準を、共産党が「日本の階級闘争にとってこれ以上ない打撃を与える事態」とすることは果たして妥当でしょうか? またそれと関連して、S・T氏および編集部は「共産党はすでに完全変質を遂げた」と結論付けたわけですが、ならば当然、日本の階級闘争もまた『課題』にあるとおり、「回復に数十年かかる」「これ以上にない打撃」を受けたのでしょうか? それとも『課題』で想定されたのとは異なり、現実には共産党の完全変質が日本の階級闘争にそのような打撃を与えることはなかったのでしょうか? もし仮に、今回の綱領改定が、日本の階級闘争にそのような打撃を与えていないとしたら、そのことをもってして共産党は―少なくともまだ―「完全」には変質していない、といえるのでしょうか? あるいはもしかしたら、事態はもはやそんな生易しいものではなく、日本の階級闘争はすでに「回復に数十年かかる」「これ以上にない打撃」のもとにあり、その死滅に近い深刻な崩壊ぶりの前では、共産党の変質など(あるいは変質していなくとも)もはや取るに足らないささやかなエピソードでしかなくなっているのでしょうか?
 これは大変興味深い設問に思えるのですが、ここではただ書き記すにとどめ、先を急ぎたいと思います。

4.「情勢」との闘い へつづく