「社会主義運動はなぜ誤りの発見が遅れたのか」へのご意見ありがとうござい
ます。
余分なコトかもしれませんが、、、私の投稿の意図は
1.社会主義失敗の原因で思い当たるコトをたくさん出し尽す。
2.人文学徒さんが「2004/09/16日本共産党の惨状の本質」で言っておられた
「問題の根っこ部分」に迫りたい。
3.原仙作さんはじめ多くの方とできるだけ重複しない視点を見つけたい。
4.つまり根っこ発掘作業に加わって問題の全体像のはっきり化に役立ちたい。
5.作業の目的は次の社会主義建設があればそのときに役立ちたい。
です。
私の投稿にあった「設計図にも原因があった」に関してpcaiaさんの疑問【僕
なりに考えたことをまとめて見ました。ソ連社会であろうと日本社会であろうと
ある人間が考えた「設計図」によって建設されるのでなく、何処の社会もそれ自
身の法則にそって発展していくのだと思います。問題は「設計図」が社会発展の
法則を正確に反映した「意識」に裏打ちされているか否かに在るのではないで
しょうか】について、私はこう考えます。
1.いつの時代にあっても設計図によって社会は作られ運営されてきた。
2.平安時代でも律令など人間の頭がつくった仕組で社会が構成、運営されてき
た。
3.ただし存在する仕組みは時代の生産力で制約されたものとなっていた。
4.時代によって決められる外枠の範囲内では人間の頭で社会の設計がなされて
きた。
5.4の自覚のもとに次の社会を建設しよう、大きな設計の変更をしよう。
6.「社会のあるべき理念をベースとした意識的社会設計」これが社会主義の新
しいところ。
7.設計のキモは「生産手段の共有」これが社会主義の具体化。
pcaiaさんの「人間が考えた設計図によって建設されるのではなく」は3を指
し、疑問、否定したい設計図とは3を無視して頭の中だけで作り出した設計図の
ことを指しているのではないでしょうか。そして「設計図が社会発展の法則を性
格に反映した意識に裏打ちされているか否か」は5,6であるように思えます。
だとすればそれは私の考えていることと同じになると思います。違うでしょう
か? 私は生産手段の共有を基本とする社会の設計こそが社会主義のキモで、共
産党は社会主義の設計施工の責任を自覚した集団だと理解してきました。ですか
ら設計を放棄するなら共産党の存在意義はないと思います。一方でこのようなデ
ザイン主義は傲慢で出すぎた誤った道だとの批判、生産手段の共有アイディアの
非現実性、危険性への批判など社会主義を根本的に再検討する余地はたくさんあ
るとも思いますが、とりあえずその前にpcaiaさんの疑問にお答えしたく思いま
したので。