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党員用討論欄

おっとり刀同志の批判に答えます

2000/6/8 編集部S・T

  雑録4について――民主党評価と不破政権論
 民主党の評価についておっとり刀同志はこう述べています。

まず民主党の評価についてです。基本的には「新自由主義」に基づく政策を堅持している事は事実ですが、早晩この政策は破綻すると見ています。介護保険では既にほころびは見えていますし、民間委託や地方委任についても限界が見えています。同時に自民党との対立関係(政治的な意味で使っています)により、政策的相違点を際立たせる必要があります。現に公共事業費の削減(これも新自由主義の一つの現象と見る事も出来ますが、政策転換の意味では重要です)を、政策的に打ち出していますし、先日の演説では30人学級も主張していました。固定的に捉える事は大局的判断を誤らせる事になると考えます。

 新自由主義政策がやがて破綻するだろうというのはその通りです。私たちもそのことを強く主張しています。だからこそ、民主党との連合路線は危険であり、冒険主義(日和見主義と裏腹のそれ)でもあるわけです。そして、さらに問題なのは、この「破綻」が誰にとっての破綻であり、それが民主党の立場にどう影響するか、そして、それは民主党の階級的本質をも変えるものなのか、ということです。福祉の民間委託は、何よりも社会的弱者、低所得層にとって重大な打撃になります。また、十分経済的余裕のない中間層にとっても打撃になるでしょう。その意味でこの新自由主義政策は早晩破綻します。しかし、企業にとっては、弱者がどうなろうと、それは新市場の開拓であり、新たな儲けの余地が広がることを意味します。そして、企業の新しい進出や発展によって利益をこうむる階層(主として都市上層)も必ず存在します。民医連の前会長である阿部昭一氏は、民医連の雑誌の中で次のようにきわめて適切なことを述べています。

現に厚生省はいろいろな政策を出してきますが、何の解決にもならない政策は決して出しません。すべての国民からみて悪い方針を出しているなんていったら大間違いです。国民の中の様さまな矛盾のうち、ある階級・階層、ある分野については解決するものを出してくる。そのときに最も困難な人びとには焦点はあてられません。その結果、お金があって民間保険に入れる人たちは、その政策で「ああよかったね」ということになりますが、お金を払えない人たちにとっては前よりもどんどん悪くなっていく、解決どころか逆に収奪されることになってしまう、そして全体として国は金を出さなくてもすむようになる、こういう政策なわけです。(『民医連医療』第285号、1996年4月、9~10頁)

 共産党がますます国民主義になり、ますます国民内部の階層分化を無視し、あたかもすべての国民(あるいは99%の国民)にとって有害ないし有益な政策がありうるかのような幻想を振りまく中で、少なくとも1996年時点では民医連の会長は、そのような政策は存在しないこと、現在の新自由主義の時代においては、ある階層の犠牲のもとに別の階層の利益がはかられていること、そして、受益層ないしそれほど打撃をこうむらない層を基盤に新自由主義政策が実行されていることを、はっきりと誤解の余地なく語っていたのです。
 新自由主義政策の破綻は、あくまでも社会的・経済的弱者にとっての破綻にすぎず、現在のアメリカの繁栄に見られるように、大企業と都市上層にとってはそれはおいしい出来事なのです。そして、この階層に立脚している政党であるかぎり、新自由主義の破綻はけっして、その政党の「左傾化」を生むものではありません。むしろ、その政党の主流をより新自由主義的なものにするでしょう。もっとも、民主党の内部にも、社会党出身の議員や党員がおり、彼らは、新自由主義の破綻によって多少とも左傾化する可能性はあります。その場合、共産党が行なうべきは、まるごとの民主党を獲得しようとすることではなく、民主党の内部の矛盾をできるだけ押し広げ、その中の政治的分化と分裂を促進し、社会民主主義的傾向を持った層をこちら側に引き寄せることです。そのために必要なのは、民主党の階級的本質に目をつぶることでもなければ、あたかも民主党が全体としてまともな方向に変化しうるかのような幻想を振りまくことでもなく、民主党の基本路線の反動的性格を徹底的に暴露し、批判することです。
 このように私たちはけっして情勢をも民主党をも固定的にとらえていません。むしろそれをより全面的かつ動態的な観点からとらえています。問題は、固定的か否かではなく、どのような変化なのか、どのような内的構造の矛盾なのかを具体的にとらえることです。この点で、現在の共産党の立場はきわめて物事を単純化しています。民主党内部の矛盾も、野党間の矛盾も、国民内部の階層分化も、自民党の政策の持つ矛盾した性格もすべて捨象され、あたかも、一枚岩的自民党の一枚岩的反動政策によってただひたすら、一枚岩的国民との矛盾を深め、その結果として一枚岩的野党が共産党の立場に接近するかのように考えています。それは幻想であり、ナンセンスです。
 次に政権論についてですが、おっとり刀同志は次のように述べています。

政権参加の可能性が現実的課題に上ってきたことは極めて喜ばしい事だと考えます。それだけ社会矛盾が激化している事の現われでもあるでしょう。

 ここでも問題はきわめて単純化されています。共産党の政権参加の可能性が生じたことと社会矛盾の激化とが単純に結びつけられています。しかし、この2つの間には、きわめて重要な結節点がいくつかも存在しています。それは、与党と野党との力関係、与野党問わず議会内の階級的・政治的力関係、社会全体の階級的・政治的力関係という一連の問題です。図式的に並べますと、以下のような論理連鎖をつくることができます(土台から上部構造へと上向)。
 社会矛盾の激化―社会全体の階級的・政治的力関係―国会内の階級的・政治的力関係―与党と野党との力関係―共産党の政権参画の可能性。
 以上の図式において、現在、直接に共産党の政権参画の可能性を生み出したのは、「与党と野党との力関係」です。現在の与党は巨大与党で、それだけをとれば、共産党の政権参画の可能性はきわめて低いのですが、森首相の失言などがあったおかげで、与野党逆転の可能性は――今でもかなり薄いとはいえ――けっしてゼロではありません。そして、共産党がそれなりの議席を獲得することはたしかなので、共産党が政権成立のキャスティングボートを握る可能性は十分考えられます。
 しかし、それ以外の結節点に目を向けるとどうなるでしょうか? 社会矛盾の激化にもかかわらず、そして、与野党間の力関係の流動化にもかかわらず、現在、国会内の階級的・政治的力関係は圧倒的に保守および新保守に有利であって、革新派、護憲派に圧倒的に不利です。与党を構成している3党はもとより、野党の民主党も自由党も新自由主義派であり、日本の帝国主義化に大賛成の党です。比較的ましな社民党は、共産党より議席の少ない小政党であり、しかも、民主党と自由党に追随しています。つまり、国会の議席の何と9割が、保守と新保守に独占されているのです。これほどまでに不利な議会内力関係はかつてありませんでした。そして、次の総選挙でどのような結果になろうとも、この国会内力関係が劇的に変わることはありえません。
 さらに、社会全体の階級的・政治的力関係の方に目を向けるなら、状況はもっと悲惨です。国会内では多少とも共産党は躍進するでしょうが、現場の大衆運動の分野では、共産党系の勢力も含めて、この間、各戦線で後退を重ねています。もちろん、民医連の陣地に象徴されるように、前進を積み重ねている分野もありますが、とりわけ青年学生戦線、労働戦線などでは、後退と停滞を免れていません。
 つまり、「社会的矛盾の激化→社会全体における力関係の有利化→国会内での力関係の有利化→与野党間の力関係の有利化→共産党の政権参画の可能性の出現」という順接的図式にはなっておらず、途中で何度も逆接が生じているきわめて複雑な状況になっているのです。したがって、共産党の政権参画の可能性が生じたことそれ自体を単純に喜ぶことは絶対にできないのです。むしろ、社会全体および国会内の力関係がちっとも有利になっていないにもかかわらず、共産党の政権参画の可能性が突出した形で生じていることは、悲劇的なことであり、不幸なことなのです。
 「雑録1」で私たちが指摘したように、不破政権論が出てきたのも、不破委員長がその演説の中で、この中間的媒介項を軽視して、上から、すなわち政権から政治が変わればすべてが変わるかのような幻想にしがみついているのも、まさに、こうした複雑な事態を反映しているわけです。社会全体の力関係に支えられていないまま、政権に「命がけの飛躍」を行なおうとする現在の冒険主義路線(日和見主義と裏腹の冒険主義)を私たちはきっぱりと拒否し、国会内と社会全体の中でまず何よりも、現在の新自由主義化と帝国主義化に対抗する「護憲と革新のブロック」を構築せよと主張しています。どちらがより現実的で、より地に足のついた議論であるのかを判断していただきたいと思います。

   最後に――党員蔑視について
 おっとり刀同志は、最後に次のように私たちの態度を批判しています。

最後に編集部に対して注文をさせて頂きます。それは、愚党員思想とでもいうべき論理展開と、幹部に対するあしざまな人格批判です。今回の雑録4の中でも、「党員の99%以上は無関心であるかあくまで中央に忠実であった」との記述は、自らの見解に同意しないものに対する科学的根拠を欠いた中傷であろうと考えます。これ以外にも、このような同志に対する配慮を欠いた記述が散見されます。

 「幹部に対する人格批判」については後で論じるとして、私たちが「愚党員思想」を持っているという意見についてお答えしたいと思います。以前の編集部投稿でも書きましたが、もしそのような印象を持たれるような書き方をしたとすれば、反省すべきであり、より慎重な表現を心がけたいと思います。しかし、そこで挙げられている証拠が「党員の99%以上は無関心であるかあくまで中央に忠実であった」という私たちの記述にあるとすれば、それは同意しがたいと言わざるをえません。おっとり刀同志は、この私たちの判断を「科学的根拠を欠いた中傷」であると決めつけています。なるほど、私たちにはたしかに厳密な科学的根拠はありません。「99%」というのは、党員の大多数であることを強調した表現にすぎず、厳密な数字でないのは言うまでもありません。それは別に、95%でもいいし、90%でもけっこうです。
 しかし、それにしてもなぜ、党内の世論状況について十分根拠のある資料や正確な数字を提示することができないのでしょうか? その答えは簡単です。共産党の指導部自身が、不破政権論を含めて、これまでの数々の重大方針について、全党討論を呼びかけたり、党員に意見の表明を呼びかけたり、党内で投票にかけたりといった、当然の党内民主主義の手続きをいっさいとっていないからです。そのようなことがなされないかぎり、いったいこの不破政権論に対して党員の何%が同意し、何%が同意していないのかを正確に測ることは誰にもできません。私たちはただ、さまざまな徴候や示唆から現在の党内世論の現状を推測するしかありません。たとえば、中央委員会総会であいかわらず全会一致が続いている事実や、現在の路線に対する異議申立てが党員知識人からさえまったく出されていない事実、また私たち自身が参加した各種の会議や大会や党会議での様子などです。また、このサイトに寄せられる投稿もその判断材料の一つです。
 また、「愚党員思想」というのなら、この間の党指導部が、党内民主主義の当然の手続きを無視して、トップダウンで次々と重大な決定を下し、時には指導部自身も認めている方針転換(国旗・国歌問題)についてすら、まったく一般党員に諮らなかったことはどうなるのでしょうか? 国旗・国歌の法制化の容認という大問題について常任幹部会だけで議論して、中央委員会にすら諮らなかったことはどうなるのでしょう? こうした指導部の態度こそ、「われわれがどんな方針を出しても党員は黙ってついてくるさ」と考えている証拠ではありませんか? これこそ、「愚党員思想」ではないのですか?
 おっとり刀さん自身も「手続き的な部分に関してはいささか疑問を持っているのも確かです」とおっしゃっています。そのような疑問は何らかの形で表明されたのでしょうか? 指導部はそうした疑問に対して誠実に対応したのでしょうか? その点についてもぜひ教えていただきたいと思います。
 指導部に対する人格批判についてですが、私たちはたしかに、『さざ波通信』第2号で、不破委員長について「世論から孤立しても信念を貫く勇気がない」と書きました。そして、今でもこの判断は間違っていないと確信しています。それどころか、ますますその確信を強めています。この間の共産党指導部の路線はことごとく、「世論から」すなわち国民多数派から「孤立しないよう」という配慮に貫かれたものばかりでした。このことを否定するどんな事実があるのかを教えてほしいと思います。もちろん、今後、不破委員長がそのような信念を貫く場面を私たちが目撃したならば、私たちは喜んで先の評価を撤回します。しかし、悲しいかな、現実に起こっているのはその逆のことなのです。
 つい最近でも、このことをはっきりと示す出来事が報じられました。私たちの「トピックス」でも取り上げましたが、不破委員長は、共産党が政権入りした場合、有事の際の対応を「自衛隊を使っても構わない」と断言しました。さらに、天皇が出席して「お言葉」なるものを発する国会開会式についても、「暫定政権の協議事項」だと述べ、出席も検討する考えを示しました。まさに、「世論から孤立しても信念を貫く勇気がない」ことを十二分に示す事実ではないでしょうか? この報道を受けてもなお、私たちの批判が根拠のない「人格批判」だとおっしゃるのですか?
 一番最後におっとり刀同志はこう述べています。

編集部自身が無謬論に立ってはいませんか?一段高いところから党員を見ているのではないでしょうか。この姿勢では賛同者を形成する事は困難ですよ。

 私たちが「無謬論」に立っているというのはまったくの誤解です。それどころか、私たちは、このサイトを立ち上げるまで、党内のさまざまな問題に対し公然と批判することを一貫して躊躇してきました。党内ではあれこれと批判してきたし、それを改善するために努力をしてきましたが、それはあくまでも党外からはまったく見ることも察することもできない密室での行動です。また、私たちは、不破政権論が出されるまで、現在の党指導部が陥っている改良主義的傾向を過小評価してきました。そして、ほんの10年前まで、私たち自身が、大多数の党員たちと同じく、党指導部は結局は最善の道を選択してくれているのだ、と思い込んでいました。すでにその時点から多くの批判がさまざまな文献で出されていたし、その中には十分正当な批判もあったというのに。私たちは自分たちの甘さと誤りに気づき、このサイトを立ち上げたのです。
 ですから、私たちは、現在の党員の大多数が持っている心理というものを十分理解しています。なぜなら、それはごく最近まで私たち自身の心理でもあったからです。私たちは、普通の党員たちにも届くような言葉で話そうと努力しています。もちろん、時には厳しい批判をするし、反発する党員もいるでしょうけれど、それは避けられません。しかし、私たちはこのサイトにおいて、共産党の打倒や解体を主張するような意見や、一般党員と指導部とをいっしょくたにして共産党をまるごと否定するような主張とは明確に一線を画し、そして、共産党を右から攻撃するような理論に対しては必要に応じて反論も試みています。私たちの表現が時に行きすぎたり、一面的であったり、厳しすぎることもあるでしょうが、全体としてこのサイトで私たちが主張していることを読んでくれるなら、私たちがあくまでも共産党の発展と社会の変革を望む立場から発言していることがわかるはずです。
 長々と論じてしまいましたが、今後とも、さまざまな問題をめぐって建設的な討論ができることを心から希望しています。

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