青年労働者の実態
非常用労働者のおかれている実態については私(川上慎一)の投稿「党の統合力と未来論争によせて」でも少し書きました。
(注) 私が「非常用労働者」とよんでいるのは、パートタイム、期間限定労働者、アルバイトなどの「半失業労働者」を指しています。
労働大臣官房政策調査部担当の〔平成7年パートタイム労働者総合実態調査結果速報〕(労働省のHPからダウンロード)によれば、その定義は「正社員以外の労働者で、名称に関わらず1週間の所定労働時間が正社員より短い労働者。 正社員以外の労働者で、名称に関わらず1日の所定労働時間が正社員よりも短い、または、1日の所定労働時間が正社員と同じでも、1週の所定労働日数が正社員よりも少ない労働者。出稼・季節労働者を除く。」です。その数は約800万人、全労働者に占める割合は約18%です。私が問題にしたいのは「底辺の労働者」、つまり、低賃金、不安定な雇用、社会保険、年金、労災等の「社会権」上の保障がきわめて貧弱な労働者の総体ですから、この統計の数値をはるかに上回ることは間違いありません。ちなみに、同じく労働省の資料では、労働組合の組織人員(組織労働者)は約1200万人です。組織労働者のすべてが「比較的安定した生活」が保障されているわけではないでしょうから、私がいうところの「底辺の労働者」はパートタイム労働者約800万という統計上の数値をはるかに上回るものとなるでしょう。そしてこれに顕在失業者を加えれば、日本の「底辺の労働者」と失業者の合計は「組織労働者」数を簡単に越えてしまうことになります。これらが私がいうところのサイレントマジョリティです。
「半失業労働者」に占める若年労働者の割合はかなりのものがあるでしょうから、特に、青年労働者のおかれている実態は深刻です。近年、結婚年齢が高齢化しており、若者がなかなか結婚しない、子どもをつくらないといわれています。これに関する彼らの主観的意識がどうであれ、「結婚できない」「子供をつくれない」というべきであって、青年がおかれているこのような実態が客観的な背景となっていることがわかります。そして、もはや現代の青年たちは彼らの親の世代に可能であったような生活はできる条件にはないというべきでしょう。
労働者には闘う以外には道はない
青年労働者の労働者としての階級意識について考えてみようと思います。たとえば、社会保険や年金については、若い内はほとんど病気もしないし、数十年先の老後のことを考えることなどありませんから、保険料が無駄だという考え方の人が少なくありません。企業経営者の中には、「従業員が保険料の控除が損だというので社会保険、厚生年金には加入していない」というのがあります。労働者の遅れた意識につけ込んで、資本家は「渡りに船」とばかりに、労働者の犠牲において経費の節減に励みます。
労働組合のローカルセンターなどに、最近、中小企業の未組織労働者からも組合作りの相談がときどきあるとのことです。闘いに立ち上がる労働者もいますが、多くは「会社をやめる」という形でしか抵抗できないのが実態でしょう。現代の労働者には会社をやめる「自由」はありますが、その会社をやめてもどこかで働かなければ生きてはいけないという「不自由」から逃れられるわけではありません。労働者は生活の向上のためにみずから闘うよりほかに道はありません。
労働者教育を忘れてはならない
私自身の経験からいうと、高校、大学時代に、科学的社会主義の入門書や労働者教育の書物を読むたびに、目からウロコが1枚ずつ落ちていく感じがしたことをよく覚えています。当時はそれなりの社会主義や労働者教育の文献が地方都市の書店にも結構ならんでいたものです。
富の源泉が人間の労働であること、搾取の仕組み、労働者が主人公となる社会があり得ることなどを学ぶことは、青年が社会変革の道へ進む上で不可欠のことです。社会や職場の中で、青年が「むかつく」ということを体験します。このことをより深く分析すれば、社会のしくみの中に根源があるにもかかわらず、それが個人的な「うらみ」の域を出ないまま鬱屈したものになっていってしまうことがよくあります。青年の怒りや悲しみが正しく社会変革の方向に向けられるためには、労働者教育や社会主義に関する学習がどうしても必要でしょう。それこそが革命党の「最大の任務」といっても言い過ぎではないでしょう。
選挙の得票、共産党の議席は日本の民主勢力の成長の尺度とはならない
日本共産党の議席数や得票数が日本の民主勢力、あるいは、左翼の力量をはかる尺度とはなり得ないことをあらためて確認しておかなければなりません。真に革命的な政策に寄せられた得票は労働者階級や人民の政治的成熟度のバロメーターとなりうるでしょうが、現在の日本共産党の得票には複雑な要素があり、単純に評価できかねるものがあります。
議席や得票よりも、「どれほど多くの人々が政治に参加しているか」ということを尺度とした方が適切だろうと思います。投票という行動は単に1つの政治参加に過ぎません。デモや集会に参加する、署名運動をする、討論会や学習会を開く、など多様な運動にどれほどの人々が参加しているか、ということをぬきにして、日本の左翼勢力の評価はできないでしょう。その意味で、現状は極めて困難であります。ほとんどすべての活動を選挙に埋没させてしまっている日本共産党が問われるべきものは大きいといわざるを得ません。
青年問題の危機的な状況は、当然、やむを得ない客観的な情勢によるだけではなく、たとえば、「日本共産党の再生産さえ危ぶまれるような状況」は、日本共産党の組織論、運動論のかかえる問題点に由来するものも大きいわけでありますから、このことの批判的検討を抜きにしては解決されないでしょう。
願わくば、「私の理解では、まさに変革主体としての党自体が内部から変わらないかぎり、あるいは広範囲な大衆運動の組織化によって情勢を主体的に切りひらいていくという闘いがないかぎり、残念ながら現実はヤスさんのいわれる方向にすすんでいくほかないのではないかと思います。」(「党の統合力と未来の姿」論争によせて 1999/8/14 入一、40代、教育労働者)という入一さんの冷静な分析がはずれて、現在の日本共産党の内部から真に革命的な方向が出てくることを期待しています。