久しくROMしてました。前衛さんの議論に興味を持って投稿しようと思いつつ機会を逃していました。先日の前衛さんの投稿についていくつか述べます。
80年代の社会党との対比について
前衛さんは、自衛隊の「活用」論について次のように述べています。
共産党の自衛隊「活用」論の部分については、全面的に反対である。これで、その他の肯定的な部分についても「台無し」になっていると思っている。
私も大会決議案が出された当初はまさしく同じように考えていました。しかし、その後の討論誌に掲載された意見や「JCPウォッチ!」や「さざ波」で出された論点を検討した結果、「段階的解消」論自体にも重大な欠陥があると考えるに至りました(このように認識を深めた同志は私だけではないと思っています)。
前衛さんは、共産党の幹部の発言の枝葉末節にはこだわりつつも、討議の過程で提出された論点には無頓着とみえます。それは前衛さんの以下の文章でわかります。
ここで、明らかにされたことは、民主連合政府に参加する際に、今までの「革新3目標」などとともに、自衛隊を「憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざす」ことを「条件」或いは「前提」にすることが表明されていることである。逆にいえば、自衛隊の解消をめざさない「民主連合政府」には参加「しない」ということである。社会党が社公合意によって、安保・自衛隊問題を政権参加の際に「棚上げ」にしつつ、「党」の独自路線としては「段階的解消」や安保否定論などを述べていたことと対比して、その違いは明確であると思うのであるが、S・Tさんはこの点、どう判断するのでしょうか
上記で強調した部分は、大会での中央委員会報告そのままであり、対比の仕方が根本的に間違っていることに気づかれていないようです。共産党には「民主連合政府」の政策以外に党の「独自路線」があるかのようですね? 以前の投稿でも述べたと思うのですが、今一度確認しておきます。80年代の社会党と違い、共産党は単独政権をそもそも想定していませんから、社会党の独自路線に対比すべきなのは、共産党では「民主連合政府」における政策なのです。一方、「社公合意」に相当するのは「民主連合政府」にいたるまでに想定されている安保「凍結」の「よりまし」政権です。したがって、「その違いは明確」どころか、検討すればするほど瓜二つに見えるはずです。
私がこの問題で認識を転換するきっかけとなったのが、自衛隊の段階的解消論が80年代の社会党の方針と同じであることを明らかにした討論誌1号の南沢氏の意見です。私はその後、それなりの手間をかけて80年代の社会党の文献を調べ、今回の自衛隊段階解消論や安保をめぐる多くの政策が、当時の社会党の政策の引き写しに他ならないことに気づきました。ついでに言うと、80年代の社会党の政策の方が奥行きが深いと思いました(それもそのはずで、大会の運営方法が〈討論期間も討論方法も〉、共産党よりもはるかに民主的だったからです)。
前衛さんは、80年代の社会党との対比を間違えたことにより、自衛隊の「段階的解消」論のもつ重大な問題に気づいていないのではないか、というのが私の感想です。
80年代社会党と共通する現状容認
自衛隊の「段階的解消」論を図式化してしまうと次のようになるかと思います。
0、自衛隊は違憲であり、「民主連合政府」の課題として解消する
1、「民主連合政府」は平和外交で世界とアジアに貢献する
2、それにより「平和的安定の情勢の成熟」「国民的合意」をへて
3、自衛隊を解消する
S・Tさんによる批判は、「2」の部分に対するもので、自衛隊解消のための条件として「平和的安定の情勢の成熟」や「国民的合意」(「万万万が一」!の不安もない)を持ち出したから、80年代の社会党と同じく現状肯定ないし当面の必要性を認めるものであるというものです。それに対して、前衛さんは「1」があるのだから「必要」論というには無理があると言っているわけです。
前衛さんの意見は一見もっともなようですが、問題はやはり、どのような「段階的解消」論なのかということではないでしょうか? 解消を永遠に引き延ばすものであれば、それは「必要」論と呼ぶ方が正しいことになります。S・Tさんによる批判はそういうものだと私は理解しています。80年代の社会党との「違いは明確」として一蹴してしまうと問題はみえてこないと思います。
当時の社会党は、その「非武装中立」論が単なる「理想論」だと言われて、国民の支持が伸びないこと、政権に手が届かないことに焦燥感をもっていました。そこで社会党の政策である「非武装中立」を生かしながら世論に配慮して政策化したのが83年の「非武装をめざす平和のためのプログラム」という文書です。その文書を添付しておきます。現在の共産党中央員会がそれを剽窃したのではないにしても、同じ問題意識で同じ結果となっていることは興味深いことです(80年代社会党の方がより具体的なのがわかると思います)。当時、わが党が社会党の政策に対して加えた批判には、S・Tさんも言われているようにいきすぎた面があったにせよ、支配イデオロギーへの屈服、現状肯定の論理を正しくみてとっていたと思います。
支配イデオロギーにおいて自衛隊の存立根拠となっているのは、「力のバランス」論です。かつてのソ連・今日の「北」朝鮮という「仮想敵」ないしは「脅威」があるから「自衛隊」が必要だというものです。おおよそ現代の軍事力や核兵器といったものはなんであれ、その保持・保有は、そのようなイデオロギーによって維持されています。しかし実態は、あくまで自国の経済的ないし政治的利益や権益を維持・拡大するための道具であり、それ自体が平和に対する脅威であることは「左翼」を自称する者にとっては自明のことでしょう。現実に、「自衛隊」はその名にそぐわない強力な軍事力を備え、周辺アジア諸国にとってはバックにひかえている米軍とともに脅威としてうつっています。
ところが、共産党が自衛隊の解消条件として「アジアの平和的安定の情勢の成熟」「国民的合意」なるものを持ち出すなら、それは支配イデオロギーに対する屈服以外の何ものでもありません。それは現状容認であり「力のバランス」論を有効だと認めるものです。自衛隊を解消してもバランスがくずれないような国際情勢の「成熟」・万万万一の心配もないという「国民的合意」を創出してから解消すると言うのですから。
私は、たとえ百歩譲って、それらの条件に配慮するとしても、「力のバランス」論に立たない自衛隊の一方的・先行的解消こそが平和への貢献であると考えています。こうした脈絡において、自衛隊解消の手続きとして、前衛さんの言われる「自衛隊解消、縮小、改革」法には大賛成なのですが。。。