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青年問題討論欄

青年こそが革命の主役

1999/10/15 川上 慎一、50代

 ロシア革命のときの興味深い資料がありますので最初に紹介します。1917年7月末からボリシェビキの第6回党大会が開かれました。この大会の代議員、評議員の構成についてのものです。
 出席者は171名。男子は161名、女子は10名でした。参加者の平均年齢は29歳でした。最年少者は18歳、最高年者が47歳、このときのレーニンは47歳でした。スターリン、トロツキーはともに38歳、ジノビエフ、カーメネフは34歳、ブハーリンはわずか29歳でした。ボリシェビキの構成は当時のロシアの他の政党から見てもはなはだしく若かったといいます。
 学歴を見ると、小学校卒が60名、ついで多いのが高等教育を受けた人55名でした。1917年です。日本でいえば「大正6年」つまり米騒動の前年です。当時の社会全体の高等教育を受けた人の割合からいえば格段にこの数字は高いといえます。
 職業別では、労働者が70名(この大半が小学校卒)、事務員22名、作家20名、教師12名、医師7名、法律家6名などで、出席者の半分は小学校卒の労働者、残りの半分ほどが大学卒のホワイトカラーより構成されていたということです。
 農民がいません。ボリシェビキはこの段階でも農民への影響力が極めて弱かったことがわかります。また、他党からからの転向者が1割以上もいたこと、――エスエルからの転向者が10名いたということです。
 逮捕経験のない者が171名中わずか21名しかいなくて、一番多いのは15回も逮捕された者がいたということです。(「ロシア革命」菊池昌典著・中公新書210頁~212頁より要約)
 中国革命もキューバ革命も明治維新も、中心人物はほんとうに若い人たちでした。時間の経過とともに人は年をとるという意味の「未来は青年のもの」という以上に、ラジカルな、ドラスチックな社会の変革は青年でなければできなものだという意味で、私は「未来は青年のもの」だと思っています。

 問題の所在
 青年問題を論じるときに、日本共産党内における青年党員の比率が少ないことをどのように解決するかなどという観点から考えると、姑息な結論に達してしまうのではないかと懸念します。つまり、2世党員を組織しようとか、知り合いを通じて党員拡大をするとか考えて、うわべだけ若者におもねるような装いを凝らしていろいろな企画をすることになるのでしょうが、それは決して青年に受け入れられることはないでしょう。必要なことは、青年労働者、学生のおかれている実態を変革の立場に立って理解することでしょう。

 長期にわたる学歴社会、管理教育がもたらしたもの
 私たちの社会が学歴社会といわれるようになってからかなりの年月がたちます。高校受験、大学受験競争が異常なまでに過熱し、公教育はもはや崩壊したといってもよい状態になってから久しいものがあります。いつからそういう状態になったかを正確にいうことはできませんが、少なくとも、いま20代の人、30代の前半の人たちはこの教育を受けてきたといっていいような気がします。しかも、状況は年々着実に悪くなってきています。
 60年安保闘争で倒れた岸内閣のあとに登場した池田内閣は、「所得倍増計画」と「人づくり」を目玉政策の1つとして掲げました。(もう手許に資料がないので記憶だけで書きますが)、この人づくり政策とは、要するに、数%のハイタレントと10%~20%程度(?)の中堅技術者を養成し、残りは従順な労働力として育成するというものでした。教育基本法の理念を投げ捨てて、資本の要請にこたえた、戦後の民主主義教育への露骨な挑戦でした。
 わずかなエリートの席が、あたかも学力による「公正な競争」によって決められるかのごとき幻想が広く国民の間に定着しました。わずかな例外がありますが、戦後の混乱期を別にして、社会が安定してくると、資本家の子どもは資本家になり、政治家の子どもは政治家になるという「ヒエラルキー」が封建社会のごとく確立された現代の状況を見れば、私たちの社会におけるそういう「公正さ、公平さ」が幻想に過ぎないという表現が許されるでしょう。そしてまた、希少なエリートの席に座った人も、その競争に敗れた多くの人々も人間性を犠牲にしなければなならないということが教育にとっては悲劇的なことです。資本主義的なシステムを支える教育には「すべて国民は、個人として尊重される」(日本国憲法第13条)という理念を見いだすことはできません。
 対米従属のもとで日本独占資本は帝国主義的な成長を遂げ、これが日本社会にも反映して、親たちは「豊か」になり、競って子どもに高等教育を受けさせるようになりました。学歴社会に根拠を持つ受験競争が公教育において、一方で「知育偏重」を生み出し、他方で管理教育を生み出しました。かつて、ニューズウィーク(日本版)が指摘したことがありましたが、管理教育には「従順な労働力の養成」ということ以外には何の意味もありません。
 このような自民党の文教政策の結果、公教育においては「学力」、もっと正確に言えば「試験の点」だけが唯一の価値基準になってしまいした。子どもたちの持つ多様な能力は、取るに足らないこととして捨象され、子どもたちが全体として、「点数のいい子も悪い子も」、人間としてひどくゆがんでいくという事態が普遍的にみられるようになりました。さらに、「平常点」なるものが導入されるようになって、教師に「おもねる」技術さえも身につけた子どもが出てくるようになりました。
 管理教育に対する批判を1つだけあげますが、「規則を守る」ということは、学校生活、集団生活において必須のものであり、これを守らせるのが教師の使命だと考えている教師が実にたくさんいます。子どもがみずからの命と健康を守るために守らなければならない規則もあるということを私は否定しませんが、これらの校則の中には、驚くべき非常識な規則(たとえば、「下着の色は白」と決めた高校の校則など)があります。逆説的な表現をしますが、規則を破ることの中に、正義が存在したり、進歩につながることもあり得るわけですから、教育の場においては「子どもの独創性の発揮」として評価できるものもありうるということを理解しなければなりません。
 日本の公教育は、「校内暴力・非行」→「いじめ」→「不登校」といった病弊を経験してきました。そのたびに、文部省や教育委員会は対症療法的に対応をして問題を糊塗してきました。問題の根本的背景である「学歴社会」や「管理教育」をいささかも解決しようとしないで、いくら対症療法を繰り返しても、問題は形を変えて噴出するだけであることは明らかでしょう。
 エリートコースにのることができなかった多数の子どもたちは、公教育の中で「自分はダメなんだ」ということをしっかりと脳裏に刻み込まれ、ひどいコンプレックスと無力感を抱いて社会へ出ていくことになります。従って、社会に異議を唱えることなどはおよそ彼らには考えられないことなってしまったのでしょう。若年層の棄権率の高さは青年層に形成されたこのような「社会的心理」と深い関連があると思います。
 青年が本当に社会の主人公として立ちあらわれるためには、まず、彼らが公教育の中で不当に形成されてきたこれらの汚らわしい観念を捨て去って、「試験の点だけを価値の基準としている社会が間違っていること」、決して彼らが「ダメな人間」ではないことをみずからが実感できるようにしなければなりません。

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