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「現状分析と対抗戦略」討論欄

「左翼的高揚の新しい時代」のために―回答への応答―(4)

2004/07/16 丸 楠夫 20代 医療関係

4.「情勢」との闘い
 『回答』においてS.T氏は、目指すべき新しい左派政党について「まともな党内民主主義を保持した左翼中間主義政党」という展望を示されました。
 我々はすでに、1955年の左右統一時、その政治路線においては現在の共産党並に妥協的・現状追認的であったものの、その一方で一定の党内民主主義を保持していた日本社会党が、「情勢の左傾化に伴って党内の針を右から左に向け」「党内政権交代(あるいは多数派自身の左傾化)を可能とする」(『回答』)例を学びました。
 ならば、「まともな党内民主主義を保持」するのみならず、そもそもの始めからして「左翼中間主義政党」と規定できるような党であれば、「情勢の左傾化に伴って」党全体のよりいっそうの左傾化を達成するのは、当時の社会党よりも容易で確実なことでしょう。
 しかしながら、我々は同じく、60~70年代に左翼的・戦闘的立場を明確にしていたはずの日本社会党が、日本における全般的な保守化・反動化ないし現状への妥協的・容認的気運の蔓延、労働運動・学生運動を始めとする社会運動全般の後退と停滞、という“情勢の右傾化”に伴って、党内の針を“左から右”に向け、多数派自身の“右傾化”を達成した例をも歴史から学びました。
 そもそも我々が今現に直面し、そのもとで多大な困難を強いられている「情勢」とは、党内民主主義も政治的複数性もロクになく、それゆえ本来ならその政治路線のあり方について党内外の情勢から(相対的に、とはいえ)自立的傾向が強いはずの左翼的スターリニスト政党からさえも、ついに「レーニン主義の進歩的側面…と完全に手を切」(『回答』)らせたような、そんな「情勢」であり、決して「回答」で想定されているような、「まともな党内民主主義を保持した左翼中間主義政党」「内の針を右から左に向け」「党内政権交代(あるいは多数派自身の左傾化)を可能とする」ような「情勢」ではないはずです。
 また、「革新陣営全体の力と健全さを維持する」ことの困難は、社会党と共産党が「時にライバルとして、時に相互批判者として、時に統一戦線を組む仲間として、それなりの均衡関係を持っていて存在し」(『回答』)ていたときからすでに始まっていたのであり、共産党の存在にもかかわらず、社会党の右傾化と決定的な変質・分裂は回避できなかったのです。
 果たして「時にライバルとして、時に相互批判者として、時に統一戦線を組む仲間として、それなりの均衡関係をも」つ複数の労働者階級の党があるから、「革新陣営全体の力と健全さ」が維持される、と本当に言えるのでしょうか? そうではなく、左翼的・現状批判的世論や各種社会運動の相対としての「革新陣営全体の力と健全さ」、活発さが、「時にライバルとして、時に相互批判者として、時に統一戦線を組む仲間として、それなりの均衡関係をも」つ複数の労働者階級の党を生み、育てたのではなかったのではないのでしょうか。社会党の崩壊と共産党の“孤立”は、むしろ革新陣営「全体の」失墜と崩壊の一つの結果ではなかったでしょうか。
 少なくとも、「まともな党内民主主義を保持した左翼中間主義政党」や「複数の労働者階級の党」の存在それだけでは、「革新陣営全体の力と健全さを維持する」ためにはあまりに不十分であることは明らかです。
 社会党が決定的右転換を遂げる中、党内左派を結集して社会党から決別した新社会党は、2万人の党員と結党時には5人の国会議員を擁し、少なくとも(社会党のもともとの党員数を考慮に入れないとしても)「極少派のうちにさっさと党から離脱」(『回答』)したとは言わせないだけの規模を持つ新しい左派政党でした。
 しかし新社会党は今、「革新陣営全体の」失墜と崩壊の中、その力を発揮しきれずに埋没しています。
 「情勢の左傾化」「左翼的高揚の新しい時代」(『回答』)を“前提にして”、「まともな党内民主主義を保持した左翼中間主義政党」の効用を語るのは、いささか本末転倒ではないでしょうか。
 「そもそも1914年8月をきっかけに、社会民主主義と共産主義とが分裂していったこと」(『回答』)に、深い、決定的な意義があるとすれば、それは「分裂」したことそれ自体にではなく、そのような「分裂」が、情勢を自ら主体的に転換するための自覚的一歩、「左翼的高揚の新しい時代」を自ら切り開くための戦略の一環(「革命的祖国敗北主義」「帝国主義戦争を革命へ」)としての行為であったことにあるはずです。もしこの「分裂」が、ただ情勢の力に強いられただけの、あるいは「左翼的高揚の新しい時代」が「いずれやってくるだろう」(『回答』)ことを当てにしてのものであったなら、その「分裂」はせいぜい、ヨーロッパ政党史の一つのエピソードほどの意味しか持たなかったでしょう。  共産党の革命的再生を目指すにしろ、新しい左派政党の結成に向うにしろ、あるいは「現在の党体制や党綱領・党政策に対する批判的観点を党内で広げ…党内世論の喚起を図る」(『回答』)にしろ、それらが、情勢を自ら転換するための主体的行為としてなされるのでないならば、そのいずれもが不首尾に終わることでしょう。
 逆に、それらの行為が、情勢を自ら転換する主体的なものであるならば、「結果的に可能なのか、不可能なのかということ…とは無関係」に、日本の現在の情勢のもと「左翼的世論を結集し、それを組織化し」、日本国内の「議論を活性化させ」広く我々人民の「政治的力量を高める活動」に寄与するものとして、「結局のところ無駄にはならないのです。」(『課題』参照)。

5.現場から、現場へ―さざ波はいずこから へつづく